2022年10月21日

 不老会の集い

公益財団法人  不老会の集い
式次第
とき:2022年10月20日(木)  午後1:30分〜4時

ところ:名古屋居市公会堂 大ホール

開会前  (HAS48)ハッピイ ストリング  アンサンブル 48のバイオリン演奏


                
 司会 藤内 美也子

成願者に対する黙祷

主催者挨拶        不老会 理事長  久野 格彦

来賓挨拶    愛知県  知事  大村 秀明
       
 名古屋市  市長  河村 たかし

来賓  紹介

記念講演   「健康長寿をのばす〜最近の医学でわかったこと」

名古屋市立大学大学院 医学研究科統合解剖分野 教授 植木高俊  先生

学生体験発表  名古屋大学医学部2年  今泉 天祐  様

アトラクション  大衆演劇  御陵一座(みささぎいちざ)
  「瞼の母」

 御陵一座:愛知県で唯一の大衆演劇団)

秋晴れの午後、公会堂へバイオリン演奏と大衆演劇を楽しみに行った。会場に入ると、すでにバイオリン演奏が始まっていた。皆さん静かに演奏を聴いていた。演奏の中身は、すばらしいもので、曲の名前は言えないが、聴いて、心休まる内容であった。ああ、来てよかったとつくづく思いながら、しばらく演奏を聴いていた。

HSE48はパンフの紹介によれば、ハッピー・ストリング・アンサンブル・48です。48人からなるという意味です。誰もが楽しめるバイオリンアンサンブルをコンセプトに2018年8月に結成された。名古屋・岐阜・大垣で活動を広げている。

HSE48オリジナルソング
「プラチナのように」 
作詞・作曲 辻 昌宏
演奏  HSE48

苦しい時も  悲しい時も
前に向かって ここまできたわ
険しい山も でこぼこ道も
歯を食いしばって 駆けてきた

私だけでないから  一緒に進む道だから
頑張れる気がするのよ この道
あの坂を上ったら 素晴らしい
世界が待っている

キラキラ光る うれし涙は
プラチナのように 永遠に輝き 
ワクワクするわ 胸のときめき
プラチナのように 永遠に続くわ

枕を濡らす 涙をふいて
唇かんで空を見上げて
なぐさめられて 自分を信じ
ふりかえらないで 進んできた

同じころに生まれて  固く結ばれた絆
うまくいきそうな気が する未来
あふれ出てきて輝く  涙は
この熱で乾くわ

キラキラ光る  心の音は
プラチナのように  永遠に響くわ
ワクワクするわ 心のリズム
プラチナのように 永遠に刻むわ

キラキラ光る うれし涙
プラチナのように  永遠に輝き
ワクワクするわ 胸のときめき
プラチナのように 永遠に続くわ 



不老会は、献体、献眼で医療の発展・進歩を願う、日本最大の献体組織です。










posted by 花井英男 at 17:54| 戦争・平和

2022年09月26日

悲しみを繰り返さぬよう ここに真実を刻む

 悲しみを繰り返さぬよう ここに真実を刻む 

1988年(昭和63年)12月7日

文章省略


東南海地震旧三菱名航道徳工場犠牲者調査追悼実行委員会









 悲しみを繰り返さぬよう ここに真実を刻む 

東南海地震犠牲者追悼記念碑の由来

文章  省略
2012年11月4日

医療法人名南会
日本国民救援会名古屋南支部
愛知県平和委員会





ほうせんか花2022
朝鮮女子勤労挺身隊
〜つなぐ・・・記憶と継承〜

 先日、名古屋市公会堂で、「ホウセン花 2022」の演劇をを見た。
 名南ふれあい病院の駐車場の中に、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊」の少女たちの記念碑、追悼碑が、ある。
 
 私は、はみんぐ歯科で定期的にお世話になっている。この歯科は、南区忠治にあり、はみんぐ歯科の利用者は、名南ふれあい病院の駐車場を使う。

 きょう、9月26日(月)ちょうど、はみんぐ歯科に行ったので、この記念碑を訪れた。そして、上記の文字を、手帳に書いてきた。

















posted by 花井英男 at 15:14| 戦争・平和

2022年09月24日

献本 林伸豪さんの「僕と啄木と憲法と」

80歳記念の自分史 出版の献本、有難う。
―林伸豪さんの「僕と啄木と憲法と」


 林みす子さんのご主人、林伸豪さんが自分史を出版された。323頁の分厚い本だ。なかなか面白い本で、一気に読んでしまった。家内にも面白いから読んでみなと勧めた。家内も一気に読んでしまった。話の展開が上手で、ついつい読んでしまう内容だ。弁護士活動をしながらご自分の一生を綴ったものです。私も家内も、それぞれ、感想を書いてお礼状を出した。みす子さんからお礼状をいただいた。


 林みす子さんは、肢体不自由児の養護学校、愛知県立名古屋養護学校勤務時代の同僚です。50年以上の付き合いになります。名古屋養護学校時代から現在に至るまで、年賀状の交換などの交流があります。

 私は、臨床心理士として、徳島大学幹事校の認知・行動療法学会があるたびに、徳島を何度も訪れた。お会いして、昔話、近況報告をしています。家族を連れて、徳島の大塚美術館(地元の人は、「大塚御殿」と呼ぶ、)を訪れた時も、自宅のお庭を拝見した。林みす子さんは、結婚のため、徳島へ行かれた。そこで娘さんを育てながら、生協活動をされた。

 徳島を訪ねた時に、林みす子さんから、賀川豊彦記念館、お遍路の寺、第1次大戦当時のドイツ兵捕虜収容所があった跡、を訪ねた。、第九の演奏の発祥の地であること、ドイツ文化が残ることを聞いた。林伸豪さん、みす子さんご夫婦と一緒に、阿波踊りを見に行ったこともある。

 板東捕虜収容所は、今日に至るまで日本で最も有名な捕虜収容所であり、捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行ったとして知られている。

 板東捕虜収容所を通じてなされたドイツ人捕虜と日本人との交流が、文化的、学問的、さらには食文化に至るまであらゆる分野で両国の発展を促したとも評価されている。

 約1000名を1917年から1920年まで収容した。1917年に建てられ、約2年10か月間使用された。収容所跡は2018年度に国の史跡に指定された。現在はドイツ村公園として整備されている。


 本の感想よりも、徳島訪問記を書いてしまった。















posted by 花井英男 at 13:52| 戦争・平和