2020年04月18日

不知火の海に向かって立つ実生の森と野仏

NHK  こころの時代〜宗教・人生〜

「水俣 いのちの海のただなかで」

2020年4月18日(土)午後1時〜


「水俣で建具店を営む緒方正実さんと、叔父で漁師の緒方正人さん。不知火海の網元に生まれ育った2人の人生は水俣病と共にあった。正人さんは6歳で父の壮絶な死に直面し、正実さんは胎児性患者の妹と育った。

水俣病が「奇病」「伝染病」とされた時代。一族20人以上が水俣病におかされた緒方家は、水俣病の象徴的な存在とされた。不条理な苦難を強いられながらも、恨みや憎しみの先で生きる道を見出してきた2人の言葉を聞く。」

以上は、NHKの番組案内の文章の引用です。

お昼ごろに、家内から水俣の「こころの時代」を1時から見るといいよと言われた。この番組の流れは、次のようなものであったと思う。不正確な部分もあるかと思いますがお許しください。

水俣病の当事者らの窒素の会社、熊本県、国との認定を勝ち取るため闘いの歩み、なんと、10年以上の闘いであった。県との交渉、国との交渉の場面、窒素の会社との闘いの場面が出てきた。

水俣病の人たちの、また、魚を食べた猫の、のた打ち回り苦しむ姿の数々の紹介、二人の身内の苦しむ姿の紹介、憎しみ、恨みの気持ちからの出発、認定を取るための、県、国、窒素との闘い、二人の方の交渉のために作成した自筆の嘆願書の映像、交渉場面の怒号、淡々と訴える姿。


すばらしい女性県知事の謝罪と認定、和解の気持ち、汚れた魚を沢山のドラム缶に入れて埋め込む作業。埋め込んだ土地に、実生の森の公園の建設、公園に50か所以上の野仏の設置、今も続く野仏の設置。静かに海を見続ける野仏の姿。


平和を求める祈りの世界へ、実生の森からとれた木材から作ったこけし、「祈り」と刻んだこけしの配布。水俣を訪れる人への水俣病の語り部として活動は今も続く。


二人の当事者が紹介された。一人の人は、父親が窒素の毒に侵されて苦しんで亡くなった。一人は、自分の妹が窒素の被害者として亡くなった。150トンの害毒(工業廃水を無処理で水俣湾に排出していたため、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖による)を不知火の海に流し続けたと紹介された。緒方さん一家のとる魚は売れなくなった。町の人から差別を受けた。これは苦しかった。仲間である人たちから差別を受けた。


安らぎを回復した。うれしい。再び、同じ過ちを繰り返してはいけない。安らぎと落ち着きをようやく回復した。うれしい。祈りの世界である。亡くなった人たちを忍び、過ちを繰り替えさない気持ち。


今、福島では、増え続ける汚染水に地元の人たちは、日本中の人は悩んでいる。不知火の海は復活した。今新たに、福島の原発の汚染水の処理の問題が出ている。人間は、何度、間違いを犯すのだろう。これも大企業の犯した公害だ。チェルノブイリを忘れない。





posted by 花井英男 at 21:07| 宗教

2020年04月16日

「名古屋 歴史散策の旅」 尾鍋明彦さんの本

「名古屋 歴史散策の旅  尾鍋 昭彦」


尾鍋さんから、1冊の本をいただいた。「名古屋 歴史散策の旅」
(A4版)を家内が頂いてきた。110頁の本。
これまで、尾鍋さんが、「めいなん」機関紙に連載をしている記事を時々読んでいた。それが60回に達して終わりとなった。2009年1月から2018年3月まで60回にわたる、「歴史探訪シリーズ」と「歴史から見た町名」という2つの連載をまとめたものだという。

1頁ごとに読んでいくと、名古屋の歴史を知り、人々の歩みを知ることになり、おもしろい。早速、尾鍋さんにお礼の電話を掛けた。「すごいことやったね。素晴らしい本だ」と申し上げた。尾鍋さんも、私も、県立高校の教員として、お互いに愛高教の組合員としてともに歩んできた。

彼は、1級建築士の資格を持つ。建築士の養成の仕事もしていると聞く。建築士の教え子から評判も良く、尊敬されている。緑区有松の有松絞の町並み保存に詳しく、愛高教退職者の会の月例会で有松・鳴海の町のぶらり旅の見学会の案内役をしてくれた。明治村のガイドもしていたと聞いている。

私の出身の瑞穂小学校について、記述がある。「歴史探訪シリーズO 瑞穂区 瑞穂小学校発祥の地 龍泉寺」が面白い。地下鉄「妙音通」の駅の近くに、龍泉寺というお寺が発祥地だ。明治5年学制発布。翌6年瑞穂区では、第二十四番小学井出学校と第十七番小学正倫学校の二つの小学校が開設されることになり、このうち井出学校は本井戸田村の龍泉寺に(現井戸田町)に設置された。その後大喜寺(現大喜町)、天聖寺(現津賀田町)に移り、・・・と記述。


いつも新瑞へ買い物に出かけるとき、龍泉寺の横を通る。また、天聖寺のそばを通る。お盆の時は、大喜寺のお世話になる。町内会の会合は、大喜寺の客殿で行われる。明治30年(1897年)に現在の瑞穂小学校に校舎が新築、移転したという。昔は、寺子屋といったが、このお寺が寺小屋だったんだと想像する。。


私の住んでいる、大喜町についての記述がある。「歴史から見た町名(十四)大喜町(だいきちょう」(瑞穂区) 大喜町の町名は、江戸時代から受け継がれているという。中世から名を残す古い地名であることを紹介している。

私は住んでいる近くに、津賀田神社がある。この神社は、尾張名所図会に出ていたという紹介。  「歴史から見た町名(二十)津賀田町(つかたちょう)(瑞穂区)」 津賀田神社の森は、私は大好きだ。昔はこの森の中からフクロウの声が聞こえてきた。もう聞こえてこない。

この地域は、水の出が悪く、したがって、水田には適さず、麦作が盛んにおこなわれたという。明治から大正にかけて、抜管真田(ばっかんさなだ=むぎわらをさなだひものように編んだもの)の技術を生かした帽子産業が多くあり、農家の副業としても大きな役割を果たしてきたが、今では見ることもできませんと紹介している。

私の近くに、本願寺町という地名がある。 「歴史から見た町名(五十八)本願寺町(ほんがんじちょう」(瑞穂区))  「江戸時代には丸林(まるばやし)村と呼ばれていたが、隣の高田村は浄土宗高田派如来寺があったことから高田村と名乗っていたのに対して、この地は浄土真宗本願寺派の地であったことから、本願寺村と改められました。」と記述している。

などなど読んでいると、面白い!









posted by 花井英男 at 10:39| 日記

2020年04月13日

深見けん二の句

深見けん二の句



最近、初めて、深見けん二という俳人の名前を知った。きっかけは、年会誌あゆち第29号2019年度版(愛高教退職者の会 3月発行)に知り合いの方が、寄せた文のタイトルが、「年をとるといふはこのこと春の風(深見謙けん二の句集より)」であった。

たったこれだけの情報に私の心がビビット響いた。早速、図書館に頼んだら、すぐに3冊が手にはいった。読んでいると、難しい言葉は出てこない。読みやすい。深見けん二という俳人を今までまったく知らないでいた。知り合いの方には教えてもらったことにお礼のメールを送った。

俳句に近づきやすい。俳句の世界を楽しめる。読んですぐわかる俳句はうれしい。

「句集花鳥来」 深見けん二句集 から引用します。
 
江戸菖蒲肥後の菖蒲と刈り束ね

湯どうふを食べて涼しくなりにけり

全山の一樹一石送り梅雨

蔀戸を上げし山河に端居かな(しとみどをあげしさんがにはしいかな)

世話人の浴衣の肩のそびやかし

日のさしてをりて秋めく庭の草

みづひきや母に仕える妻の日々

蜻蛉のかさととまりし石ノ上(とんぼうのかさととまりしいしのうえ)


借りた本は、「句集 花鳥来  現代俳句叢書 深見けん二  角川書店」
 
      「四季を読む   深見研けん二  日本放送出版協会」

      「虚子の天地 体験的虚子論   深見 けん二  蝸牛社」
















posted by 花井英男 at 12:20| 文学・芸術