2020年09月08日

三宅晶子さんの受刑者への就職支援

NHK 逆転人生  2020年9月7日 

午後10:00-午後10:45 

「少年院・刑務所から再出発 “一発アウト”の社会に挑む」


三宅晶子さんは、受刑者の就職支援という大変な仕事をしている.


三宅晶子さんの活躍の番組を見た。
宇梶 剛士さんとゆきぽよさんなど芸能人が出演していた。

三宅さんも非行から立ち直った
中学時代は荒れており、高校に進学したが、1年で退学した。中退後、地元のお好みやで働いた。大学進学を志し、早稲田大学に進学した。卒業後は、留学経験もし、商社に入り、10年勤務した。

 退職後は、人材を育成したいと、受刑者支援の団体でボランティアを行い、その時の経験から、受刑者向けの求人雑誌、「Chance」を発行した。

 ここまでに至る過程は、順調ではなかった。支援をした受刑者が、また刑務所に入ってしまった。その受刑者に刑務所に会いに行って、怒鳴り上げてしまった。やってはいけないことをしてしまった。日本では受刑者のうち3人にひとりが、5年以内にまた刑務所へ逆戻りしてしまう。

 社会へ出ても、住む場所もなければ、働く場所もない、助けてくれる人もない、親類縁者からも見放されてしまう。いっそ犯罪を犯して、刑務所にいたほうが楽だという考えになる。

 受刑者に対する一般の人の目は、厳しく、関わらない、排除する、責める、非難するなどの否定的な態度だ。三宅晶子さんもその間違いをしてしまった。自ら反省したという。

 三宅晶子さんの受刑者の就職支援の仕事は、順調に進んだのではなかったことも紹介された。行きつ戻りつのことあったようだ。

初めのころは、受刑者を雇うという会社はそう簡単に見つからなかった。根気強く、会社開拓をしたようだ。大変な仕事だ。現在では、相当な数の会社が掲載されるようになった。


 受刑者たちを受け入れる社会になっていないということを知った三宅さんは、2018年3月、それまで日本になかった受刑者専用求人情報誌『Chance!!』を創刊した。「絶対にやり直す」という覚悟のある人とそれを応援する企業のための求人誌。

はじめのころ、受刑者への就職紹介雑誌を刑務所に置いてもらうことを依頼したが断られた。 
その後、活動する中で、法務省に掛け合って、刑務所にに雑誌を置いてもらえるようになった。
受刑者は漢字が読めない人が多いことを知った。

「全てのぺージ、全ての漢字にルビが振られていること。これなら平仮名さえ読めれば内容が分かります。受刑者の受け入れを希望する企業が掲載されています。受刑者たちが、一番知りたがっているのは、その会社にはどんな人たちが働いているのか、そして自分はそこで受け入れてもらえるのだろうかということ。


ですから『Chance!!』には社長の顔写真と社長自身の熱いメッセージが掲載されています。受刑者支援に熱心な社長さんは、かつて自分も非行経験がある人が多いそうです。」


「掲載されている会社は「全社身元引受けOK」「全社寮完備」となっています。これはもちろん三宅さんがそういう企業にお願いしているためです。出所後の仕事と住むところが約束されているということは、やり直したいと考えている受刑者にとって非常に大きなことです。」


『Chance!!』は年4回の刊行で、三宅さんはこれを全国の刑務所、少年院、更生保護施設など、全国約240の施設に無料で送付しています。でも、この求人誌を積極的に利用する施設はまだ10ヵ所もないそうです。」

「三宅さんは、受刑者支援団体を通じて受刑者たちに直接届けるようにしました。これまでにのべ1500人の受刑者に届けたそうです。」

「社会への復帰を阻む厚い壁があり、人生をやり直すのは厳しいのが現実だ。罪を償った人がやり直せる優しい社会になってほしい!三宅さんの熱い思いが“人生の再チャレンジを許さない”日本社会を揺さぶっていく。」

三宅晶子さんの支援が益々大きくなっていくことを期待しております。

三宅さん!素晴らしい仕事ご苦労様です!






posted by 花井英男 at 14:24| 日記

2020年09月05日

上遠恵子さん・レイチェル・カーソンの紹介  センス・オブ・ワンダー

NHK こころの時代〜宗教・人生〜
「センス・オブ・ワンダーと生きて」


【出演】エッセイスト…上遠恵子,【語り】柴田祐規子

センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)は、レイチェル・カーソンの著作に由来する言葉。
「自然などからある種の不思議さを感じ取る感性」を説明する為の語。

上遠恵子(かみとうけいこ)  エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長。

レイチェル・カーソンは、「サイレント・スプリング」の著者として知っていたが、詳しいことは何も知らない。

TVでは、カーソンの生い立ちから、生物学者になって、ベストセラーを出版するまでを紹介した。

幼少時は作家を志しており高校の成績も極めて優秀であった。ペンシルベニア女子大学では英文学を希望していたが、生物学の授業を受けたことで生物学分野の科学者を志望するようになった。

ジョンズ・ホプキンス大学の修士課程で遺伝学を学ぶ。当時、女性が一生働ける職業は少なく、そのため科学者という選択は非常に珍しいことであった。

修士課程卒業後はアメリカ連邦漁業局に勤務。1962年『沈黙の春』などの作品を発表。当時まだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招くことなどに取り組んだ。

『沈黙の春』は、これを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、DDTの使用は以降全面的に禁止された。

TVでは、海岸には、鳥たちの死んだ姿が沢山横たわっている映像が映し出された。一方では、農業地帯にトラクターから農薬が散布される映像が映し出された。一昔前、北海道で、農薬を散布した広い農業地帯の中を車でドライブした人が、死亡したとことが報道されたことがあった。

 終戦直後、DDTが日本でもかなり広く使われたことを記憶している。DDTは何も問題はないとと思っていた。DDTといえば、終戦後、日本でかなりつかわれた。

 上遠恵子さんの人生とカーソンの人生は良く似ていると語る。上庭恵子さんは結婚しなかった、兄弟が亡くなり、その子を育てるということになった。カーソンも同じ運命をたどったようだ。

 上遠恵子さんは91歳の今も、幼稚園などに招かれて講演活動をしている姿が紹介された。上遠さんは子どもたちにはどんな小さな子でも、センス・オブ・ワンダーという感性を持つと訴える。


『沈黙の春』の執筆中に癌宣告を受け、1964年4月14日に癌により死去。生涯独身だったが、1957年に肺炎で亡くなった姪マージョリーの息子ロジャーを養子にしている。

 DDT禁止に関する議論はカーソンの死後も続いている。
安価な殺虫剤であるDDTは途上国では田畑での農薬として使用され、最近までほとんど減少しなかった。

 2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされている。しかし、実際にはカーソンはマラリア予防目的であればDDT使用禁止を主張していない。





posted by 花井英男 at 14:57| 自然

2020年09月04日

岡崎愛子さんに学ぶ

岡崎愛子さんに学ぶ


 朝のテレビで、岡崎愛子さんがパラリンピックに向けて頑張っていることを知った。

 岡崎愛子さんの出会った事故は、大変なものであった。
ウィキペディアなどによれば次のような内容である。

1986年大阪府池田市出身。同志社大学在学中に、2005年4月25日のJR宝塚線 (福知山線)脱線事故(福知山線脱線事故)で、首から下が麻痺(頸髄損傷)する重傷を負った。肺挫傷による肺炎で呼吸困難に陥り死を覚悟したが、入院から377日後に退院。2008年に卒業後、ソニーに就職。

お母さんがアーチェリーをしていたことから、2013年頃からアーチェリーに取り組むようになる。
アーチェリーをするときは、パートナーに助けてもらってしているとの紹介。

2019年6月、オランダで行われたパラアーチェリー世界選手権男女ミックス戦(W1)で3位となったことで、2020年東京パラリンピックへの出場枠を獲得した。2019年11月からベリサーブに所属している。

ご自分が置かれた、不遇な状況の中で、頑張って生きておられる姿に感銘を受けました。私は励ましを受けました。有難うございました。




posted by 花井英男 at 09:19| 日記