2017年12月04日

横綱の品格

横綱の品格



最近、白鵬関について、厳しい批判を聞いた。私は、なるほどと思って聞いて帰った。
数日たって、今朝の民放TVで、白鵬関を批判する内容を見た。なるほどと思った。

白鵬の取り口は、勝てばよい、強ければよい。どういう手を使ってもよい。白鵬には、「俺がルール」という考え方がある。という趣旨の指摘だった。


先日も、審判に不服を言うポーズを見せた。それに対して審判部から厳重注意を受けた。
家内は、立会後、張り手を使うことにけしからんという。確かにそうだなああと思う


これが禁じ手すれすれの手であるという。
相撲の取り手については、難しいことは何も知らない。

見当はずれのことを言うかもしれない。
白鵬は、自分自身を、「横綱」に「大」を付けてもいいんじゃない、と自分で言った。

これはどうかと思う。私も、白鵬はすごいなと、日頃から思っていた。しかし、見るべきところを見ている人たちがいる、と思った。

モンゴルから来ている力士が活躍している。
「モンゴリアン チーム」という文字の入った、服というか着物を着て、街を歩いているということが指摘された。

貴乃花関の素晴らしさが紹介された。貴乃花関は、「横綱の品格」という本を愛読していたことが紹介された。

モンゴルから出稼ぎに来ている力士たちが多い。どの国から来ていてもいい。相撲を愛するなら。

朝青龍関、日馬富士関のように、品格のない横綱になってほしくない。






posted by 花井英男 at 10:07| 相撲

2017年12月03日

世界の名作  名犬ラッシー

NHKラジオ深夜便

【俳優が語る 世界の名作】
エリック・ナイト原作
名犬ラッシー(3)
俳優 仲代達矢
4回シリーズ



名犬ラッシーの物語をラジオ深夜便で聞いた。
懐かしいタイトルである。どういう内容のものか私は不確かであった。
仲代達也の語り口のうまさに思わず聞きほれた。


ラッシーは、エリック・ナイト (Eric Knight 1897-1943)の短編作品『名犬ラッシー 家路』の主人公である。この短編は、1940年に小説として単行本化された。


英国ヨークシャーに住む幼い少年が、類い希な美しさと気高さを持ったラフ・コリーを所有していたが、少年の一家が経済的な困窮に直面し、やむを得ずにラッシーを金持ちの貴族に売却した。



少年と犬は別離を悲しみ、新しい所有者がラッシーを何百マイルも先の自分の領地があるスコットランドへ連れていったため、悲しみはさらに募った。


しかし、ラッシーは、勇気で逃げだし、ラッシーが故郷へと、愛する少年のいる土地ヨークシャーへと、家路を辿る苦難の旅を描く。



スコットランドからヨークシャーへの距離は直線で600`。
帰る道は、行ったり来たり、他の方角へ行くこともある。迷うこともある。実際は、大変な道のりになる。3倍以上の距離になるだろうと、仲代達也は語る。


4回シリーズで語られる、道のりはすさまじいものが語られる。疲れ果て、弱り切って、親切な老夫婦に助けられて、何日間も介抱を受けた。
ようやく故里へたどり着く。いつも少年を待っていたところへたどり着いた


posted by 花井英男 at 17:07| 文学・芸術

2017年11月26日

岐阜県根ノ上高原  あかまんまロッジ 訪問

あかまんまロッジ  岐阜県中津川市根ノ上高原
あかまんまロッジ!!!  永遠なれ!!!




「あかまんま」とは、「いぬたで」のこと。夏から秋にかけて、紅紫の小花を穂状につける。あかのまま、あかまんま。俳句の季語、「あかのまんま」、「蓼の花」の地方の訛りの言葉であると思う。私は見たことがない。

子規の俳句に、「いぬたでの花くふ馬や茶の煙」がある。
虚子の俳句に、「ごみすてて汚からずやあかまんま」がある。

あかまんまロッジの奥さんが、「あかまんま」に思い入れがあり、ロッジの名前に「あかまんまロッジ」と名付けたと聞いたことがある。写真であかまんまを見たことがある。

今は、根ノ上高原にある、宿主のいるただ一軒の宿泊施設である。
近所には、民家は一軒もない。山を下りないと民家はない。


保古の湖の水面は静かだ。紅葉した葉がきれいだ。高原の林、古木が並ぶ。遠くに、雪の峰がみえる。


トラックで、馬を4頭くらい乗せてきて、馬術の愛好者が数人練習をしている。


芝生の広場で、3人の小学生がサッカーボールで遊んでいる。


退職して20余年ぶりに、訪れた。
根ノ上高原にあった、「岐阜県恵那市営保古の湖ユースホステル」に生徒たちと、毎年、夏の合宿に来た。

ここへ、愛知県立惟信高校(いしんこうこう)在職中、演劇部の生徒たちと夏の合宿に3泊4日で、保古の湖ユースホステルに滞在した。涼しくて快適だった。


毎年、ここへくるのを生徒たちは楽しみにしていた。
演劇部顧問として、望月先生と何回も来た。彼が転勤して、次には、竹内先生と来た。


当時は、JR恵那駅からここまで、バスが走っていた。生徒たちはバスできた。今はなくなった。
当時、私は、名古屋から車で来た。


保古の湖ユースホステルが、恵那市の事情でなくなり、主人夫婦が「あかまんまロッジ」を近くに、建設した。井戸を掘り、水道水、風呂に使っている。太陽光発電を使用して、家の中の換気に使っているという。


ご主人夫婦の設計による、木造のロッジだ。
標高900m、近くには、岩村城跡、馬篭がある。日本一の田園風景がある。
新築のロッジには1回だけ、生徒たちと泊まった。

国道19号線で名古屋から来た。
麓からここへ車上がってくるのは、当時は平気だった。
今回も、車で上がってきたが、これでもか、これでもかというくらい、遠かった。


建設には、ユースホステル時代のアルバイトをした青年とか、赤尾さん夫婦とのつながりのある人たちが参加したという。


有志の皆さんが、手弁当をもって建設に参加したという。
今でも、当時、建設に参加した人の長靴のあとが、食堂の天井に2つついている。

御主人の許可を得て、青年達が、記念に長靴の跡を天井に残した。


退職して、20年ぶりの訪問だ。玄関で「こんにちは」と何回も挨拶するが、返事がなかった。いるだろうか?
ようやく、奥さんの声が聞こえた。
久しぶりの再会であった。元気そのもの。


四方山話をしていると、ご主人の赤尾さんが帰宅された。「お元気で何よりです」と挨拶した。
昔と変わらぬ元気なお顔だ。固く握手をした。

70歳になられた。私は77才。
夕食の時、昔話に花が咲いた。どれだけ話していていても止まらない。


奥さんの食事がおいしかったという思い出を述べた。奥さんから、今晩は、ジビエの料理を出しますと言われた。ちょうど手に入ったからと。イノシシの肉だという。念願のジビエにようやくたどり着いた。ジビエを一度食べたいと思っていた。うれしい。

当時、生徒たちが昼中、演劇の練習をしていると、
当時、赤尾さんから、「先生、恵那山にでも登っておいで」とよく言われた。


生徒たちは、自分たちで、パンフを作って持参して、木陰で練習した。
生徒たちは、食前に、独特の言葉を言って皆を笑わせていた。
もう忘れてしまった。


私は、2学期の教材(英語)の勉強をしたり、2学期の実力テストの問題作成をした。


今回は、二人部屋に泊まった。暖房を入れて頂いた。部屋の作りは、木材でしっかりした構造で感心した。
トイレは最新式である。ウオシュレットも最新式。
お風呂も清潔で広い。ちょうどいい湯加減。


野草・草花のドライフラワーがロッジの中にそこらじゅうにある。2階からベランダに出ると星空が見えた。
見てすぐ気に入る、版画の小さい作品がロッジの中にいたるところにかけてある。


「素晴らしい版画ですね」と声をかけると、作者の名前とか教えて頂き、展覧会の案内をしてあげると、奥さんが言ってくれた。
赤尾さん夫婦は、この地方の文化人だ。有名人だと思う。


娘さんがニュージーランドに住んでいるので、近いうちに、仲間と訪れる予定だという。スカイプで娘さんと話されるとのこと。3人の息子、娘さんは独立された。


一晩泊めて頂き、付知峡に向かった。

このすばらしい、あかまんまロッジがいつまでも、続いてほしい。

   「あかまんま思い出のロッジ人集ふ」

   「あかまんま憩の宿の老オーナー」

   「冬茜高原の宿変わりなく」

   「雪の嶺湖面静まる山の宿」

   「高原の思い出楽しあかまんま」





posted by 花井英男 at 10:38| 旅行