2021年06月18日

ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む     代表作「日の名残り」を中心に


「ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む」
代表作「日の名残り」を中心に

講師:南山大学名誉教授  橋本恵 先生

テキスト:The Remains of the Days   
     Faber & Faber,1989

  「日の名残り」土屋政雄 訳 ハヤカワepi 文庫

木曜日  10:30〜12:00

名古屋  栄  中日文化センター  
  


いよいよ「カズオ・イシグロを読む」が開講になった。1カ月に一回の講義。待ちに待った。「原書を中心に読むが、受講生のレベルに合わせて対応します。」ゆっくりとした話し方で、受講生のほうを見ながら、いろいろと、配慮されながら話される。

初日から、ハンドアウトを10枚も頂いた。参加者は、30名くらいだろうか。大体、50代、60代、70代、80代だろうか。みんな背筋をシャキッと座って聞いている。受講生の名前を一人一人読み上げ、顔を見ていただいた。

「英詩を読む」講座で一緒だった方が一人いた。他はみな、知らない人ばかりだ。大学の時の英文購読では、英語科の学生には、とにかく、沢山英文に接して、ギリシャローマ神話を読めとか、言われたものだ。必用以上に、英文購読の授業受けた。大学時代には、購読が中心であった。

しかし、この講座では、研究者橋本恵先生から、作品の見方、内容解釈、イギリス性と日本性、イギリス史年表、イギリス王室史年表、カズオイシグロについての英文・WikiPedia、The Elements of Fictionなど資料をいただいた。さらに映画も見て、作品鑑賞をすることになっている。

 かつて、日本語訳を読んだときの感想が少しづつよみがえってきた。映画は見ていないので、楽しみだ。
翻訳の巻末にある。丸谷才一の「旅の終わり」の文章は素晴らしい内容だと、紹介した。この小説は、政界の名士、ダーリントン卿に仕えた執事スティーブンの人生を描いている。ダーリントン卿の失敗を救うことができなかったし、自分自身の私生活も失敗だった。

 ダーリントン卿とは戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物にすぎなかった。新しい雇い主であるアメリカ人がイギリス旅行を勧めてくれるところから始まる。その中に、かつての主人のことも、女中頭とのあれこれのことも。その女との長い歳月の後に出会って悲しい打ち明け話を聞き、それを思い出し、自分の生き方を悔いて、旅に終わりに彼は泣く。

 イシグロの小説を書く手法は、ヨーロッパ、イギリスにある伝統的な、滑稽小説の手法であり、ディッケンズの流れを受け継ぐと、丸谷才一は指摘する。当時のロンドンの政界、私生活、公私双方を上手に織り込ませて描く。大英帝国の没落の姿をユーモアのこもった書き方で悲劇を物語っていく。イシグロは、イギリス小説の伝統を学び、上手に描いた、と丸谷才一は指摘する。多分、これが、研究者・橋本恵先生の言う、「イギリス性」だろう。

 研究者・橋本恵先生の言う、「日本性」とは、日本を描いた作品、「浮世の画家」に出てくるのだろうと思われる。いろんな作品を紹介しながら、イシグロの作品の概観を話された。講義の最後には、皆さんが、拍手した。これからが楽しみだ。

 橋本恵先生は、イシグロは、自宅では、両親と日本語でしゃべっていた、さらに海洋学者である父は、自宅では、着物を着ていた、と紹介した。これから、いろんなエピソードが話されるだろう。楽しみだ。イシグロの奥さんは、アイルランド系のイギリス人だと紹介した。



















posted by 花井英男 at 13:47| 文学・芸術

2021年06月14日

世界一番紀行 ボリビア・エルアルト

世界一番紀行 世界で一番標高の高い街〜ボリビア・エルアルト〜
NHK BSプレミアム 6月14日 午後3:50 ~ 午後5:19 (89分)


 仕事の一休みに、たまたま、BSの「世界一番紀行」を見た。南米のボリビアって、どこらへんだろうと、世界地図を開きながら、見た。日本人俳優の男性が、平凡な家庭で短期間滞在し、温かい交流の体験は感動的だった。

 帰るときになって、その俳優は、裁縫が得意なので、その家のミシンを使い、持っていた唐草模様の風呂敷で、娘に帽子を作って贈り物をした。自分のジーパンの腰の部分を切り取り、息子に、肩から掛けるカバンを作ってプレセントした。この俳優は、私が名前を知らない人だ。大高洋夫という俳優だ。

 俳優は、南米の平凡な家庭に滞在した。この家庭のお母さんは、娘時代に母親の泣くのを振り切って、15,6歳の頃に、街に出て、裕福な家で働き、独立を目指してコツコツと努力し、現在の夫をめぐりあい、現在、3人の子どもを育てた。この夫人は、頑張り屋で、ミシンで民族衣装を作る。現在のご主人は、奥さんがまじめだから結婚したと述べた。


 ボリビアの地図を見ると、高地の地方は、茶色になっている。日本の俳優が訪れたところは、庶民の住む標高の高いところである。なんと、標高4000メートル地帯だ。こんな高いところで普通に生活している。富裕層は、国の中でも、それよりも、700〜800メートル標高の低いところに住む。その地域は、道路に関門所があり、警備員が立っている。貧乏人など庶民は住めないし、入ることさえできない。

 俳優など取材陣がいくと、関門の所で、「あなたたちは入れない」という合図を警備員がする。俳優がお世話になった住宅地は標高の高いところだ。そんなに高いところだと、呼吸がしにくいはずだ。一日の温度差が30度だという。そこで、ジャガイモを乾燥させて保存し、小さくなったジャガイモをゆでて戻して食べる。チーズが一緒に食べるとおいしいという。

民族衣装は、原色に近いもので、カラフルだ。一日の温度差が大きく、マイナス15度にもなる。夜には、7〜8枚の分厚い布を重ねて寝る。その布はカラフルだ。楽しみもあり、街に出て、日本で言えば、相撲のような、レスリングのような競技を見て楽しむ。男同士の対戦ではなく、男と女のレスラーが対戦した。驚いた。

 以下は、番組の紹介文。
「南米・ボリビアの首都、ラパスに隣接した標高4150mの台地には、人口89万という大きな都市がある。酸素濃度が地表の約3分の2、一日の寒暖差が30度という環境の暮らしとは?体力自慢の俳優・大高洋夫が徹底取材。(初回放送:2009年)」
 
 以下は、番組の感想文。
「大高洋夫さんが、世界一寒いところと世界一暑いところに行かれた2回がとても心に残っています。それと、大高さんは優しいな、と思ったのが、特技の裁縫でお世話になった家族に贈り物を懸命に作るところでした。」












posted by 花井英男 at 21:55| 旅行

2021年05月31日

脳科学者・恩蔵絢子さんに聞く

脳科学者・恩蔵絢子(おんぞうあやこ)さんに聞く


先日、NHKのハートネットの番組で、「脳科学者の母が認知症になる」という番組で、娘の脳科学者が、母にどのような働きかけをしたか、を紹介した。

番組では、3つのアプローチを紹介した。

大切な家族が認知症と診断され、症状が進行していったら、どんな気持ちで接すればいいのか。参考になる番組であった。

「母親は5年前、65歳でアルツハイマー型認知症と診断されました。自分自身、やっぱり『なってほしくないもの』と思っていましたし、『母が母でなくなってしまうかもしれない』と感じました。」

「悲惨な未来を思い描くこともあったけど、突然何もかもができなくなるわけではなくて、認知機能はゆっくり落ちていくのであって、時間はあるということにも気づきました。」

「それから、研究者として「記憶を失っていっても、母は母らしくいられるのか」という疑問を意識的に持って接すると、いろんな発見があったんです。」

認知症へのアプローチ、3つのアプローチとは。

@ 散歩でアプローチ
椅子に座ってぼーとしていること、とか、散歩をすることは、記憶の整理ができるという。
親子で歩きながら、「こんな椿始めて見た。」と感想を母は述べた。一緒に歩いた。すし屋で昼食を買い、河川敷で、弁当を広げた。川のカモをを見た。これらの行動は、脳を活性化させる。リラックスすることはいいことだと、述べた。お母さんの笑顔が増えた。他のこともやりたがった。

アルツハイマーは、海馬が萎縮するという。後頭葉皮質の機能が落ちている。デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が記憶の整理をするという。物事を集中している時は、DMNの活動は、活動しない。一方、リラっクスするときは、DMNは活発になる。
散歩でリラっクスするということは、DMNが活性化し、脳にいいということだ。

A 出来ることを生かす。
お母さんの好きだった料理をする。記憶には、エピソード記憶と身体的記憶がある。エピソード記憶は海馬が担当する。身体的記憶とは、自転車に乗るとか、料理をするである。これは、大脳基底核と小脳が担当する。という脳科学からの解説。

ここで、娘の恩蔵さんは、貴重な経験をしたようだ。お母さんに、「次何やる?」という、せっつくような発言をすると、お母さんは混乱してしまうようだ。黙ってみていることが大事だ。作業記憶は残っている。

「人間には、最後まで、自尊心は残る」人間が攻撃的になるのは、自尊心と関係がある。認めてもらえないと攻撃的になる。自尊心が傷つくと、攻撃的になる。

「自分のできることはここにはない。」と思うと、焦燥心が出る。そこをカバーしてやることが大切だと述べる。怒りは、「わたしを認めてよ」という合図だと述べる。

B 感情を動かす。
「どうせ、できないでしょう」、と周囲の人が、思うことはいけない。新しいものに出会うと感情が動く。自宅の近くの山(低い山)に、親子3人でそろって登山をした。母と父と恩蔵さん。「不断にない、特別な体験が感情を動かす。」と、恩蔵さんは述べた。

感情を動かす。「すごい登山だよ」声をかけながら、親子3人で頂上に着いた。
いつもと違うことをすると、記憶に残る。大脳皮質は、状況を分析する。残っているものがある。「母は母である」と思えると、自信ができる。人生の中で学びをしている。

私が見た番組の内容は、以上です。

次に、母親のことで、他の番組(クローズアップ現代)で出演した、記事の紹介がでていましたので、紹介します。

 記憶を補えば、できることは増えるということです。母はアルツハイマー型認知症で、まず記憶を司る海馬という場所に萎縮が起きました。海馬が萎縮すると、現在のことが脳に定着しにくく、記憶が整理しにくいので、うまく判断ができなくなるということが出てきます。

 突然何もかもができなくなるわけではなくて、認知機能はゆっくり落ちていくのであって、時間はあるということにも気づきました。

 それから、研究者として「記憶を失っていっても、母は母らしくいられるのか」という疑問を意識的に持って接すると、いろんな発見があったんです。

恩蔵さん
「記憶を補えば、できることは増えるということです。」母はアルツハイマー型認知症で、まず記憶を司る海馬という場所に萎縮が起きました。海馬が萎縮すると、現在のことが脳に定着しにくく、記憶が整理しにくいので、うまく判断ができなくなるということが出てきます。」

「母はとても料理が好きだった人なのですが、認知症になり、料理をしなくなりました。味噌汁一つとっても、料理はいろんな工程を経て完成されるものですから、何を作ろうとしていたのか、どこまでやったのか、など記憶を維持できないと難しくなるのです。
でも、私がそういう記憶の代わりとして、母に今何をやっているか声をかければ料理が続けられるのではないかと考えたんです。」

「海馬を含む内側側頭葉を手術で切除して、新しい記憶が覚えられなくなった人のある実験があります。二重線で書かれた星と星の間を逸脱せずになぞるという課題に取り組むのですが、その人は毎回「その課題をやった」ということを忘れてしまいました。」

「海馬を切除したことで、意識的にエピソードとして記憶しておくことができなくなったのです。だけど、実験を重ねると、精度よく星を書けるようになったことがわかっています。繰り返しやることで体で覚えていくという、アルツハイマー型認知症で海馬に問題があっても、こうした“身体的記憶”は比較的失われにくいのです。」

「母も料理に関して、包丁を使って皮をむいたり、切ったりする身体的能力は、残っているはずでした。だから、「私が隣で、今何を作っているか、次は何をすればいいのか料理の道順だけを伝えてあげればいい」と考えたんです。実際に、私も一緒に台所に立てば、母は料理をしてくれることが増えました。」

「いまは症状がだんだん進行しているので、難しい部分も増えてきましたが、簡単なことでもお願いするととても嬉しそうな顔をするときがあります。」

恩蔵さん
「例えば、認知症と診断されたばかりの頃の話ですが、母が友人とコンサートに行って帰ってきて感想を聞くと「全然よくなかったわ」と答える。でも2時間後にもう一度聞くと、「ソプラノがよかったわ」なんて言うんです。」

「矛盾したことを言っていると思って戸惑うかもしれませんが、もしかしたら「全然よくなかったわ」という印象は、帰ってきたばかりのときに聞いたので、帰りの電車で友人とコミュニケーションがうまくとれなかったり、何か友人の前で失敗してしまったりして、その感覚が強かったのかもしれない。

コンサートに行くことには、往復の時間も含めて何時間もの時間がかかるわけで、その中では、母も色んなことを感じているのだと思います。」

「うまくいかない時間帯もあったかもしれないけれども、素晴らしい音楽を聴いたということもちゃんと感じている。認知症でない人であれば、「どうだった?」と聞かれたら「良かったよ」とかで終わってしまうかもしれませんが認知症の人は感じたいろんなことを伝えてくれているんだと思います。」

「こんなことはできないはず」と能力を決めつけない
―― お母様が認知症と診断されて5年。症状が進行してきて不安な部分もあるかと思いますが、接する中で大切にしていることを教えて下さい。

恩蔵さん
「できることがあることに目を向けることと、“母らしさ”は失われていないと信じることかなと思います。」

母は新しいことがほとんど覚えられなくなり、最近、デイサービスに行くようになりました。どういう状況か知りたくて、職員の人にどんな様子か聞いたところ「友達がたくさんできて、いつも誰かとお話していますよ」と言ってくれたんです。

それを聞いたときに、私はとても感動して涙が出ました。「人の顔が覚えられるのかな」 と心配していたんですが、母が認知症になっても新しい友達を作れたことがとても嬉しく、素晴らしいことだと思ったんです。「こんなことはできないはずだ」と人の能力を決めつけてはいけないのですね。

「こんなこともありました。私が仕事で落ち込んで、帰ってきたときに思わず母に抱きつくことがあったんですが、母は「誰かに嫌なこと言われたの?」

「あやちゃんに嫌なこという人がいるの?」と声をかけてくれました。これは小さい頃に私に何かがあるとかけてくれた言葉で、そういう母らしさは今も変わっていないんです。」

だから、「記憶を失っても母は母らしくいられるのか」という問いに対して、5年経っても母は私の母だと言えると思います。

――番組に「祖母が私のことを思い出せなくなったり、幻覚があるようで、認知症であることは理解しているけれど、心が追いつかない」という声が寄せられました。
恩蔵さんだったら、この方にどんな言葉をかけますか。

恩蔵さん
「今まで通りにコミュニケーションをとれなくなって、そのことにどうしても傷ついてしまうのは、仕方がないことだと思います。」


恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さんは 脳科学者。
金城学院大/早稲田大/日本女子大 非常勤講師
著書に『脳科学者の母が、認知症になる』
河出書房新社











posted by 花井英男 at 17:44| 健康