2016年06月14日

愛高教退職者の会6月例会

愛高教退職者の会 6月例会

稲沢 あじさい寺(性海寺)と荻須記念美術館
2016年6月14日(火)

名鉄国府宮駅 1時集合

荻須記念美術館常設展見学
あじさい寺(大塚山 性海寺・しょうかいじ)のあじさい鑑賞とお参り



天気もよく30名集まった。この地元に住む元高校教員の会員が案内してくれた。

懐かしい人に何十年ぶりに合った。初任校・緑ヶ丘商業高校で一緒だった、Kさん。84才。最初、Kさんと分からず、名前を聞いて、もしかしてKさんでは?やはりそうだった。久しぶりの再会で握手。

 (イギリスのノーベル賞作家)・ゴールズワージーのフォーサイトサガ(フォーサイト物語)の読書会をしたねーと。退職してからの、積もり積もった話、彼の郷土史の研究の話を聞いた。あゆち俳壇の僕の俳句を読んでいると言ってくれた。

Kさんによれば、江戸時代頃から人口の川をこの地域で掘り、作った話。小さな川が流れているが、歴史がある。ここ、国府宮(こうのみや)は、地域の首都だった。水の役所があった。はだか祭で有名。名古屋に次いで、文化財が多いという。


Kさんから、最近している古文書の研究の難しさを聞いた。
こういう古文書研究への国の政策の貧弱さを嘆いていた。学芸員の任期が2年限定で、継続性がなく、専門性が発展できない仕組みだという。

安倍は早く辞めてもらわなければいけないと。文化政策の貧弱な安倍政権には一刻も早く退陣を願う。


2匹の愛犬と参加した、静かなFさん。大人しい、人懐っこい、聡明な、青年の犬と老年の犬。皆さんから可愛いと言われ、仲よくしていた。Fさんから、あゆち俳壇の私の句を読んでいると言っていただいた。
最初、Fさんと気づかず、もしかしてFさんと訊ねた。そうだった。


昔、この地方は、紡績工場が盛んだった。ガチャマンと言われた。織機がガチャンというと、何万円ともうかったという。中卒で十分間に合うと言って、高校を作らなかった愛知県。

今は、その紡績工場の後に、公園と稲沢市荻須記念美術館、名古屋文理大学のキャンパス、稲沢西中学校等が建つ。


堀尾一郎先生の大きな壁画(はだか祭の絵)の紹介があった。
堀尾先生は、一宮ばかりでなく、この地域にも作品が行き渡っている。

先生は、この地域の高校、木曽川高校、越工業高校、一宮工業高校と歴任した。一方、二科会評議員として活躍している。帰りのバスの中から壁画を見た。大きい。
本日の案内役の、美術教師だった山内先生から聞いた。


荻須記念美術館では、係の女性から作品解説を聞いた。
東京美術学校時代の、父親の絵と、パリ留学時代の絵の比較を見て、同じ油彩画でも、全く違っていた。歴然と違っていた。パリ留学時代の絵には、力がこもっていた。

荻須はパリの普通の建築を好んで描いたという。有名な建物ではなかった。荻須が愛着を込めて描いたのは、石造の建物である。パリの風景は、平凡な風景である。もう一つ、イタリアのベネチアの絵を好んで描いた。これも有名な所ではなかったという。やはり愛着を込めて描いた、ヴェネチアの建物だ。その色合いを楽しみたい。


晩年になると、絵に明るさが出てくるという解説があった。だれしも、画家が晩年になると画風が明るくなるという傾向がある。

記念美術館の建物は、なかなかスタイルがいい。かっこいい。
荻須記念美術館は、稲沢出身のであるので、パリを中心に活躍した画家荻須高徳の業績を讃えるために、また、市民の美術文化振興に寄与するために、1983年に建設されたという。常設展とともにほかに写真の展覧会も開かれていた。素晴らしい作品ばかりだった。プロですかと聞いたら、アマチュアだと言っていた。

荻須がパリで、使用していたアトリエの復元施設なども見学した。吹き抜けだ。


あゆち俳壇の鈴木仁さんといろいろと話が出来た。80才になられた。
体力に限界を感じているとのこと。

帰りの電車の中でも一緒になった。性海寺で、むくろじの数珠を買ったと言われ、見せて頂いた。真っ黒の数珠である。「むくろじ」という言葉も知らなかった。季語である。

東京都知事のマスゾエの話が出た。執念深い男だ。引き際が悪い。

私は、岡崎の心療内科に勤務していることを話した。岡崎に関心を持っていること、岡崎は、お寺が多いことなどを話し、岡崎のお寺の話をしばらくした。先生は、「時宗」というかわったお寺があること、古いお寺もある。岡崎のお寺は、一向一揆の本場だったことなどを話してくれた。。

先生も仏教信仰に関心がある。

また、例会で会いましょうと言って別れた。
先生の家は、岡崎の北の方で、岩津天神の方だという。




posted by 花井英男 at 20:32| 旅行

2016年04月05日

愛高教退職者の会 名瀬地区 花見の会

愛高教退職者の会 名瀬地区 花見の会
4月4日(月) 
地下鉄 今池2番出口 10:30


 毎年の楽しみになっている花見の会。千種区のみずのみち散策。
地下鉄から出て、街の中の桜並木の道を雨の中歩く。久しぶりの再会でお互いが挨拶をして、歩きながら話す。会うのが楽しみである。

歩きながらの会話がいい。村上さんが文学作品の研究をしながら、文化講座で発表しているので、そのことを話すと、壺井栄の「24の瞳」はいま読み返すと、素晴らしいものがある、是非、読むといいと勧めてくれた。また、徳川家康に関心を持っていると伝えたことに関連して、松本清張の講談社文庫の「徳川家康江戸幕府を開く」が面白いといった。

 かつての同僚だった荒川さんは、3人の男の子のお孫さんの世話をしていることを話してくれた。娘さんが私の教え子だ。大学の先生をしながら、勤めているようだが、育児休暇などとっていたら、自分の職が危ないという雰囲気だという。これが日本の現状だ。女性が安心して、育児休暇を取れない現状。

 高田さんと久しぶりに話した。新英研のことだ。安井さんの活躍ぶり。山田清文さんの活躍ぶりを話した。

 あいにく雨だが苦にならない。消息を聞きながら、歩く。

 名古屋の街はずいぶん変わった。


 昔、国鉄のアパートのあった所は、跡形もなく、高層高級マンションが建つ。店も名古屋の店でなく、東京の店が出ているという。


 急な階段をのぼり神社の中へ。土地の氏神様を祭ったという蝮が池八幡神社(まむしがいけじんじゃ)。蝮が沢山出たから。

 名古屋城を築城した頃、庄内川などから水を引きため池を作り農業をした。大きな池だったというが今はない。

 急な坂を下りて、行くと、三角形の土地の水たまりに祠というかお祭りがしてある神社。開発工事をした時、事故が起きたので、お祭りをしたという。急な坂を下りながら、ここの住民は自転車だと大変だろうと言いながら急な坂を下りる。町の名は、高見町。地名と地形が合う。ブラタモリ流の解釈だ。

 降りた所が、地下鉄池下駅方面。池の下。 ここは昔、広い敷地の淑徳高校があった。引っ越しの時、生徒が一人ひとり、自分の机を持って運んだという。今は星ヶ丘に移った。

 ここから(高見町の丘の上から)、南を見ると、厚生年金会館のあった所に、高層マンションが聳え立つ。まったくの驚きだ。
 始めて見た。

 この辺は、古川美術館がある。古川美術館には長らく来ていない。

 懇親会では、「きょうよう」と「きょういく」の話を会長の村上さんが紹介した。

「きょうよう」とは、今日、用事があること。
「きょういく」とは、今日、行くところがあること。
 元気に生活しようという話。

 懇親会では、お互いにざっくばらんの話し。

 目の前に座った、本田直子さん(前委員長)に話しかけた。
「今の委員長は女性だね」
 現在、愛高教の委員長は、女性、3代目。女性の活躍はすごい。家庭科の先生だ。本田さんは、物理を教えていた。

「ドラゴンズが昨日は勝ったね」と私が、どらきちの宮崎さんに言った。「まだ、優勝の望みはあるよ。打て
んからなあ」という返事。

 伊藤武和さんが、「中区の戦争体験記」を出した。「200円です。買ってください」と挨拶。よくもまあ頑張るなあ。感心する。一日、2万歩歩くと言っていたが、今、一万歩にしたという。宮崎さんが3千歩にしとけよと、アドバイス。私は、5千歩を目指す。
 花見の会の参加者は24人。みんなが、生きて顔を合わせるだけでうれしい。

 また、来年会おうと言って終わった。


posted by 花井英男 at 11:25| 旅行

2016年04月03日

愛高教退職者の会西三河地区 花見の会

愛高教退職者の会 西三河地区 花見の会
4月2日(日)
菅生神社 10:30集合



 家康のこと、岡崎のことをもっと知りたいという気持ちで参加した。この神社の読み方を知った。「すごうじんじゃ」「すがふじんじゃ」

 岡崎城の前の川を「すごうがわ」、「すがふかわ」、菅生川というと聞いた。乙川は上流の方の読み方だと。

 竹千代が幼少の頃この川で遊んだという。

 あゆち俳壇の鈴木仁さん、愛教大学附高校時代の魚住さん、初任校・緑ヶ丘商高時代の牧さん、幹事の津田さんに挨拶。「お元気で何よりです」と挨拶。お互いに生きていることを喜び合う気持ち。


 私の俳句の師匠、鈴木仁さんは、かなり高齢なのに、背広、ネクタイ姿、背筋がピンとしている。若い!!! 車椅子の人を介助している。日頃のあゆち俳壇のお礼を申し上げ、握手した。懇親会の挨拶で、季語「春愁」(しゅんしゅう)の気分だと言われた。
「歓楽極まって哀愁湧く」の意味。なるほど。


 牧さんは、地元知立の人と村芝居に取り組む。村芝居がもともと盛んな土地らしい。93才のおばあさんも参加しているという。今年も上演するという。ひげを伸ばしている姿を見て、牧さんとは思わなかった。昔の通り、挑戦的な話しぶりが残る。緑ヶ丘商高時代の同僚の最近のことを話しあう。


 愛教大学附高校時代の同僚、魚住さんは、この菅生神社のそばが実家だという。今日は、魚住さんに岡崎城の周りの庭園など、懇親会場を案内してもらった。

 六所神社に行ったこと、神社前の松の大木に驚いたと話すと、岡崎高校通学時代、そばを歩いたという。家康ゆかりの所を教えてほしいと頼んだら、「伊賀八幡神宮」は、家康まつりの出発地で行くべきだと教えてくれたので、帰りに早速バスで行った。格式の違う立派な神社だ。すぐそばのお寺も面白いものが出口にあり、ちょっとのぞいてみた。

 先月の例会は、安城の家康の祖先ゆかりの土地、お寺など訪ねたようだ。
松平家は、安城松平、孝田町の方の松平家、豊田の松平などいくつあるようだ。弱小大名だったので苦労した。

 松平がどうして徳川となったのかという疑問が誰かから出た。これも学説があるようだ。松平家研究というのがあるようだ。これも学説がある。

 大樹寺のエピソード(桶狭間の戦いで今川が破れ、織田に追われ、家康が命からがら、大樹寺に逃げ込み、和尚に助けられ、説教を受けたという)も嘘だと地元の人は言う。

 岡崎城のガイドはこのエピソードを話す。



 懇親会会場で、篠原信子さんに出会った。高齢で、付添付きで車椅子で参加された。この人が篠原さんとは気が付かなかった。紹介されて分かった。何十年ぶりに会った。風貌が変わってしまった。
 かつて障害児学校に勤めた時に、一緒に活動した。彼女は、退職後に、障害児のための施設づくりに努め、いくつかの作業所の運営に携わる。この高齢で。

 いくつになりましたかと聞いても、プライドがあるのか答えない。80代半ばか、90近くだろう。
 彼女の献身振りには驚き、頭が下がる思いだ。ご主人は、校長まで勤め、絵を書いている。いくつかの施設の名前を言う。彼女の執念のような取り組みだ。本当に素晴らしい。愛高教から、施設への寄金をもらった。 村上会長から、「柔和なお顔になりましたね」と言われた。参加してよかった。彼女に会えて。

 山岡荘八の「徳川家康」をいつかゆっくり読みたい。

 本日は、40名が参加した。8千歩以上歩いた。昨年は60名位だった。
posted by 花井英男 at 16:34| 旅行