2020年09月13日

小さな旅ー大分県日田市ー

小さな旅  NHK
2020年9月13日

「滔々(とうとう)たる水郷(すいきょう)〜大分県 日田市〜」


番組紹介の記事。

「大分県日田市は、山々から幾筋もの川が注ぐ水の恵み豊かな町。古くから伏流水を生かし、みそ作りや鵜飼い、陶器が受け継がれてきました。伝統を大切に生きる人々の物語。」

この番組では、大分県日田市の、味噌の老舗の紹介、数百年続く伝統の鵜飼、これも古い伝統のある小鹿田焼(おんたやき)の窯元を紹介した。

 番組では、百年以上続く古い老舗の味噌づくりの店を紹介していた。味噌を作る過程を詳しく映像を紹介した。こんな味噌を飲んでみたいと思った。

 驚いたのは、鵜飼があることだった。数百年続く、伝統のある、鵜飼だと紹介していた。豊臣秀吉の部下が取り入れたものだと紹介していた。

 この鵜飼を受け継いでいる、鵜匠は現在59歳になるが、父が、がんで58歳で亡くなった。この鵜匠は、20歳のころ、親に反抗して荒れていた。
 親類の叔父から、「鵜飼を継ぐ気がなければ、他の人に受け継いでもらうがどうだ」、と聞かれた。「他の人に」という言葉にカチンときて、「オレが受け継ぐ」と言った。

ところが、やり始めて見ると、鵜がいうことを来てくれない。難しかった。親父が入院していた病院から出てきて、8か月間、手取り足取り教えてくれた。そして8か月後に亡くなった。鵜は一度叱るとなかなか信用してくれないという性質を持つ。

現在、日田市に来るお客さんたちは、船から鵜飼を楽しんでいる。この鵜匠が、お客の乗った船に鵜と一緒に近づいて、観光客に鵜の首をなぜてもらっていた。

 もう一つ、小鹿田焼(おんたやき)の窯元を紹介していた。陶土を作る古い水車の映像を映していた。古い、古い水車だった。陶土を水車で作るのだという。焼き物を作るまでの相当な過程があることを知った。若い40代の男性と父親が小鹿田焼を作る過程の映像を紹介した。私は、この焼き物の里を訪ねた時、買った、皿を今も使ている。

 父親のそばで、10代のかわいい息子が何かして遊んでいた。「僕も父の仕事を継ぐ」という発言をしていた。お父さんの穏やかな顔、子どもの尊敬の気持ちが感じられた。おじいちゃんと、子どもと父親が縁台に座ってスイカを食べていた。

 40代のころ、私は焼き物の関心を持った。同じ興味を持つ、職場の同僚の博多の実家に泊まり、福岡県から、車で大分県の小鹿田焼の窯元まで行った。奥深い山里だった。ここの、窯元を2,3軒回って、食器や皿を買って、送ってもらった。夢中で山の中の道を走った。帰りは友人と別れて、耶馬渓 を通って、レンタカーの一人旅だった。その時のコ−スは覚えていないが、多分、大分まで出て、JRで帰った。新幹線で帰ったことは覚えている。






posted by 花井英男 at 11:53| 旅行

2020年05月06日

ヨーロッパ・魅惑の島紀行

NHK/BS3   2020年5月6日
ヨーロッパ・魅惑の島紀行


旅慣れたヨーロッパの人々はバカンスシーズンになると、こぞって離島を目指すという。

ゴールデンウィークの最後の日、たまたまこの番組を見た。なかなかおもしろかった。


少しの時間、うっとりと見とれてしまった。


ヨーロッパの人々が注目する離島への船旅。島々に色濃く残るのは、大陸以上にヨーロッパらしいエッセンス。


最近まで封建制が続いた英王室属領サーク島の案内人は23代目領主。島の人たちと挨拶を交わしながら、島をめぐる。

サーク島
ウィキペディアによれば、
Sark (英語)、Sercq (フランス語)
サーク島(英語: Sark)は、ヨーロッパのイギリス海峡にあるチャンネル諸島に位置し、イギリスの王室属領である。
人口600名の島。領主がいる。領主と言ってもなにの権限もない。島の人たちの名前を全部知っていて、会うごとに皆さんと挨拶し、島民と挨拶を交わす。領主とともに島をめぐる。チャールズ皇太子も来たと紹介する。


自動車の使用が禁じられており、島民および観光客は馬車かトラクター、近年になって許可された自転車で移動する。そのため、バスや消防車、救急車もトラクターが牽引するものになっている。


舗装道路や街灯などは基本的には無く、観光名所となっている断崖絶壁の道だけ唯一コンクリートによって舗装されている。標識も目的地までの距離ではなく、目的地まで徒歩で何分かかるかで表示。

島には空港はなく、船によってのみ渡航可能となっている。

宿泊施設
宿泊施設は十分に整っている。
ホテル - 6
ゲストハウス - 10
自炊施設 - 18
野営地 - 2
移動手段
自転車を貸し出す業者が3箇所、馬車を貸し出してくれるところが2箇所あるので、それらを利用して島内を移動することができる。


バイキング時代の名残をとどめるデンマーク王国フェロー諸島は、島一番と評判の美少女と。この女性は、両親も認めるボーイフレンドがいる。島を出てデンマークに行くが、島に戻る気持ちを持つ。


フェロー諸島
デンマーク本国は1973年に欧州共同体(EC)に加盟したが、フェロー諸島は本国とは異なる独自の外交路線を歩んでおり、現在も欧州連合(EU)には加盟していない。

デンマークから船で30時間かかるというフェロー諸島。島の人達の生活は、魅力的ですばらしい。
フェロー諸島は北欧の沖、ノルウェー海と北大西洋の間、アイスランドとノルウェーの中間付近に浮かぶ。涼しい夏と温暖な冬がある。冬は曇天で、霧と強い風の日が多い。島は多少の起伏がある荒涼とした岩場で、海岸は崖が多い。


フェロー諸島は、18の島々からなっている。
中世から羊の放牧が行なわれ、諸島内には羊が9万頭いると言われる。ナイフで、羊の生ハムを切る場面が出た。おいしそうな生ハムに見えた。


フェロー諸島は、音楽や伝承の宝庫である。世界的なアーチストが出ているようだ。フェロー諸島の人々にとって祭りやクリスマスなど時季折々に欠かせないのが、チェーンダンスである。

人口は、48350名
ノルウェー西部からやってきたヴァイキング(ノルマン人)が島を支配、11世紀頃にはノルウェー領となりました。現在に至るまでデンマーク領となっています。


大都市のようにこれといった観光施設はないが、昼間はのんびりと小さな町の可愛らしい風景や島の大自然の絶景を目に焼き付け、夜には魚介類をはじめとした美味しい料理に舌鼓を打つ店がある。


大航海時代の要衝ポルトガルのアゾレス諸島は、先祖代々、島に暮らす青年と巡る。


アゾレス諸島
アフリカの左上に位置にあり、天気予報の説明の時に、「アゾレス諸島」という言葉が出てくるときがある。大西洋の中央部に位置するポルトガル領の群島。


捕鯨および遠洋漁業の基地としても使われたほか、現在は温暖な気候から保養地として人気がある。
ポルトガル沖約1000kmの大西洋上に浮かぶ島。






posted by 花井英男 at 11:39| 旅行

2019年06月11日

三河一向一揆の舞台 本證寺を訪ねる

愛高教退職者の会  6月 月例会

三河一向一揆の舞台

本證寺を訪ねる

2019年6月11日(火)13:05〜16:00

集合場所:名鉄 西尾線 桜井駅


桜井駅から、あんくるバス(100円)に乗って、野寺本證寺まで行った。
山門で集合した30人以上の参加者は、退職者の会員の廣田純子さん(安城市歴史ガイド)から、自己紹介を聞いた。

パンフレット「安城 歴史の散歩道 三河一行一揆の舞台 本證寺を歩く」 安城市教育委員会発行を頂いた。昔の人々の信仰の姿が描かれている。

廣田さんは、初任校が、新実南吉が務めたということで有名な県立安城高校、最後が西尾東高校だった。退職後、安城市歴史ガイドをしている。数学を教えた。


集合時間には雨が降りそうで、はらはらした。途中で小雨が降った。最後は晴れた。
本證寺は、13世紀、親鸞の弟子、慶円(きょうえん)により開設されたと伝えられている。二重の堀と土塁を持つ、全国でも珍しい「城郭寺院」として知られている。

山門に向かって、左側に赤い蓮、右側に白い蓮が植えられていると言う。今年は遅れていて咲いていない。
山門から歩きはじめて、昔の荘園時代?寺領の広さの感じを知るために、現存する堀とか土塁を見るために、街の中を歩いた。しばらく歩くと、昔の外堀の跡と思われる蓮池が残っていた。

一揆の時の、門徒側か、家康側かどちらの物か分からないが、田んぼから、鉄砲の弾などが出てきた。ガイドの図で紹介した。

例えば、熱田神宮の昔の範囲の大きさは、神宮前や国道沿いの石碑で示されている。驚くくらいの大きさだ。

街の中を歩いて、寺領の大きさを知った。寺領の中に、武士も住んでいた。昔の武士の子孫の家の紹介もした。本證寺公園の構想があり、民家の協力を得て作ると言う。


次に、寺の境内の中に入って、昔の土塁の跡を見た。一揆の後、土塁は埋め戻され、低くなった。内堀と外堀という二重の堀に囲まれていた。


庫裏をかこむものが、2つあり、その外側に東西約320m、南北約310mに及ぶ外堀があった。
堀の底から、土塁の上までの高低差は5.4m以上あった。この土塁の見学をした。


次に、本堂の中に入って、廣田さんの説明をじっくり聞いた。

一向一揆の発端を聞いた。恥ずかしい話だが、私は、一向の意味を知らなかった。ただ、「南無阿弥陀仏」と、唱えると言う意味だ。浄土真宗の信者は、「南無阿弥陀仏」を唱える。浄土宗も同じだ。家康の兵糧集めに怒った、門徒らが、浄土真宗の門徒らの一揆ということで、一向一揆という。

1563年ころ、家康が23歳頃に、兵糧を集めるために、寺の不入権(租税免除と治外法権)侵害が発端となった。
一向一揆では、家康軍を相手に、よく戦ったが、5か月後に和議が成立した。
本證寺は、他の三河三か寺とともに、領主の家康と争った。いったん和議が結ばれたが、巧妙な家康が裏切り、家康から一方的にだされた改宗命令を拒否したため、坊主衆は追放となり、建物も破却されたと伝えられている。

家康の伯母石川妙春尼の尽力もあり、一揆の罪は赦免された。

中略

江戸時代に三河三か寺は、本山―中本山―末寺という本末制度のなかで、本證寺は、中本山の地位を得た。檀家は少ないが、末寺が支えるから、食っていける。「中本山」というのはそういう意味だ。


今日の本證寺の寺観は、江戸時代を通じて、順次整えられた。今日の姿、鐘楼、裏門、鼓桜、経蔵、庫裏、本堂はこのようにして出来上がった。鐘楼は普通のお寺にはないものだ。お城のような構えだ。鼓桜の柱も、普通のお寺のものとは全く違う。

柱には、7月10日に琵琶法師による、相続講の案内のポスターが貼ってあった。
帰るころには、晴れていた。晴れ男、晴れ女の集まったからであろう。運が良かった。

あゆち俳壇のメンバーが集まった。選者の鈴木仁さんに今回の吟行の案内のお礼を申し上げた。
久々に、あゆち俳壇のメンバーに挨拶をした。5人の常連が集まった。8月号の「あゆち俳壇」に、今回の参加者は、吟行の名作を出してくださいと、鈴木仁さんから、激励の言葉を頂いた。

色々分からないことを、廣田さんや他のメンバーにに質問をして、教えて頂いた。浄土真宗と一向一揆との結びつきが分かった。帰るころには、空は晴れた。

駅まで歩いて行こうということで15分くらい歩いた。安城の広い麦畑をアンクルバスの中から見た。もう麦刈りを済ませた所もあった。懐かしい風景だ。日本のデンマークと言われる安城の風景は、のどかでいい。
久しぶりに外出ができた。




posted by 花井英男 at 18:17| 旅行