2018年06月19日

岐阜県・岩村 歴史探訪

歴史探訪 岐阜県岩村

日本三大山城の一つ
戦国の世に凛として生きた女城主の里
岩村城跡を訪ねる

2018年 6月 12日(火)

愛高教退職者の会 6月例会



台風が去り、好天に恵まれた。久しぶりに、退職者の会のハイキングだ。
家内が高校生時代、下宿して、県立岩村高校に通った。家内にとっては故里だ。過疎化が進み、県立岩村高校は、廃校になり、今は、特別支援学校となっていた。
2,3回在職中に、同僚と、家内の案内で友人と来たことがある。

今回は、幹事さんの計らいで、マイクロバスで行ける。交通機関だと、3千円かかるところを2700円で済んだ。

金山の市民会館に集合して出発した。
お互い知り合いが多い。ちょうど、この日は、米朝首脳会談の日だ。うまく行くだろうと思ったがやはり気になる。

幹事さんにお礼を言って、バスに乗り込んだ。


隣に木村さんが座った。同じ高校に勤務したことがないが、スキーに行ったり、在職中から知り合いだ。彼の「オー!人生合唱団」のコンサートに参加したりした。歌の得意な木村さん。
お互いが今何をしているか交換し合った。お互いが気持ちよく話せるのがうれしい。


合唱団はコンサートをするごとに、CDを発売しているという。近くにコンサートをするという。


早速、彼は、岩村の地図を広げた。300円の地図。彼は、新任校で、地学を教えなければいけなくなった。彼は、物理(名大・理学部出身)が専攻、同僚の山崎君(愛教大・地学出身)が教えてくれるということで、自分でも努力して、地学の勉強をして教えたという。

こんなエピソードは初めて聞いた。山崎君は、私の近くに住んでいて、隣のスーパーに買い物に来て、挨拶を交わす間柄だ。お互いが、老体をいたわり合い、励まし合う間柄だ。

理科や社会科の教師は専門外のことを教えなければいけないことが多い。
高校の教師の中には、このように勉強している人もいる。慶応の通信教育の大学で歴史を学ぶ人もいる。


彼は、早速、幹事が配った、岩村の観光案内の地図を広げた。方位記号4が指す北を調べた。観光地の示す方位記号と専門の地図の方位記号が食い違っていることに気が付いた。観光地図の方位が間違っていた。

山を見て、断層があるのかどうかを見るのが楽しみのようだ。私にはまったくちんぷんかんぷんだ。


さて、高速に乗って、すぐに、道の駅 おばあちゃんの市・山岡に着いた。家内の故郷・山岡・実家の近くだ。日本一の水車が回っている。小里川(おりがわ)をせき止めて、ダムを作った。大きな小里湖(おりこ)は深緑だ。この店は人気があるようだ。


トイレ休憩で、ここで、地元のおばあちゃんたちが作った、五平餅、山吹など野菜、「ほうばずし」などを買う人もいる。水車の周りを歩いた。よくもこんなに大きなものを作ったものだ。家内の同級生が、町長になって作ったという。ここまで名古屋から買い物に来る人もいるという。

寒天の里で有名な、山岡を通って、標高721mの岩村城跡に着いた。途中で、明知鉄道の電車を見た。いつか乗ってみたい。

参加者全員が、老体を引きずって、岩村城のあるところまで、急な坂道を歩いた。途中に、家臣の屋敷跡があるというが私には分からなかった。城のあった頂上が721m。ここで昼食をとった。

明治維新で廃城になったという。古木が天を衝いていた。蝶が飛んでいた。こんな高いところによくも城を作ったものだ。戦国時代はは見晴らしの良い、山の上に城を築いたと言う歴史がある。だんだん、低い山に城を築き、最後には、平地に城を築いた歴史がある。

現地参加の2人と連絡を取り合い、彼らが登って来た。桂野さんが愛犬を連れてきた。愛犬は、賢く、大人しく、人好きで、愛想を振りまき、他の観光客からも声をかけられていた。

家内から、岩村から、実践女子大を作った、下田歌子が出たこと、江戸末期の儒学者、佐藤一斉、植物学者、三好学などが出ていることを聞いていた。私には関心がなかったが、今回は違った。

岩村の民家の一軒一軒の玄関に、佐藤一斎の教訓の言葉を書いた、木片がかかっていることに初めて気が付いた。地元の人が、佐藤一斎をこんなにも愛しているのかと思った。街の中を読みながら歩いた。


今日は、岩村を違った目で見てみようと思った。
観光客を、高齢の人が笑顔で案内していた。岩村城というと、織田信長の叔母、「おつや」の善政で知られている。一方、織田信長の残酷な一面を示した、悲話でも有名だ。

皆さんが、カステラとか、岩村醸造でお酒を買ったりした。私は、アイスクリームを食べた。城下町マップに従い、岩村本通り、城下町(重要伝統的建造物保存地区)を歩いた。「人々の生活の歴史に触れる場所」ということで、昔の面影を残す商家や旧家、なまこ壁が見られた。民家訪問が気楽にできるように案内していた。志納金を求める家もあった。

私はマイペースで歩いた。今回は、新しい見方で、岩村を発見した。佐藤一斎を発見した。佐藤一斎の「言志四録」は岩波文庫、講談社学術文庫などいくつか出版社からも出ている名著であることを発見した。西郷隆盛にも影響を与えたと言う。


7月例会は、瀬戸の陶磁資料館見学だ。楽しみだ。















posted by 花井英男 at 10:18| 旅行

2018年04月06日

愛高教退職者の会 花見の会

愛高教退職者の会

名瀬・知多地区花見の会

2018年4月5日

荒子川公園(中川区) あおなみ線荒子川公園駅




好天に恵まれ、荒子川公園に20名近くが集まった。荒子川公園は、最後の勤務校、県立惟信高校の近くであり、時々来たことはあったが、広大な公園の中には入ったことがない。


なつかしい顔が集まった。気さくに話しかけることが出来る人たちだ。始めに、幹事の後藤さんから、案内板の前で、荒子川公園の歴史を聞いた。


昔、物資運搬の交通網として、名古屋市内に中川運河などいくつか運河が作られた。荒子川は、その一つであり、その運河を結びつけて、運搬する機能を持たせようとしたが、途中で、交通機関の発達とともに、必要性がなくなった。


昭和の後半に公園として整備された。公園の規模としては、かなり大きいものであることが、皆さんと歩いているうちに分かった。

名古屋市内には、白鳥公園、鶴舞公園、大高緑地、徳川園、庄内緑地、山崎川、昭和区の新しい公園など桜などで有名な所がある。


ここはラベンダーで有名である。桜でも素晴らしい所である。桜は、すでに先週満開であった。所どころに、八重桜が咲いていた。


新緑、葉桜の時期になっていた。久田さんは、在職中に、遠足にここへ来たと話してくれた。キャンプ場でバーベキュウをした。

園内を一周する形で、歩きながら、近況を話ながら、交流をしながら歩いた。
お互いが勤務校を話ながら、昔のことを話した。


子どもがお世話になった学校の先生にお礼を言いながら歩いた。
公園の中の道は、桜並木になっており、先週はすごい人出であった。
並木道は、車が入れないので遊歩道だ。


川沿いに名古屋港方面に歩いた。23号線を渡った。全部で8千歩歩いた。
公園の中は、キャンプ場有り、日本庭園あり、ラベンダー園あり、お店有り、屋台有り、ベンチ有りゆったりできる。



幹事の高田さんから、今年の総会は、傘寿だから出席してくださいと案内を頂いた。気配りをして頂いてうれしい。


公園内を一周して、マイクロバスで会場に行った。「木曽路」で交流会になった。
ここでは、毎日どんな生活をしているか、どんなボランティアをしているか、お互いが気さくに話した。


地域で、子どもたちに学習支援、食事支援をしている本多さんは、熱心に活動状況を話してくれた。自分の体をいたわりつつ活動している。

自分の小学生、中学生、高校生時代の先生の思い出を話してくれた人もいた。
奥さんが3歳まで満州にいて、自分が生まれた所に行きたいということで、満州に行かれた。もう少しで孤児になるところであったという。


めーグル号に乗って、市内観光をするボランティアをした荒川さんは、名古屋市内には、観光の名所が結構あり、名古屋は素晴らしい所だと言っていた。


私の前に座った、ご夫婦とは、話が弾んだ。安城養護学校で退職された女性と大学教員の御主人であった。私の新任校・緑ヶ丘商業高校時代の森下先生とお知り合いで、更に、尺八、三味線をする上村さんと知り合いであることが分かった。


さらに、私の勤務校であった名古屋養護学校の松田さんと知り合いであった。私たちの話しを聞いていた小島さんが、一宮聾学校に勤務していたと話した。竹沢先生の話へと発展した。思わぬ出会いであった。









posted by 花井英男 at 08:41| 旅行

2017年11月26日

岐阜県根ノ上高原  あかまんまロッジ 訪問

あかまんまロッジ  岐阜県中津川市根ノ上高原
あかまんまロッジ!!!  永遠なれ!!!




「あかまんま」とは、「いぬたで」のこと。夏から秋にかけて、紅紫の小花を穂状につける。あかのまま、あかまんま。俳句の季語、「あかのまんま」、「蓼の花」の地方の訛りの言葉であると思う。私は見たことがない。

子規の俳句に、「いぬたでの花くふ馬や茶の煙」がある。
虚子の俳句に、「ごみすてて汚からずやあかまんま」がある。

あかまんまロッジの奥さんが、「あかまんま」に思い入れがあり、ロッジの名前に「あかまんまロッジ」と名付けたと聞いたことがある。写真であかまんまを見たことがある。

今は、根ノ上高原にある、宿主のいるただ一軒の宿泊施設である。
近所には、民家は一軒もない。山を下りないと民家はない。


保古の湖の水面は静かだ。紅葉した葉がきれいだ。高原の林、古木が並ぶ。遠くに、雪の峰がみえる。


トラックで、馬を4頭くらい乗せてきて、馬術の愛好者が数人練習をしている。


芝生の広場で、3人の小学生がサッカーボールで遊んでいる。


退職して20余年ぶりに、訪れた。
根ノ上高原にあった、「岐阜県恵那市営保古の湖ユースホステル」に生徒たちと、毎年、夏の合宿に来た。

ここへ、愛知県立惟信高校(いしんこうこう)在職中、演劇部の生徒たちと夏の合宿に3泊4日で、保古の湖ユースホステルに滞在した。涼しくて快適だった。


毎年、ここへくるのを生徒たちは楽しみにしていた。
演劇部顧問として、望月先生と何回も来た。彼が転勤して、次には、竹内先生と来た。


当時は、JR恵那駅からここまで、バスが走っていた。生徒たちはバスできた。今はなくなった。
当時、私は、名古屋から車で来た。


保古の湖ユースホステルが、恵那市の事情でなくなり、主人夫婦が「あかまんまロッジ」を近くに、建設した。井戸を掘り、水道水、風呂に使っている。太陽光発電を使用して、家の中の換気に使っているという。


ご主人夫婦の設計による、木造のロッジだ。
標高900m、近くには、岩村城跡、馬篭がある。日本一の田園風景がある。
新築のロッジには1回だけ、生徒たちと泊まった。

国道19号線で名古屋から来た。
麓からここへ車上がってくるのは、当時は平気だった。
今回も、車で上がってきたが、これでもか、これでもかというくらい、遠かった。


建設には、ユースホステル時代のアルバイトをした青年とか、赤尾さん夫婦とのつながりのある人たちが参加したという。


有志の皆さんが、手弁当をもって建設に参加したという。
今でも、当時、建設に参加した人の長靴のあとが、食堂の天井に2つついている。

御主人の許可を得て、青年達が、記念に長靴の跡を天井に残した。


退職して、20年ぶりの訪問だ。玄関で「こんにちは」と何回も挨拶するが、返事がなかった。いるだろうか?
ようやく、奥さんの声が聞こえた。
久しぶりの再会であった。元気そのもの。


四方山話をしていると、ご主人の赤尾さんが帰宅された。「お元気で何よりです」と挨拶した。
昔と変わらぬ元気なお顔だ。固く握手をした。

70歳になられた。私は77才。
夕食の時、昔話に花が咲いた。どれだけ話していていても止まらない。


奥さんの食事がおいしかったという思い出を述べた。奥さんから、今晩は、ジビエの料理を出しますと言われた。ちょうど手に入ったからと。イノシシの肉だという。念願のジビエにようやくたどり着いた。ジビエを一度食べたいと思っていた。うれしい。

当時、生徒たちが昼中、演劇の練習をしていると、
当時、赤尾さんから、「先生、恵那山にでも登っておいで」とよく言われた。


生徒たちは、自分たちで、パンフを作って持参して、木陰で練習した。
生徒たちは、食前に、独特の言葉を言って皆を笑わせていた。
もう忘れてしまった。


私は、2学期の教材(英語)の勉強をしたり、2学期の実力テストの問題作成をした。


今回は、二人部屋に泊まった。暖房を入れて頂いた。部屋の作りは、木材でしっかりした構造で感心した。
トイレは最新式である。ウオシュレットも最新式。
お風呂も清潔で広い。ちょうどいい湯加減。


野草・草花のドライフラワーがロッジの中にそこらじゅうにある。2階からベランダに出ると星空が見えた。
見てすぐ気に入る、版画の小さい作品がロッジの中にいたるところにかけてある。


「素晴らしい版画ですね」と声をかけると、作者の名前とか教えて頂き、展覧会の案内をしてあげると、奥さんが言ってくれた。
赤尾さん夫婦は、この地方の文化人だ。有名人だと思う。


娘さんがニュージーランドに住んでいるので、近いうちに、仲間と訪れる予定だという。スカイプで娘さんと話されるとのこと。3人の息子、娘さんは独立された。


一晩泊めて頂き、付知峡に向かった。

このすばらしい、あかまんまロッジがいつまでも、続いてほしい。

   「あかまんま思い出のロッジ人集ふ」

   「あかまんま憩の宿の老オーナー」

   「冬茜高原の宿変わりなく」

   「雪の嶺湖面静まる山の宿」

   「高原の思い出楽しあかまんま」





posted by 花井英男 at 10:38| 旅行