2021年04月23日

相生山緑地の散歩

相生山緑地の散歩


先日、緑区に住む家内の妹の案内で、相生山緑地を散歩した。いつかは行ってみたいと思っていた。家族みんなで出かけた。緑区を車で走ると、外側から広大な緑地が見える。どこから入っていいか分からないような感じだ。どこに入り口があるか分からない。雑木林で囲まれている。


老人ばかりで歩いたので、お互いを気遣いながら歩くことができた。入り口は、ほんの小さな入り口である。急な階段があった。お互い転ばないように、声をかけながらゆっくりゆっくり、階段を上った。

辺り全体が、森というか、林というか、竹林というか、という雰囲気だった。竹が切り倒してあった。一応手入れがしてあるという感じだった。どこまでも、どこまでも、樹木があるという感じだった。階段は、細い階段だ。転ばないように歩いた。

階段をしばらく歩くと、細い道に出た。一軒民家がそびえたっていた。こんなところに家を建てる人がいるもんだ。塀越しに民家が見えた。立派な家だ。別荘のような家。その家を見ながら、細い、細い落ち葉の落ちた道を歩き始めた。

落ち葉の落ちが道は、歩き心地がいい。落ち葉が沢山降り積もった感じで、感触がいい。しばらく、あの花は、何だとか、踏み心地がいいとか言いながら、心地よく歩いた。落ち葉の道をしばらく気持ちよく歩いた。

どこをどう歩いたかはもう覚えていない。思い出せる限りで書いて見る。やがて、開けた太陽の光の見える道に出た。民家が時々現れた。義理の妹は、この緑地をずいぶん前から歩いているので、詳しい。地元の人と言葉を交わしたり、知り合いもあるということだ。

民家がちらほらと見えた。こんなところに住めるんだ。でも、ここは名古屋市だ。名古屋市の中の別天地という感じだ。電柱があるから、電気は来ている、電話もきているだろう。水道もきているんだろう。トイレはどうなるんだと思う。

大きな運動場があった。設備として整っている。車も走れる道もある。途中で車とすれ違った。人も来られるところだ。皆が来られる公園なんだろう。開けている。十字路があった。民家がちらほら、見られれる地域に出た。山の上のほうの景色だ。

大きな道路沿いに歩いた。右に、左に、民家が見られるようになった。住宅地帯になった。徐々に開けつつあるところだ。道沿いに歩いた。コンサートをする家もあった。立派な家が多い。背後は、森というか林というか樹木が見えた。

道案内に従って、歩いた。大きな坂もあった。大きな坂の途中で、木の根っこに座って一服した。大きな門構えのある家の前であった。一服していると、主婦が歩いて行った。ここの住人だろう。静かな森の中というか、林の中というか、静かな所だ。

林の中にあるといえばいいだろうか。まだ辺り全体は、林だろう。立派な家ばかりだ。住んでいない家もあるという。建築工事中の家の前に、工事関係者が数人集まって話をしていた。トラックが数台止まっていた。そこを通り過ぎた。一軒一軒手入れの良い家もあれば、手入れのあまりない家もあった。

こんな調子で歩いているうちに、帰り道に向かっていた。最初登ってきた道に出たまたその道を下って降りた。登り始めた道に降りて、街に出た。いい散歩だった、清々しい散歩だった。達成感のある散歩だった。








posted by 花井英男 at 11:05| 自然

2020年09月05日

上遠恵子さん・レイチェル・カーソンの紹介  センス・オブ・ワンダー

NHK こころの時代〜宗教・人生〜
「センス・オブ・ワンダーと生きて」


【出演】エッセイスト…上遠恵子,【語り】柴田祐規子

センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)は、レイチェル・カーソンの著作に由来する言葉。
「自然などからある種の不思議さを感じ取る感性」を説明する為の語。

上遠恵子(かみとうけいこ)  エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長。

レイチェル・カーソンは、「サイレント・スプリング」の著者として知っていたが、詳しいことは何も知らない。

TVでは、カーソンの生い立ちから、生物学者になって、ベストセラーを出版するまでを紹介した。

幼少時は作家を志しており高校の成績も極めて優秀であった。ペンシルベニア女子大学では英文学を希望していたが、生物学の授業を受けたことで生物学分野の科学者を志望するようになった。

ジョンズ・ホプキンス大学の修士課程で遺伝学を学ぶ。当時、女性が一生働ける職業は少なく、そのため科学者という選択は非常に珍しいことであった。

修士課程卒業後はアメリカ連邦漁業局に勤務。1962年『沈黙の春』などの作品を発表。当時まだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招くことなどに取り組んだ。

『沈黙の春』は、これを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、DDTの使用は以降全面的に禁止された。

TVでは、海岸には、鳥たちの死んだ姿が沢山横たわっている映像が映し出された。一方では、農業地帯にトラクターから農薬が散布される映像が映し出された。一昔前、北海道で、農薬を散布した広い農業地帯の中を車でドライブした人が、死亡したとことが報道されたことがあった。

 終戦直後、DDTが日本でもかなり広く使われたことを記憶している。DDTは何も問題はないとと思っていた。DDTといえば、終戦後、日本でかなりつかわれた。

 上遠恵子さんの人生とカーソンの人生は良く似ていると語る。上庭恵子さんは結婚しなかった、兄弟が亡くなり、その子を育てるということになった。カーソンも同じ運命をたどったようだ。

 上遠恵子さんは91歳の今も、幼稚園などに招かれて講演活動をしている姿が紹介された。上遠さんは子どもたちにはどんな小さな子でも、センス・オブ・ワンダーという感性を持つと訴える。


『沈黙の春』の執筆中に癌宣告を受け、1964年4月14日に癌により死去。生涯独身だったが、1957年に肺炎で亡くなった姪マージョリーの息子ロジャーを養子にしている。

 DDT禁止に関する議論はカーソンの死後も続いている。
安価な殺虫剤であるDDTは途上国では田畑での農薬として使用され、最近までほとんど減少しなかった。

 2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされている。しかし、実際にはカーソンはマラリア予防目的であればDDT使用禁止を主張していない。





posted by 花井英男 at 14:57| 自然

2019年05月19日

自然風景と小さな旅  朝のひと時

朝のひと時

NHK 日曜日の朝
5月19日(日)


さわやか自然百景  静岡県愛鷹山
7:45分―

小さな旅  「もやいの海ふたたび〜熊本県水俣市」
8:00―8:25


日曜の朝、朝食をとり、静かな、ゆったりとした気分で、短い時間だが、日本の各地の自然の風景
を紹介するNHKの番組「さわやか自然風景」は、心が和む。

四十雀、ひよどり、こげら、きせきれい、やまがらなどが出てくる。富士山や、愛鷹山の風景は気持ちがいい。


続いて、「もやいの海ふたたび」もよかった。


水俣と言えば、かつての悲惨な公害を思い出す。今は、海底も復活して、きれいになったと紹介した。
海底が昔の姿を取り戻した姿を紹介した。豊かな海が昔通りになったのは、うれしい。

更に、もやいという2隻の船をつないで、漁をする場面を紹介した。
2隻の船で、速度を合わせ、魚を囲い込む。

もやいぶね「舫い船」という言葉がある。
他の船を杭(くい)などにつなぎとめた船。

この2つの船の映像を紹介した。
こういう漁があるのかと思った。

漁師が仲よく、呼吸を合わせる必要がある。


そこに生活する青年が祖母の作った歌に合わせて小学生たちに踊りを教えている風景を紹介した。


その青年は愛知県でダイバーの仕事をしていたが、故郷に戻り、生活することを決意した。
故里を守り、水俣でダイバーの仕事をして、そこで生活し、踊りを教えている。


楽しそうな子どもらの踊りの練習風景は見ていて、すばらしい。子どもらの楽しそうな顔がいい。貴重だ。
こんな風景は私の街では見られない。

どうしたら、地域で子どもらの繋がりをつくったらいいかを考えなければいけないが、難しい。


子どもらは、塾だ、習い事だ、で仲良く遊ぶ機会は奪われた。
子ども会の運営は大変なようだ。


祖母は、水俣病で亡くなったが、このことばかりで嘆いていてはいけないと、言った。歌を作り、踊りを提案した。それを、孫である青年が引き継いだ。


この風景を見ただけで、こころが和んだ。いつまでも続くことを祈る。




posted by 花井英男 at 09:49| 自然