2015年07月07日

八事山 興正寺にお参り

八事山 興正寺にお参り


興正寺がすばらしいと最近聞いた。雨が降る中、八事日赤から帰る途中に、八事山興正寺に出かけた。
興正寺と言えば、中京大学のキャンパスと隣り合って、どこが中京大学の敷地で、どこが興正寺かと思うようなところがあった。
中京大に久野能弘先生が在任中は、中京大に行動療法研究会でよく行った。

総門から入った。とにかく入口が立派になった。門を入ると右手にビオトープが作られ、蛍の鑑賞ができるとのこと。左手に200台収容の駐車場が出来た。中門をくぐる。

五重塔(1808年建立)は立派である。五重塔の前にある平成大仏は新しい。

広々とした境内をどこまで続くだろうと思いながら歩いた。
神社仏閣には森があるのが魅力である。ここも古い大木、若木があちらこちらにある。よく手入れがされている。

途中賽銭箱にお金を入れ、礼拝した。興正寺は、東山と西山からなるという。東山はほとんど森である。沢山の施設があるのは西山である。

静かな雰囲気である。時々お参りの人がいるだけである。スロープを登ったり、階段を上ったりする。エスカレーターが設置してあるのはすごい。

山の斜面を利用して建物が作られている。
石や金属の彫刻があり、庭木と調和している。

手入れが大変だろうと思いながら歩いた。
ボランティアの人たちが、庭園の草とりをしていた。

見どころがかなりある。見飽きない。あまり広くてどこを歩いているか分からなくなる。
時々賽銭を入れ礼拝する。

ある施設に入ったら、仏教関係の書籍が本棚においてあり、自由に書籍が読めるようになっている。これは案内図にある大書院だろうか。

かなり広い。
由緒ある建物があるということだが、全部見るのは大変だ。ざっと見る程度である。
八事駅周辺の緑の環境を作るのに貢献している。

毎月、5日と13日の縁日には多くの参拝者でにぎわうという。一度来てみたい。
posted by 花井英男 at 19:43| 宗教

2015年04月12日

法輪と仏像、経典

 法輪とは、車の輪が回り続けるように未来に向かって、永遠に広められていく仏の教え、すなわち仏法を象徴しているという。八つの放射状の輻(や)は、仏教の最も重要な実践徳目である八正道(はっしょうどう)を表したもので、仏像が作られる以前の時代には、この法輪が仏教における礼拝の対象として拝まれ、現在では、仏教徒共通のシンボルとして国際的に用いられているとのことである。法輪が大切な役割をしているのは変わりない。
 八正道とは、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い(おもい)、正しい心の統一である。
 法句経(ほっくぎょう)の抜粋は、日常生活での、ものの見方、言葉、行いなど八正道からはずれた事柄、犯しやすい罪を列挙しており、自戒するのに役立つものである。
 さて、現在、東京国立博物館では、特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」の開催中である。遠くて行けないが、仏教徒にとって仏像は信仰の対象であり、仏像の歴史は、興味深い。
 その詳細によれば、インド東部の大都市コルカタ(旧カルカッタ)には、1814年に創立したインド博物館である。アジア最古の総合博物館であるばかりでなく、古代インド美術のコレクションは世界的にも有名であるという。
 古代初期を代表するバールフット遺跡の出土品、仏像誕生の地であるガンダーラやマトゥラーの美術など、インド仏教美術のあけぼのから1000年を超える繁栄の様子を展示するという。仏教に影響を与えたヒンヅー教も出てくるようだ。
展覧会の見どころは、次のとおりであると紹介している。
第1章 仏像誕生以前
第2章 釈迦の生涯
第3章 仏の姿
第4章 さまざまな菩薩と神
第5章 ストゥーパと仏
第6章 密教の世界
第7章 経典の世界
附編 仏教信仰の広がり
 
 仏像の誕生は一世紀の始めと言われ、パキスタンのガンダーラとインドのマツーラであるという。面白いのは、ギリシャ彫刻を思わせるガンダーラ仏である。顔だちも日本の仏像とは大きく異なるという。
これは明らかに、アレクサンダー大王の東方征服の影響を受けていると思う。
 古代ギリシアの世界を統一し、ペルシアを滅ぼし、ギリシア・エジプト・オリエント世界にまたがる大帝国を築いた。ペルシアを滅ぼした後にインドへと至る東方遠征を行った影響がギリシャ彫刻として伝わったのではないか、と推測するが間違っているかもしれない。こだわる気はない。
 美術の世界は、美術の世界であるが、信仰の世界にも影響を与えている。
  仏像と堀尾一郎先生が追求している宗教画、イコンの世界とか、ルオーの聖顔に何か共通点があるように思う。
 今日、日曜美術館で、国内各地のユニークな美術館巡りの紹介をしていた。その中に、山梨の美術館にある、ルオーの「聖顔」を紹介していた。その顔が、清々しくすばらしいものである。
 ルオーは、画題としてはキリストを描いたもののほか、娼婦、道化、サーカス芸人など、社会の底辺にいる人々を描いたものが多い。ルオーは版画家としても20世紀のもっとも傑出した作家の一人であると言われている。
 ルオーの絵を見て、すぐに、堀尾一郎先生の宗教画を思い出した。カトリック教徒として、信仰から出る思いをガラス絵に集約して描いている。ガラス絵は、北川民次から学んだものであると堀尾先生は述べておられる。
 仏像にしても、ルオーの「聖顔」にしても、堀尾一郎先生もガラス絵の宗教画の絵にしても、信仰から生まれたものであり、神々しい、清々しい、聖なるものであると気持ちには変わりはない。尊敬の念を持つ。



posted by 花井英男 at 11:07| 宗教