2017年09月24日

秋彼岸・放生会

秋彼岸  放生会・法要


9月23日秋彼岸、放生会法要でお寺にお参りした。広い境内の庭木が良く手入れされて、清々しい、気持ちが良い。これだけ広い境内の手入れは大変だろう。池には、錦鯉、蓮の葉が伸び伸びと出ている。花屋さんが花を並べている。


受付に行くと、
お参りに来る私たちに、お寺の御嬢さんが、小さな盆に、お菓子をのせて、「どうぞ」と言って、お盆を差し出してくれた。「きょうかちゃんですが」と尋ねると、うなずいた。一つもらって、「おおきくなったね」と挨拶をした。


渡り廊下を歩いて本堂に行く。椅子が並べてあるのがうれしい。座布団に座るのはしんどい。


法要の後、幼稚園でおとき(昼食)を頂いた。幼稚園の教室に張り出してあるものに感心した。簡単なことわざが4つ位と、金子みすずの「ふしぎ」という短い詩が目に入った。

ふしぎ
                  

 
金子みすず


          わたしはふしぎでたまらない、
          黒い雲からふる雨が、
          銀にひかっていることが。


          わたしはふしぎでたまらない、
          青いくわの葉たべている、
          かいこが白くなることが。



          わたしはふしぎでたまらない、
          たれもいじらぬ夕顔が、
          ひとりでぱらりと開くのが。
 


          わたしはふしぎでたまらない、
          たれにきいてもわらってて、
          あたりまえだ、ということが。


この小さな詩は、きっと子どもたちの心に残るだろう。
感性の鋭さ、純粋さ、繊細さ、みずみずしさがある。


 当たり前のことを不思議と思う自然現象への観察力のするど
さ、あるいは、生物の生命力へのおどろき、いとおしさ、やさしさ、あたた
かさがある。



posted by 花井英男 at 16:04| 宗教

2016年12月10日

対談ー詩人若松丈太郎×アーサービナード

NHK「こころの時代―ひとのあかし」

【出演】詩人・若松丈太郎,【きき手】詩人・アーサー・ビナード

2016年12月10日放送を見て



福島在住の詩人をアーサー・ビナードが訪ねて対談する。

静かに対談する2人に引き込まれた。
アーサー・ビナードは、日本の詩に惹かれ来日。自らも詩を書く。日本の詩を英訳する。
アーサー・ビナードの経歴は次の通り。

ニューヨーク州コルゲート大学英米文学部を卒業。卒業論文を書く際に漢字・日本語に興味を持ち、1990年6月に単身来日。来日後、通っていた日本語学校で教材として使用された小熊秀雄の童話『焼かれた魚』を英訳した事をきっかけに、日本語での詩作、翻訳を始める。作品は多くが受賞している。省略。


若松は、叔父が箱の中にこっそり残していった、金子光晴の詩集に出会った。
金子の「鮫」(さめ)という詩を読む。
皆同じ方向を向いた鮫ばかりいる中に、1匹だけ反対の方向を向いているという詩。

どう生きて行けばいいのか迷っていた。戦時中も孤高を貫いた詩人、金子光晴の作品に出会い、「人と違ってもいいんだ」と鼓舞される。

福島第一原発の事故を、その18年前から見通すような詩を書いていた。81歳。

若松さんの魅力は、分かりやすい詩であること。

番組のタイトルである、「ひとのあかし」は若松さんの詩のタイトルから来ている。

人は田畑を耕す。
人は、漁をする。
人は動物を飼う。
これが人の証。
福島の人たちの営み。
人のこの幸せな営みを原発は奪った。
命を生み、継続する営みを奪おうとしている。
この人間の営みを原発は奪った。



チェルノヴィリを訪ねた若松さんは、福島の人と同じくらいの人たちが、15万人が避難した実態を見てきた。
福島でも同じことが起きた。

若松さんの詩「人の証」は、一人の酪農を営む人の自殺をきっかけに書いたもの。
壁に自殺した人が苦しさを書き残していた。
人の証である、営みが出来なくなる苦しみを。
人の営みがいつまでも出来るように願う。


ネット上の紹介文は次の通り。

若松丈太郎、1935年、岩手県奥州市生まれ、福島県南相馬市在住。元高校教師。

詩集『夜の森』『海のほうへ 海のほうから』『いくつもの川があって』『年賀状詩集』『越境する霧』『峠のむこうと峠のこちら』『北緯37度25分の風とカナリア』。

著書『福島原発難民』、『福島核災棄民』、『若松丈太郎詩選集一三〇篇』。

日本現代詩人会、日本ペンクラブ、「いのちの籠」、各会員。


終わり

posted by 花井英男 at 14:58| 宗教

2015年12月08日

藤浪山了覚寺を訪ねる

藤浪山了覚寺を訪ねる


 住職としての古田君に会いたいと思った。大学時代、あまり話をした覚えはない。この年になって、なんだか彼に会いたいという気持ちだ。

 やはり、彼の人柄がひきつけるのだろう。
 4年間しか一緒にいなかった。
 大学の外国語科のクラスメイト古田誠君を訪ねた。古田君とは卒業後、一度、ずいぶん昔、民間教育研究の研究会の会場で会っただけである。

 お寺の住職をしているということは知っていた。先日偶然会った、クラスメイト、山田清文君から、真宗大谷派のお寺だということを聞いた。
50年ぶりといってもよい。

 お会いしたいという私の希望を受け止めてくれた。
丁寧な、地図と名鉄の乗り方の案内の手紙を頂いた。
11月30日に森上の駅に迎えに来てくれた。祖父江町は、日本一の銀杏の生産地。

 「お互い年を取ったなあ」という言葉。
お互い、元気でやっていることを喜ぶ。
奥さんはお出かけ。どこのうちも同じだ。

 村にお寺が必要だということで、民衆が作ったお寺だという。
300年の歴史を持ち、古田君は11代目という。
息子が継ぐという。

 古田君の父も、先生をしながら、住職を務めた。
古田君も同じ道を歩いた。

 境内の周りの大木は、大変だから、切ったという。
神社仏閣は森になっているという感覚がある。彼もそうだ。私もそれを願っている。しかし、手入れが大変だという。その通りだ。

 それでも、やはり木はある。立派な松の木がある。
庭師は、手入れは慎重だという。檀家が、少しでも変化があると、うるさいという。住職も簡単にものが言えないという。

 地元稲沢は、植木の生産地。手入れした植木が高額で売れる土地だった。しかし、時代が変わったという。
お寺の構造は、説教が聴けるように檀家が座る場所があるという。

 昔は、説教師を呼んでいたが、彼が説教をしている。
仏像の好みをとやかく言う人がいる。
社会科の教師にはそういうマニアがいる。
バスガイドも仏像のことを詳しく話す。

 そんなことはどうでもよいという考えだ。
なるほどと思う。

 信仰が大事だ。
最近、私は「仏教聖典」という本を読んでいるといった。
何かいい本を教えてほしいと聞いた。

 五木寛之の「他力」講談社を勧めてくれた。名古屋の東別院でいろいろやっているから、行ったらよいと勧めてくれた。

 彼は、多くを語らない。人柄である。
 そこが彼の長所だ。
 語らないが人柄が出ている。
 教師という職業の中で、宗教者として、修行をして、信仰を深めた。

 五木寛之も、作家という職業人として生活し、信仰を深めた。
 
 「他力」の本を読んでいて、そんな感じを受けた。
posted by 花井英男 at 09:26| 宗教