2016年12月10日

対談ー詩人若松丈太郎×アーサービナード

NHK「こころの時代―ひとのあかし」

【出演】詩人・若松丈太郎,【きき手】詩人・アーサー・ビナード

2016年12月10日放送を見て



福島在住の詩人をアーサー・ビナードが訪ねて対談する。

静かに対談する2人に引き込まれた。
アーサー・ビナードは、日本の詩に惹かれ来日。自らも詩を書く。日本の詩を英訳する。
アーサー・ビナードの経歴は次の通り。

ニューヨーク州コルゲート大学英米文学部を卒業。卒業論文を書く際に漢字・日本語に興味を持ち、1990年6月に単身来日。来日後、通っていた日本語学校で教材として使用された小熊秀雄の童話『焼かれた魚』を英訳した事をきっかけに、日本語での詩作、翻訳を始める。作品は多くが受賞している。省略。


若松は、叔父が箱の中にこっそり残していった、金子光晴の詩集に出会った。
金子の「鮫」(さめ)という詩を読む。
皆同じ方向を向いた鮫ばかりいる中に、1匹だけ反対の方向を向いているという詩。

どう生きて行けばいいのか迷っていた。戦時中も孤高を貫いた詩人、金子光晴の作品に出会い、「人と違ってもいいんだ」と鼓舞される。

福島第一原発の事故を、その18年前から見通すような詩を書いていた。81歳。

若松さんの魅力は、分かりやすい詩であること。

番組のタイトルである、「ひとのあかし」は若松さんの詩のタイトルから来ている。

人は田畑を耕す。
人は、漁をする。
人は動物を飼う。
これが人の証。
福島の人たちの営み。
人のこの幸せな営みを原発は奪った。
命を生み、継続する営みを奪おうとしている。
この人間の営みを原発は奪った。



チェルノヴィリを訪ねた若松さんは、福島の人と同じくらいの人たちが、15万人が避難した実態を見てきた。
福島でも同じことが起きた。

若松さんの詩「人の証」は、一人の酪農を営む人の自殺をきっかけに書いたもの。
壁に自殺した人が苦しさを書き残していた。
人の証である、営みが出来なくなる苦しみを。
人の営みがいつまでも出来るように願う。


ネット上の紹介文は次の通り。

若松丈太郎、1935年、岩手県奥州市生まれ、福島県南相馬市在住。元高校教師。

詩集『夜の森』『海のほうへ 海のほうから』『いくつもの川があって』『年賀状詩集』『越境する霧』『峠のむこうと峠のこちら』『北緯37度25分の風とカナリア』。

著書『福島原発難民』、『福島核災棄民』、『若松丈太郎詩選集一三〇篇』。

日本現代詩人会、日本ペンクラブ、「いのちの籠」、各会員。


終わり

posted by 花井英男 at 14:58| 宗教

2015年12月08日

藤浪山了覚寺を訪ねる

藤浪山了覚寺を訪ねる


 住職としての古田君に会いたいと思った。大学時代、あまり話をした覚えはない。この年になって、なんだか彼に会いたいという気持ちだ。

 やはり、彼の人柄がひきつけるのだろう。
 4年間しか一緒にいなかった。
 大学の外国語科のクラスメイト古田誠君を訪ねた。古田君とは卒業後、一度、ずいぶん昔、民間教育研究の研究会の会場で会っただけである。

 お寺の住職をしているということは知っていた。先日偶然会った、クラスメイト、山田清文君から、真宗大谷派のお寺だということを聞いた。
50年ぶりといってもよい。

 お会いしたいという私の希望を受け止めてくれた。
丁寧な、地図と名鉄の乗り方の案内の手紙を頂いた。
11月30日に森上の駅に迎えに来てくれた。祖父江町は、日本一の銀杏の生産地。

 「お互い年を取ったなあ」という言葉。
お互い、元気でやっていることを喜ぶ。
奥さんはお出かけ。どこのうちも同じだ。

 村にお寺が必要だということで、民衆が作ったお寺だという。
300年の歴史を持ち、古田君は11代目という。
息子が継ぐという。

 古田君の父も、先生をしながら、住職を務めた。
古田君も同じ道を歩いた。

 境内の周りの大木は、大変だから、切ったという。
神社仏閣は森になっているという感覚がある。彼もそうだ。私もそれを願っている。しかし、手入れが大変だという。その通りだ。

 それでも、やはり木はある。立派な松の木がある。
庭師は、手入れは慎重だという。檀家が、少しでも変化があると、うるさいという。住職も簡単にものが言えないという。

 地元稲沢は、植木の生産地。手入れした植木が高額で売れる土地だった。しかし、時代が変わったという。
お寺の構造は、説教が聴けるように檀家が座る場所があるという。

 昔は、説教師を呼んでいたが、彼が説教をしている。
仏像の好みをとやかく言う人がいる。
社会科の教師にはそういうマニアがいる。
バスガイドも仏像のことを詳しく話す。

 そんなことはどうでもよいという考えだ。
なるほどと思う。

 信仰が大事だ。
最近、私は「仏教聖典」という本を読んでいるといった。
何かいい本を教えてほしいと聞いた。

 五木寛之の「他力」講談社を勧めてくれた。名古屋の東別院でいろいろやっているから、行ったらよいと勧めてくれた。

 彼は、多くを語らない。人柄である。
 そこが彼の長所だ。
 語らないが人柄が出ている。
 教師という職業の中で、宗教者として、修行をして、信仰を深めた。

 五木寛之も、作家という職業人として生活し、信仰を深めた。
 
 「他力」の本を読んでいて、そんな感じを受けた。
posted by 花井英男 at 09:26| 宗教

2015年07月07日

八事山 興正寺にお参り

八事山 興正寺にお参り


興正寺がすばらしいと最近聞いた。雨が降る中、八事日赤から帰る途中に、八事山興正寺に出かけた。
興正寺と言えば、中京大学のキャンパスと隣り合って、どこが中京大学の敷地で、どこが興正寺かと思うようなところがあった。
中京大に久野能弘先生が在任中は、中京大に行動療法研究会でよく行った。

総門から入った。とにかく入口が立派になった。門を入ると右手にビオトープが作られ、蛍の鑑賞ができるとのこと。左手に200台収容の駐車場が出来た。中門をくぐる。

五重塔(1808年建立)は立派である。五重塔の前にある平成大仏は新しい。

広々とした境内をどこまで続くだろうと思いながら歩いた。
神社仏閣には森があるのが魅力である。ここも古い大木、若木があちらこちらにある。よく手入れがされている。

途中賽銭箱にお金を入れ、礼拝した。興正寺は、東山と西山からなるという。東山はほとんど森である。沢山の施設があるのは西山である。

静かな雰囲気である。時々お参りの人がいるだけである。スロープを登ったり、階段を上ったりする。エスカレーターが設置してあるのはすごい。

山の斜面を利用して建物が作られている。
石や金属の彫刻があり、庭木と調和している。

手入れが大変だろうと思いながら歩いた。
ボランティアの人たちが、庭園の草とりをしていた。

見どころがかなりある。見飽きない。あまり広くてどこを歩いているか分からなくなる。
時々賽銭を入れ礼拝する。

ある施設に入ったら、仏教関係の書籍が本棚においてあり、自由に書籍が読めるようになっている。これは案内図にある大書院だろうか。

かなり広い。
由緒ある建物があるということだが、全部見るのは大変だ。ざっと見る程度である。
八事駅周辺の緑の環境を作るのに貢献している。

毎月、5日と13日の縁日には多くの参拝者でにぎわうという。一度来てみたい。
posted by 花井英男 at 19:43| 宗教