2020年08月16日

京都五山送り火中継2020

2020年8月16日7:30―9:00  NHKBS

京都五山送り火2020 中継


毎年、8月16日に行われる、京都五山送り火。

BS番組で見た。今年は、縮小した形の大文字焼きということだ。例年のものがなくなって、初めて、いつもはどういうものだ?と疑問がわいた。


京都の大文字焼は、5つから成り立っていることに気づいた。

大の字、妙法の妙の字と法の字、船形の模様、鳥居の模様。

盆に帰ってきた祖先をあの世に送り返すための宗教行事で、京都の市街地を囲む「大」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の五つの山に、地元保存会の人びとの手によって火が灯される。


私は、夕べ、7時過ぎに家族と一緒に、近くのお寺、大喜寺へ精霊(先祖様)「おしょろい様」(我が家の言葉)を送りに行った。

近隣の人たちが沢山毎年集まる。係をしている近所の人に挨拶した。久しぶりに大喜寺から家に帰る途中で、親しい人の家が住み変わっていたり、新しい家が建っていたり、建築工事が進んでいたりしていた。

街は変わりつつある。

送り火として燃やされる松割木に加え、無病息災を願って大勢の人々が毎年護摩木を奉納していますが、今年は護摩木の志納受付は中止とのこと。


「五山送り火」本来の意味とは、祈りの火という。
先祖を偲び、感謝し、現在、自分があるのを感謝し、平和を祈る気持ちです。コロナが一日も早くおさまってほしい気持ちです。






posted by 花井英男 at 21:31| 宗教

2020年04月18日

不知火の海に向かって立つ実生の森と野仏

NHK  こころの時代〜宗教・人生〜

「水俣 いのちの海のただなかで」

2020年4月18日(土)午後1時〜


「水俣で建具店を営む緒方正実さんと、叔父で漁師の緒方正人さん。不知火海の網元に生まれ育った2人の人生は水俣病と共にあった。正人さんは6歳で父の壮絶な死に直面し、正実さんは胎児性患者の妹と育った。

水俣病が「奇病」「伝染病」とされた時代。一族20人以上が水俣病におかされた緒方家は、水俣病の象徴的な存在とされた。不条理な苦難を強いられながらも、恨みや憎しみの先で生きる道を見出してきた2人の言葉を聞く。」

以上は、NHKの番組案内の文章の引用です。

お昼ごろに、家内から水俣の「こころの時代」を1時から見るといいよと言われた。この番組の流れは、次のようなものであったと思う。不正確な部分もあるかと思いますがお許しください。

水俣病の当事者らの窒素の会社、熊本県、国との認定を勝ち取るため闘いの歩み、なんと、10年以上の闘いであった。県との交渉、国との交渉の場面、窒素の会社との闘いの場面が出てきた。

水俣病の人たちの、また、魚を食べた猫の、のた打ち回り苦しむ姿の数々の紹介、二人の身内の苦しむ姿の紹介、憎しみ、恨みの気持ちからの出発、認定を取るための、県、国、窒素との闘い、二人の方の交渉のために作成した自筆の嘆願書の映像、交渉場面の怒号、淡々と訴える姿。


すばらしい女性県知事の謝罪と認定、和解の気持ち、汚れた魚を沢山のドラム缶に入れて埋め込む作業。埋め込んだ土地に、実生の森の公園の建設、公園に50か所以上の野仏の設置、今も続く野仏の設置。静かに海を見続ける野仏の姿。


平和を求める祈りの世界へ、実生の森からとれた木材から作ったこけし、「祈り」と刻んだこけしの配布。水俣を訪れる人への水俣病の語り部として活動は今も続く。


二人の当事者が紹介された。一人の人は、父親が窒素の毒に侵されて苦しんで亡くなった。一人は、自分の妹が窒素の被害者として亡くなった。150トンの害毒(工業廃水を無処理で水俣湾に排出していたため、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖による)を不知火の海に流し続けたと紹介された。緒方さん一家のとる魚は売れなくなった。町の人から差別を受けた。これは苦しかった。仲間である人たちから差別を受けた。


安らぎを回復した。うれしい。再び、同じ過ちを繰り返してはいけない。安らぎと落ち着きをようやく回復した。うれしい。祈りの世界である。亡くなった人たちを忍び、過ちを繰り替えさない気持ち。


今、福島では、増え続ける汚染水に地元の人たちは、日本中の人は悩んでいる。不知火の海は復活した。今新たに、福島の原発の汚染水の処理の問題が出ている。人間は、何度、間違いを犯すのだろう。これも大企業の犯した公害だ。チェルノブイリを忘れない。





posted by 花井英男 at 21:07| 宗教

2017年09月24日

秋彼岸・放生会

秋彼岸  放生会・法要


9月23日秋彼岸、放生会法要でお寺にお参りした。広い境内の庭木が良く手入れされて、清々しい、気持ちが良い。これだけ広い境内の手入れは大変だろう。池には、錦鯉、蓮の葉が伸び伸びと出ている。花屋さんが花を並べている。


受付に行くと、
お参りに来る私たちに、お寺の御嬢さんが、小さな盆に、お菓子をのせて、「どうぞ」と言って、お盆を差し出してくれた。「きょうかちゃんですが」と尋ねると、うなずいた。一つもらって、「おおきくなったね」と挨拶をした。


渡り廊下を歩いて本堂に行く。椅子が並べてあるのがうれしい。座布団に座るのはしんどい。


法要の後、幼稚園でおとき(昼食)を頂いた。幼稚園の教室に張り出してあるものに感心した。簡単なことわざが4つ位と、金子みすずの「ふしぎ」という短い詩が目に入った。

ふしぎ
                  

 
金子みすず


          わたしはふしぎでたまらない、
          黒い雲からふる雨が、
          銀にひかっていることが。


          わたしはふしぎでたまらない、
          青いくわの葉たべている、
          かいこが白くなることが。



          わたしはふしぎでたまらない、
          たれもいじらぬ夕顔が、
          ひとりでぱらりと開くのが。
 


          わたしはふしぎでたまらない、
          たれにきいてもわらってて、
          あたりまえだ、ということが。


この小さな詩は、きっと子どもたちの心に残るだろう。
感性の鋭さ、純粋さ、繊細さ、みずみずしさがある。


 当たり前のことを不思議と思う自然現象への観察力のするど
さ、あるいは、生物の生命力へのおどろき、いとおしさ、やさしさ、あたた
かさがある。



posted by 花井英男 at 16:04| 宗教