NHKの「こころの時代」「裏も表も我が人生」
後藤文雄神父の人生
後藤文雄神父の人生
「ごっちゃん」という、東京吉祥寺のカトリックの神父の91年の人生を紹介する番組を見た。神父としての最後のミサを紹介した。良寛の俳句をもじって、俳句を紹介した。飄々としている。
「ごっちゃん」は、後藤文雄という名前、ここからくる。神父というイメージからは、想像できないイメージ。良寛さんと同じ新潟の生まれ。
新潟長岡の浄土真宗の寺に生まれ、軍国少年として育ち、戦争で、母を失った。川の中で横たわっていた、匂いのする、母の死体をリヤカーで運んだ。母がなくなって、父が若い後妻を迎えた。父との衝突。東京へ出た。お寺の子として生まれたので、僧侶になるように育てられた。
敗戦直後、上野で見た戦災孤児の姿に衝撃を受け、神父になった。洗礼を受けた時に、神父から、神父にならないかと言われた。
聖書の言葉は全く出てこない。全く気張らない、偉そうに振舞わない、気さくなおじさんという感じ。聖書の言葉を話すわけでもない。
NHKの番組紹介記事を引用します。
「敗戦直後、上野で見た戦災孤児の姿に衝撃を受け、神父になった。その後、カンボジア難民の子供の里親となり、14人を育て、さらにカンボジア全土に19の学校を建設した。教育が平和と未来を作り上げる、と語る後藤の取り組みと、コロナ禍で自身の行く先を深く考える姿を見つめる。」
カンボジアの戦争孤児たちには、教育が必要であると思い、学校を建設した。カンボジアの学校の映像を紹介した。子どもたちの前で、「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね」の歌を歌う。
カンボジアの子どもを沢山、里子として育てた。神父という仕事があるのに、よくもこんなことができたものだ。普通、神父としての仕事が精いっぱいだろう。カンボジアの子どもの里親を募集したが、誰も引き受け手が出なかった。自分がやろうと決意した。
カンボジアの子供が学校で、「カンボジアから逃げてきたんだろう、カンボジアに帰れ」といういじめを受けた。
すぐに学校に行って、担任の先生に話をして、ポルポトのことを話して、子どもに事情を説明してほしいと、頼んだ。先生が親切に対応してくれた、というエピソードも。
後藤神父が、このような人がなかなかしないことをするバックボーンは何だろうか。
出てきた言葉は、ヴィクトール・フランクルの著書「夜と霧」の3つの言葉、「創造的価値」、「体験的価値」、「態度的価値」だった。
フランクルによれば人間が実現できる価値は創造価値、体験価値、態度価値の3つに分類される。
創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値である。仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。後藤神父がカンボジアで学校建設に貢献したのは、学校建設という創造的価値を作り出したこと。
体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりすることでこの価値は実現される。
後藤神父が、14人のカンボジアの子どもたちを育てたというのは、体験的価値だ。
態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。彼は、91歳になり、老いという向かい風に会い、日々衰えを感じる。これを運命として受け止めるしかない。
この番組を見ていて、生きる勇気、もっと頑張ろうという気持ちがわいてきた。
後藤文雄の本がネット上に出ていた。
「今 ここに: 『十五歳の巡礼』を歩き終えたら」、
「よし!学校をつくろう――神父ゴッちゃんの履歴書」、
「カンボジア発ともに生きる世界―里子を育て支援を広げる神父の目から」