第14回 EMDR 臨床セミナー@熱海 伊豆山温泉
日時:
2019年12月14日(土)12:30〜12月15日(日)13:00
場所:熱海 伊豆山温泉 ハートピア熱海
JR 熱海駅
日時:
2019年12月14日(土)12:30〜12月15日(日)13:00
場所:熱海 伊豆山温泉 ハートピア熱海
JR 熱海駅
12月14日(土) 13:15〜17:45
教育講演
「AIPに基づいた事例概念化の基本(講義)と事例」
菊地安希子先生
国立精神・神経医療研究センター
精神保健 地域・司法精神医療学研究部
教育講演
「AIPに基づいた事例概念化の基本(講義)と事例」
菊地安希子先生
国立精神・神経医療研究センター
精神保健 地域・司法精神医療学研究部
討論
菊池安希子先生、市井雅哉先生、太田茂行先生、大塚美菜子先生、会場をまじえて
菊池安希子先生、市井雅哉先生、太田茂行先生、大塚美菜子先生、会場をまじえて
12月15日(日) 9:30〜13:00
教育講演
仁木 啓介 先生
理事長・院長 ニキハーティホスピタル
「災害における心理的な反応」
「臨床事例を通して解離を学ぶ」
修了式
解散
感想
教育講演
仁木 啓介 先生
理事長・院長 ニキハーティホスピタル
「災害における心理的な反応」
「臨床事例を通して解離を学ぶ」
修了式
解散
感想
会場につくと、東京のH先生から親しく挨拶をいただいた。長い間、行動療法学会とEMDR学会でのお付き合いをいただいている。
伊豆山温泉のホテルから見渡す海岸、海の風景、海岸線に続く階段状に続く森の中に立つ、民家やホテルの眺めは素晴らしい眺めだ。しばらく眺めていたら、東京のO先生が横に立たれ、「お元気で何よりです」と挨拶した。
菊池先生の事例概念化という、EMDR療法でのケース・フォーミュレーションについての考え方を提示するものであった。
EMDR療法を実施するものにとって、やらなければいけないことだ。
このようなことは、私の時代では、Part1とPart2の研修で受けた。
今では、Weekend1&Weekend2と言っているようだ。
私は研修を受けたのは、2007年ころだった。もう10年以上たった。テキストは2度も変わった。最近のテキストは、がらりと内容が変わった。分かりやすくなった。
改めて、基本を勉強した。ベテランの菊池先生の講義はすばらしかった。
さらに、そのケース・フォーミュレーションの基づく、実践例を提示していただいた。素晴らしい内容であった。このような内容の研修は、久しぶりだ。
今年71歳で亡くなった、Francine Shapiro博士への追悼セレモニーがあった。
シャピロは英文学の研究者として、博士号を取る寸前に、乳がんの宣告を受けた。自分の健康を気遣って、最初に、EMDの考え方を提出し、袋たたきに会い、続いて、EMDR療法を確立した。EMDR Instituteを設立し、研究者を養成した。世界に多くの治療者を養成した。シャピロ亡き後もEMDR療法は発展していく。市井雅哉先生が日本へ導入した。
市井先生からシャピロの紹介があった。
市井雅哉先生から、2020年度の日本EDMR学会の招待講演に、ドロレス・モスケーラ先生(スペイン)と解離の学者、岡野憲一郎先生(京都大学大学院教授)を招いて対談をしていただく計画が発表された。
神戸にて、2020年5月15,16,17日開催される。
2日目の二木啓介先生の解離の講義は、名古屋での講演の続編の内容であった。名古屋の講演を聞いた人は、続編を聞きたいという気持ちで多くの人が参加した。私もその一人だ。
「この内容は、2時間くらいで、終える内容ではない。たっぷり2日が必要だ」と市井先生が指摘した。素晴らしい内容であった。このような解離の話は、今までEMDRの学会で取り上げられてこなかったと思う。日本のEMDR学会もとうとうこのような内容に直面しなければいけない状況になった。
とにかく素晴らしい内容であった。ここで発表された内容に到達するには、大変な努力が必要だ。
懇親会で仁木先生に質問できた。明快な回答をいただいた。しかし私の頭の中では、整理するのに時間が必要です。仁木先生、アドバイス有難うございました!!!
勉強します!!!
宿泊の部屋割りでは、ドクターのI先生と大学教員のKさんと同室だった。催眠学会の大御所的存在のI先生と話ができたのはよかった。
今回の冬のEMDR臨床セミナーは、東京のEMDR関係者の実行委員会の大変な準備で開催された。H先生はじめ東京のEMDR関係者の皆さんの準備に感謝します。
来年は、関西のEMDR関係者によって開催されることになり、もうすでに、準備が始められている様子だった。ご苦労様です。期待しております。
熱海駅の前にある「機関車」の展示について
熱海駅には初めて行った。熱海駅を出て、右手に行くと、お土産の店、食堂などの店が並び、観光客がぎっしりと集まっていた。商店街の入り口のところに、小さな、おもちゃのような機関車が置いてあった。
現在、普通に見かける、あの大きな機関車ではない。小型軽自動車くらいの大きさだ。
よく見ると、熱海市が設置した。「熱海軽便鉄道7機関車」
明治40年ー大正12年、熱海ー小田原間、25キロメートルを160分かけて走った。
関東大震災で廃止された。この距離を、東海道本線では、25分で走っている。新幹線では10分で走っている。
という掲示があった。
時代の移り変わりを感じた。
熱海に、初めて来たので、お土産の店をぶらついた。
魚の乾物、饅頭など菓子類を売っていた。練り物を温めて湯気の立つ店があった。1本400円くらいの値段の温かいはんぺんのようなものを、道路の真ん中においてある椅子に座って食べていた。私も1本買ってのんびり食べた。