2017年12月03日

世界の名作  名犬ラッシー

NHKラジオ深夜便

【俳優が語る 世界の名作】
エリック・ナイト原作
名犬ラッシー(3)
俳優 仲代達矢
4回シリーズ



名犬ラッシーの物語をラジオ深夜便で聞いた。
懐かしいタイトルである。どういう内容のものか私は不確かであった。
仲代達也の語り口のうまさに思わず聞きほれた。


ラッシーは、エリック・ナイト (Eric Knight 1897-1943)の短編作品『名犬ラッシー 家路』の主人公である。この短編は、1940年に小説として単行本化された。


英国ヨークシャーに住む幼い少年が、類い希な美しさと気高さを持ったラフ・コリーを所有していたが、少年の一家が経済的な困窮に直面し、やむを得ずにラッシーを金持ちの貴族に売却した。



少年と犬は別離を悲しみ、新しい所有者がラッシーを何百マイルも先の自分の領地があるスコットランドへ連れていったため、悲しみはさらに募った。


しかし、ラッシーは、勇気で逃げだし、ラッシーが故郷へと、愛する少年のいる土地ヨークシャーへと、家路を辿る苦難の旅を描く。



スコットランドからヨークシャーへの距離は直線で600`。
帰る道は、行ったり来たり、他の方角へ行くこともある。迷うこともある。実際は、大変な道のりになる。3倍以上の距離になるだろうと、仲代達也は語る。


4回シリーズで語られる、道のりはすさまじいものが語られる。疲れ果て、弱り切って、親切な老夫婦に助けられて、何日間も介抱を受けた。
ようやく故里へたどり着く。いつも少年を待っていたところへたどり着いた


posted by 花井英男 at 17:07| 文学・芸術

2017年11月10日

詩人・文芸評論家 北川透先生講演会

愛知教育大学 学術講演会

詩人・文芸評論家 北川透先生 講演会

「蝶の行方―詩を読むこと、詩を書くこと」

日時  平成29年11月10日(金)15:00−16:30

会場 愛知教育大学 第二共通棟 421教室


主催  愛知教育大学 英語専修・専攻 



詩って何が面白いの? 詩なんて関係ないよ。
もしあなたが今そう思っていたら、この講演会に来てみませんか。

詩を読むこと、詩を書くことに若いころから心血を注いでこられた
北川透さんの言葉は、きっとあなたの日常に波動を越し、何か大切な
ことを知る機会になるはずです。



講師プロフィール

1935年碧南市生まれ。愛知学芸大学・国語科卒業。
豊橋で1962年から1990年まで、詩と批評誌「あんかるわ」を
編集発行し、詩作、批評の世界をリード。

下関へ移住し、梅光学院大学教授をつとめる。梅光学院大学の副学長も務めた。

「北川透・詩論の現在」全3巻で第3回小野十三郎賞、

詩集「溶ける、目覚まし時計」で高見順賞、

「中原中也論集成」で藤村暦程賞、

昨年6月、中日文化賞。現在「北川透現代詩論集」全8巻刊行中。

評論「谷川俊太郎の世界」など著書多数。




愛知教育大学 英語専修・専攻の道木一弘教授(文学博士)の司会で始まった。
詩をやっているということでいつか、北川先生を招きたいと思っていたと述べ、北川先生の業績を紹介をした。

道木先生は、現在刊行中の、分厚い「北川透詩論集」2冊を見せながら、学生諸君にレポートを書くのに皆さんは苦労しているだろうが、北川先生はこんな分厚い本をもう2冊出しましたと紹介した。

今年、大学院修士課程を修了した、成田重忠君が、北川氏と親しくしているということで、講演開催のために、北川先生との連絡・調整をして頂いたとお礼の言葉が述べられた。



成田君は、私の横の席で立ちあがり、皆さんに挨拶の会釈をした。学生たちが拍手をした。


大きな階段教室に、参加者は、英語専修、専攻の学生、院生など120名以上全員が参加しているようだった。

学生の構成は、ほとんどが女子学生ばかりという印象。勿論男子学生もいる。
会場は、女子学生の賑やかな甲高い声が響き渡っていた。
一般の人は、5〜6名位だろうか。知人のIさんがいた。成田君の知人が数人いた。


北川氏は学芸大学を卒業してちょうど60年になると言われた。
84歳という高齢を感じさせない口調であった。


卒論で、作品の最も少ない北村透谷を選んだ。ところが、文語体なので、理解できなくて、辞書もなく、買うお金もなかった。図書館にこもり、一生懸命作品を読もうとしたと、学生時代のエピソードを述べた。


透谷は、日本の抒情詩の最初の人物として、島崎藤村の先触れとして出現したと。透谷の詩は、抒情詩として、素晴らしい作品であると。藤村は透谷を兄のように慕った。藤村の若菜集の前に、透谷がいた。明治女学校で透谷と藤村は一緒に教えた。


明治元年に生まれた、透谷は、25歳で、うつ病で自殺した。自由民権運動などにも参加したが、運動に絶望した。キリスト教からは離れた。淡々と話をしていく。決して偉ぶらない。


北川先生は、温厚な人柄で、分かりやすい言葉で、話しかけるような口調だった。
成田君から、今晩は、北川先生の招きで食事を一緒にするから、帰りは失礼するとのことだった。


受付で、A4の資料が3枚配られた。

資料のno.1は、大岡信の詩と経歴。

No.2は日本の近代詩の中で蝶をモチーフにしたり、テーマにしたり、詩の場面に登場させている例として、「蝶の行方」―北村透谷、「ちょうちょう」―文部省唱歌、「蝶を夢む」―萩原朔太郎、

「春」―安西冬衛、芭蕉、其角、蕪村、一茶、子規、虚子、草田男、綾子、琵琶男、楸邨、槐多の俳句、「民俗学における蝶」、「ロマン的イロニーとは」。

No.3には、伊東静雄の「八月の石にすがりて」、中原中也の「一つのメルヘン」、「同時代人伊東静雄と中原中也の解説」。


蝶は、日本の詩歌で明治以降歌われている。どこから来てどこへ行くのか。
詩を書く時は時を意識する。
日常の時間とは、別の詩歌の時間がある。


「蝶の行方」という冠をかぶせ、時間の中にはいると面白い。
大岡信の詩の中の、「あなた」とは誰か。詩に出会ったということ。
詩の理解ということは100人読めば、百通りの解釈がある。詩は、行がえをする。


空白が出来る、詩は無言と沈黙を大事にする。空白を想像して読む。
いつのまにか、聴衆を詩の世界の中に引きこんでいた。小説は10書く、詩は2を書く。

分かりやすい言葉でぐんぐん引っ張っていく。
あっという間に時間の制限が来た。


道木先生は、35回、北川透先生の講義を集中講義で聞きたい位だと述べた。
参加者からお礼の拍手があった。本当に集中講義を受けたい気持ちだ。


帰りはキャンパスの中を歩いて、生協の売店へ行った。書店は昔と変わってしまった。大学のキャンパスの中にある、愛教大附属高校在勤中は、同じキャンパスなので、生協に来て、本を買った。キャンパスの校舎もすっかり変わってしまった。


前よりきれいになっていた。9年勤務した附属高校勤務時代から、25年ぶりくらいの訪問だ。
大学と知立間の道もすっかり変わった。郵便局がなかった。
刈谷ハイウェイオアシスが出来た。高速道路が出来ていた。時は流れた。


posted by 花井英男 at 20:07| 文学・芸術

2017年11月09日

「ジョン・キーツを読む」  中日文化センター

中日文化センター

ジョン・キーツを読む
―イギリスロマン派の感性と文体ー

講師 名古屋大学名誉教授  岩崎宗治 文学博士

テキスト 「キーツ詩集」 イギリス詩人選(10)
宮崎雄行編(岩波文庫)

2107年11月9日(木)1:30〜3:00




始めに、先生は近況を述べた。庭の柿の木を切った。おでこをぶつけてしまった。
(先生は、家事をするようになったことは、大きな進歩だと思う。

先生の昔のエピソードを話したいと思います。

私が、友人と岡崎市の能見町の先生の自宅へ、ケーキを持って訪問したことがあった。

それは、私が大学を卒業し、友人が、広島大学の博士課程を修了し、母校の愛教大に就職した頃だった。
奥さんが、僕たちに、「私が風邪をひいていても、家事を絶対にしてくれません。どう思いますか?」と言われたことがあった。困ったやつだと思った。思い出せば、俺もそういう人間だった。
今は、買い物に行くそうだ。人間は進歩するものだ。)

さて本日の先生の近況の話の続きです。

カズオ・イシグロノの翻訳を2冊読んだ。感銘を受けたと。
「私を離さないで」
「忘れられた巨人」
前者は、クローン人間の重い作品だと。
後者は、アーサー王の後の時代背景。

先生の話が聞き取りにくいのと、私は耳が遠くなったので、十分に聞こえない。
Tさんが、いつもマイクを服の適切な位置につけてくださいと、忠告するが、今日はいない。


1月からのテキストは、キーツ詩集の後、
T.S.エリオットの詩集を取り上げたいと予告。
Faber and faber 版の詩集を使う。



翻訳は、先生の出版した、岩波文庫版、岩崎宗治訳の、
「荒地」を使うとのことだった。

対訳本はない。



さて、今日の作品は、キーツの名作。
”Ode on a Grecian Urn”

「ギリシャの壺のオード」



すばらしい作品だ。私のように鈍感な人間にもわかる。
先生は2枚のハンドアウトを用意してくれた。
キーツの作詩過程に影響を与えた、ギリシャの壺の図、写真、クロードという画家の絵などのついたハンドアウトであった。こういうものに触発されのかと、感銘を受けた。


キーツは、ギリシャの壺に描かれた物語の絵と、クロードという画家の絵を見て、触発されて、この名作を書いたことに参加者も驚いたようだ。
A4の2枚に、壺の絵と絵画の作品が沢山集められている。

キーツのこの詩作品のそれぞれの場面が、それぞれ、壺や、絵のどの部分に相当するか、説明された。

ギリシャ・ローマ神話とイギリスの詩とのつながりは深いと言ってしまえばそれだけだ。この作品は、ギリシャ神話の中身とはあまり関係はない。地中海文明の人間的な明るい面、牧歌的な面などヘレニズム文化の面が前面に出ていると思われる。

ヘレニズム文化がイギリス詩の中に、浸透している。ヨーロッパだから、当たり前と言えば、当たり前だ。


風土的にも、イギリスの風土とギリシャ・ローマの風土には、地政学的には、離れているが、似通っている部分が多いと思う。
牧歌的風土など、植物など。風土的に似ている部分があるのだろう。


壺、花瓶、絵画作品に触発されて、この詩作品が出来ている。
芸術至上主義的な部分がある。

最後の部分、
「美はまこと、まことは美」という教訓的な部分はなくてもよいと
岩崎先生は言われた。そうかもしれない。

詩作品を読み終わってから、参加者全員に感想を求められた。それぞれの感想は面白かった。




posted by 花井英男 at 17:37| 文学・芸術