2019年08月09日

「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の山脇佳朗さん


2019年8月9日、9日午前、長崎市の平和公園での、長崎平和祈念式典の様子をテレビで見ました。
その式典の中で、「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の山脇佳朗さんの姿に感激しました。その記事が、ネット上に出ていましたので、紹介させていただきます。


「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表の山脇佳朗さん

9日の長崎市の平和祈念式典で、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた山脇佳朗さん(85)は、海外への発信を重視し英語での語り部活動を続けてきた。


核廃絶が思うように進まない現状に危機感を持ち、日本政府に「戦争や核兵器のない世界を実現する指導的な役割を果たせる国になってほしい」と訴える。

山脇さんは11歳の時、長崎市内の自宅で被爆した。父の八寿雄さん(当時47)は爆心地から500メートルの勤務先の工場で爆死した。

兄弟3人で父を荼毘(だび)に付し、翌日遺骨を拾いに行くと、まだ焼け残った状態だった。「せめて頭だけでも拾って帰ろう」と兄が火箸で頭に触れると頭蓋骨が割れ、白濁したものが流れ出た。


驚いた3人はその場から逃げ出した。「父の遺体を見捨ててしまった」。きちんと埋葬できなかったことをいまも悔やみきれない。

語り部活動を始めたのは定年後。あるとき、外国人に通訳を介して語りかけていると「距離が開いていくような、気持ちが通じているのだろうかという疑問を抱いた」。外国人にじかに伝えたい――。山脇さんは独学で英語の勉強を始めた。


2010年、英マンチェスターで海外で初めて英語による講話を行った。女子高校生が涙を流して耳を傾ける姿に「思いが通じた」と、英語の発信力を実感した。その後も国内外で英語での活動に力を入れてきた。


もっとも、被爆の実相を海外で伝えても「それぞれの国で核廃絶運動が始まるきっかけになったかというと、必ずしもそうではない」ともいう。「世界全体では核廃絶への道は私たち被爆者が思うように進んでいない」


核兵器をなくし、長崎を最後の被爆地とするため「Please lend us your strength(皆さんの力を貸してください)」と訴えた山脇さん。各国から長崎に集まった出席者に「この言葉だけは頭に刻み込み、帰国したら伝えてほしい」と願っている。



posted by 花井英男 at 20:19| 戦争・平和

長崎平和宣言2019年8月9日

8月9日、私は、テレビの前で、長崎の平和祈念式典を見た。田上長崎市長の平和宣言に感動した。これは、起草委員会で作られたものであるとのことである。

その模様を伝える記事を引用します。このようにいろいろ準備されたことに敬意を表したいと思います。

長崎市の田上富久市長は29日、8月9日の「原爆の日」の平和祈念式典で読み上げる平和宣言の骨子を発表した。被爆者が書いた詩を引用し、核兵器廃絶に向けた市民社会の役割を強調。日本政府に対して、核兵器禁止条約への署名・批准を求める内容。

 市は5月以降、被爆者や有識者ら計15人でつくる起草委員会を3回開催。会合では、核軍縮が停滞する現状を打開するために「市民一人一人が声を上げることが重要」などとの意見があった。憲法9条の維持に言及するよう求める声もあったが、田上氏は盛り込まない考えを示していた。

 平和宣言は、英語やフランス語など10カ国語に翻訳される。
インタネット上にそれぞれの原文が発表されている。
日本語の平和宣言は次の通りです。


目を閉じて聴いてください。
 
 幾千の人の手足がふきとび
 腸わたが流れ出て
 人の体にうじ虫がわいた


 息ある者は肉親をさがしもとめて
 死がいを見つけ そして焼いた
 人間を焼く煙が立ちのぼり
 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
 
 ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった
 
 だけど……
 父も母も もういない
 兄も妹ももどってはこない
 


 人は忘れやすく弱いものだから
 あやまちをくり返す
 だけど……
 このことだけは忘れてはならない
 このことだけはくり返してはならない
 どんなことがあっても……

 
これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。


 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。


 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。


そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機にひんしています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。


 核兵器がもたらす生き地獄を「繰り返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
 

そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。


 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
 戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
 国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。


 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
 平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。


 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。


 核保有国のリーダーの皆さん。核拡散防止条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。


 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。


 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。
 長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。


 原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。




posted by 花井英男 at 19:57| 戦争・平和

2019年06月23日

沖縄全線戦没者追悼式 「平和の詩」

6月23日(日)、慰霊の日、沖縄県主催  沖縄全線戦没者追悼式が糸満市の平和祈念公園で行われた。

お昼の時間にNHKで放送した。

玉城知事の平和宣言を聞いた。政府に話し合いを通じて、辺野古の基地移転取りやめを求めて行く姿勢を応援したい。

軍事による平和ではなく、話し合いによる平和を希望します。

狭い沖縄に、日本にある米軍基地の70%以上を沖縄が負担している現状。


ひめゆり平和祈念資料館では、展示が今の若い人に、ピンとこないという感想を聞いて、展示内容に工夫をこらしたいと伝えていた。


「平和の詩」が小学生によって発表された。

ここに引用させていただく。

「本当の幸せ」

           糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈

青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか

緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか

青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか

平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私


海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも


戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ


二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように

お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない


家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ

「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある

令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも





posted by 花井英男 at 13:47| 戦争・平和