2025年全退教 中部ブロック学習交流会ツアーin 富山
平和への祈りの旅−名もなき人達の慰霊碑をたどる
平和への祈りの旅−名もなき人達の慰霊碑をたどる
11月6日(木)〜7日(金)、長年の参加希望だった、全退教の旅行に参加した。最初に、幹事役の富山高退教のおもてなしに心から感謝申し上げます。
宿は氷見市の海岸沿いのなだうら温泉旅館、「イソップ」。バスで隣に座った、富山高退教の方は、国語の先生だった方で、2日間、親しく話ができた。
初日、最初に、シベリア抑留犠牲者慰霊碑を訪ねた.
2005年8月に、高岡市の信光寺の墓地に、全国強制抑留者協会が建立した「ソ連強制抑留者慰霊碑」(刻名)を訪問した。シベリア抑留の背景は、ソ連・スターリン(8月23日極秘指令)は労働力不足を補うために、日本軍捕虜をシベリアに抑留し、強制労働を行わせた。
抑留者は60数万人(富山県約3100人)、飢餓と酷寒の重労働の中、約6万数千人(富山県600人)が犠牲となった。初めて知る、詳細な実証的歴史的記述に改めて感銘を受けた。
資料には、映画「ラーゲリ(註・収容所)より愛をこめて」のカラー写真、「モンゴル抑留 死を覚悟 命ある限り体験を伝える」全国協会長107才山田さん(写真)(南砺)の北日本新聞の記事2025.6.14の紹介。後世に伝えようとする意志を感じる。
国宝 雲龍山勝興寺(浄土真宗本願寺派)の見学
広大なお寺の建物について、ガイドさんの熱弁の説明を頂いた。富山には、国宝の寺はもう一つ、前田利長の菩提寺として建立された、瑞龍寺がある。
勝興寺起源は蓮如が創建、16世紀末までは、一向一揆を主導。以下略。1998年から23年間大修理が行われ、昔の壮麗な姿がよみがえったと記述されている。
大伴家持の万葉歌碑に感銘 越中国府の推定所在地
お寺から、見学先の高岡市伏木気象資料館・旧伏木測候所(国登録有形文化財)に移動の途中に、道路上に大伴家持の銅像を見上げた。
資料館の中庭に、越中国主守館推定地 越中国府関連遺跡の記述の看板と、大伴家持の歌碑があった。何よりもこの掲示板に出会えて、私は、うれしかった。
「朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ船人 万葉集巻十九・四一五〇」と紹介文。(あさどこに きけばはるけし いみずがわ あさこぎしつつ うたふふなびと)
さらにつぎの解説がうれしかった。「天平勝宝二年(七五〇)三月二日越中国大伴家持が館舎の朝の寝床ではるか射水川(小矢部川)を漕ぎ歌う船人の声を聴いて読んだ歌である。射水川は当時、この大地のかたわらを流れていた。」
初日の夕食会は、参加者全員がスピーチをする交流会が楽しかった。長野3名、新潟4名、静岡4名、愛知5名、富山7名。最後に富山高退教の幹事の方の、「剣岳に賦す」(これは立山連峰のことだろうか?)の詩吟と、こきりき節の歌唱披露を頂いた。
昔、私は富山駅付近から見た、立山連峰の素晴らしい景色の記憶が残っている。今回の訪問中は見ることができなかった。代わりに、絵はがきを購入した。
2日目最初に、ひみ番屋街(物販・鮮魚の店で買い物)
富山大空襲慰霊地蔵尊を訪問 漂流死者を慰霊―お地蔵さん建立
昭和20年の空襲後に赤ちゃんを抱いた母親、寝間着姿の小学生など多数の犠牲者の遺体が毎朝のように海岸に打ち上げられた。平和の尊さを忘れてはいけないという願いを込めて、1975年に募金により、建立。
高岡大仏の見学ー柔和なお顔の大仏さん。26年の歳月をかけて完成。
伏木港にある日中友好之碑の見学。日本と中国は二千年にわたる友好の歴史がある。戦時中伏木港に強制連行され港湾労働に従事した中国人の慰霊碑。
友好の碑は、強制連行人数、死亡人数、歴史認識を疑わせる記述の問題を残す、という資料の紹介。
「平和と人権 とやまガイド」38頁の分かりやすいパンフレット(5百円)。このガイドは、中学、高校生をはじめ広く県民を対象に平和・人権の視点から近現代の旧跡・石碑などを紹介したもの。歴史教育者協議会などの編集。この本に感銘を受けた。