2022年02月25日

ロシアのウクライナ侵略に抗議に意思を表そう!



私たちも声を上げよう!!!


 
在日ロシア大使館へ

  抗議の気持ちを表そう!
 
   抗議のはがき、

   抗議の電報など

  抗議の意思を伝えよう!


 
政治家任せにしないで、
    
   庶民の声を,
 
   抗議の声を

   ロシア大使館に届けよう!


私は下記の内容の抗議文をはがきで送りました


Stop the war of aggression in Ukraine !



ウクライナでの侵略戦争をやめよ!






ロシア大使館の住所


106−0041

東京都港区麻布台2−1−1

在日ロシア大使館









posted by 花井英男 at 16:41| 戦争・平和

2022年01月14日

あさいちの「松山ケンイチ」を見て

あさいちの「松山ケンイチ」を見て

 久しぶりに朝のんびりとして、NHKのあさいちを見た。松山ケンイチが出演していた。

 松山ケンイチ主演舞台「hana-1970、コザが燃えた日」(2022年1月9日(日)東京芸術劇場プレイハウスにて。

 舞台『hana-1970、コザが燃えた日-』のエピソードを話していた。

 松山は、沖縄のコザに実際に行って、コザのバーに行って、主人に当時の様子を、いろいろ聞いた。その勉強ぶりに感心した。

 そのバーの主人は、言った。「ベトナム戦線にいつ出撃するか分からないアメリカ兵たちは、荒れていた。」

 この言葉を聞いて、ベトナム戦争の時期に一気に戻った。1970年ころ。
 私は、30歳の頃だ。30歳の頃、名演に参加して、毎月演劇を見るのが楽しみだった。

 コザ騒動はこのころ起きた事件。ウィキペディアによれば次の通り。

 「コザ暴動(コザぼうどう、英語: Koza Riot)は、1970年(昭和45年)12月20日未明、アメリカ施政権下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で発生したアメリカ軍車両および施設に対する焼き討ち事件である。

 直接の契機はアメリカ軍人が沖縄人をひいた交通事故だが、背景に米施政下での圧制、人権侵害に対する沖縄人の不満があった。

 地元の沖縄では、「暴動」ではなくコザ騒動(コザそうどう)、コザ事件(コザじけん)、コザ騒乱(コザそうらん)と呼ばれる。」

 ここで私が感じたのは、戦争に出る兵士の気持ちである。沖縄の人たちが見てきたのは、米兵のすさんだ気持ちである。戦争というのは、人間をこういう状態にするのだ。人は何のために生まれてきたのか。人を殺すために生まれてきたのか。

 ベトナム戦争から帰還した米兵たちは、戦争神経症になった。戦争神経症については、

 兵士の戦争神経症・PTSDはベトナム戦争での米兵の30%〜50%が戦争体験のPTSDにより社会復帰できないということをきっかけに知られるようになり、イランイラク戦争、アフガン戦争でも戦争によるアメリカ社会の後遺症として社会問題になっている。

 ウィキペディアによれば、「戦闘ストレス反応」は、次の通り。

 「1980年代にかけてベトナム戦争からのベトナム帰還兵が、社会復帰後に深刻な心理的障害を示すことがアメリカ精神医学会で研究されるようになり、これは心的外傷後ストレス障害 (post traumatic stress disorder, PTSD) と命名された。」

 政治家に知ってほしいことは、また、私たち国民が、知っていなければいけないことは、
 戦争のもたらす、このような悲しい産物だ。

戦争ばかりでなく、日常生活の中でPTSDで苦しんでいる方が沢山いることを知っていただきたい。


 
私は、臨床心理士として、PTSDのクライエントを相手にしている。


 親、兄弟、姉妹、会社の上司、同僚、学校、大学などの教員、同級生、上級生による、不適切な養育、教育、虐待、暴言、暴力、処遇、接し方による、PTSD・心的外傷後ストレス障害、解離症、多重人格障害の人たちが、人知れず沢山いるということ。


  憲法9条をもう一度、読み返したいと思います。

 日本国憲法第9条は、第1項で「 戦争 の放棄」、第2項で「戦 力 の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。

 
[1] 日本国 民は、 正義 と秩序を基調とする 国 際 平和 を 誠 実に希 求 し、 国 権の発動たる 戦争 と、武 力 による威嚇又は武 力 の行使は、 国 際紛争を解決する手段としては、 永久 にこれを放棄する。


 関係国とは、あくまでも、話し合いにより、解決をすること。

 戦争という手段によって、問題を解決しないことが大切だ。

 戦争で解決するだろうか?

「松山ケンイチ主演舞台「hana-1970、コザが燃えた日」の内容は、次の通り。


 常に時代と向き合い演劇の力を信じて力強い作品を送り出している演出家・栗山民也が長年見つめてきた沖縄を題材に、同志のようと信頼する作家・畑澤聖悟に書き下ろしを託し、その演技力を舞台の上で観たいと待ち望まれ、ついに会話劇初主演となる松山ケンイチと初タッグを組む。
タイトルは『hana-1970、コザが燃えた日-』沖縄返還50年目の2022年。返還直前の沖縄に生きる人々を描く意欲作!

                                                                            
 「血のつながりは、ない。でも彼らは、家族だった―――

 返還直前の沖縄に生きる人々の様々な想いが爆発した、歴史的にも意義の大きなコザ騒動を背景に、沖縄、本土、アメリカ――戦後沖縄の縮図のようなバーでの一夜を描く物語。 

 母親の愛情、そして妹への想いをめぐって分断してしまった二人の血のつながらない兄弟。コザ騒動の夜、それとは全く関係なく、家の中で起きた事件により、ばらばらになりかけた家族に変化が起きる―――

 いびつな「偽の家族」が、心からぶつかり合いわだかまりを溶かしていく様子を通して、沖縄という土地が背負わされているもの、現在も変わらぬその業と見つめるべき未来を浮かび上がらせていく。」            














posted by 花井英男 at 10:23| 戦争・平和

2021年12月11日

青い目の人形・あいちの会 主催 講演

青い目の人形
あいちの会

日米親善交流1927

Aichi Friendship Doll Society


青い目の人形・あいちの会 主催

日時:  2021年11月28日(日)13:00開場
13:30開演〜16:00
場所:  名古屋  栄  中統奨学館ビル 9F会議室

内容:  講演  演題 「青い目の人形」を活用したまちづくり
             大学院生の調査研究と実践をてがかりに」

講師  西村公孝氏   鳴門教育大学院 特命教授  (本会役員)



講演要旨


 自己紹介をかねて私の研究課題についてお話しします。その中で、鳴門教育大学教職大学院(現職教員が2年間派遣型で研修を行う大学院)生の海老名三智子先生(徳島県

神山町神領小学校、現在、小松市立和田島小学校教頭)が研究課題とした{青い目の人形(アリス人形)がつなぐふるさと学習」の研修成果を紹介する。

神山町は、古民家を活用したIT系企業サテライトオフィス誘致や芸術家の招聘等により移住者が増加し地方創生の取り組みが注目されている。

アリス人形を活用したまちおこしなどNPO法人グリーンバレーの大南信也氏をリーダーとした地域創生に取り組んでいる。

また、徳島県の上勝町では、農協が起業した「彩(株)」が「葉っぱビジネス」の新しい産業を築き、高齢者が生きがいを取り戻している。


感想

 講演の直前に、成田君(「青い目の人形・あいちの会」会長、大学時代のクラスメイト、元県立高校長)から案内をいただき、講演に出かけた。

 成田君に久しぶりに会うことができた。お元気で活動しているのは何よりだ。会うのが楽しみだ。西村公孝先生は、愛知教育大学附属高校の時代の同僚である、というが私は、忘れてしまった。彼が、「僕を覚えていますか」と言ったが、全く思い出せない。

 何よりも、うれしいのは、本日の講演のすばらしさだ。筋の通った話しぶり、人形と地域おこしの結び付けを堂々と展開した。

 現職教員を指導して、素晴らしい修士論文作成の指導をされた、と思う。院生の才覚も勿論素晴らしいと思う。

 難しい、過疎地の地域おこしという課題に取り組んでいる。西村先生は、兵庫教育大から、博士号を取った。

 徳島県の過疎地の老人たちが、料理に使う、添え物の葉っぱを集めて、関西などに売り出していることは、TVで昔見たので、ああこれか、と思い出した。

 素晴らしい講演に感謝の言葉を西川先生に述べた。講演後に、西川先生と話し込んだ。
徳島県には、認知行動療法学会で、ほんとに。何度も訪ねていること、養護学校時代の知り合いがいること。

 賀川豊彦記念館、鳴門教育大キャンパスパス、徳島大キャンパス、徳島大の知り合い、鳴門観潮、うどんのうまい店、お遍路の始めのお寺、徳島は、川多くて、ボートで回る観光コース、阿波踊り会館のことなど。

 人形交流100周年の2027年を目指し、活動していると、成田君から聞いた。いまTVで、「晴天をつけ」の主人公、渋沢栄一が取り上げられている。渋沢の偉大さを改めて、見直さなければと、思っている。

 「青い目の人形」については、ウィキペダイアを見られたい。青い目の人形の趣旨は、
「日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、

 1927年に、アメリカ人宣教師(同志社大学)のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)が「国際親善、人と人との理解は大人になってからでは遅い」と考え始めた。

 ギューリックの提唱に共感し、この事業の仲介を担った。これに伴い日本側も渋沢栄一を代表とした「日本児童親善会」を結成し、アメリカから贈られる人形の授受や諸手続きの事務処理を行い、文部省や外務省にはそれぞれ全国の児童たちへの人形の配布を日本全国に手配した。

 日本全国に送られた一覧表は、ウィキペディア「青い目の人形」を見られたい。日本の各地に人形が送られていることがわかる。まさに平和の使者の役割を果たした。今これを見直していきたい気持ちだ。人形は、平和の使者だ。

 成田君は、人形交流の件で、幸田町から、アメリカにも行っている。発展を望んでいます。
あいち県、幸田町の、幸田小学校に、グレース・エッサという名前の人形の使者がいる。

 講演会では、かつて、愛教大附属高校で同僚だった、深草正博先生とお会いできた。現在は、今年退職され、皇学館大学名誉教授となられた。

 また同じ町内に住む、Sさんが出席された。成田君、私と、同じ高校の出身である。

        









posted by 花井英男 at 17:35| 戦争・平和