2018年12月04日

杉原千畝広場(すぎはらちうねひろば)を訪ねて

杉原千畝広場(すぎはらちうねひろば)を訪ねて

センポ・スギハラ・メモリアル


12月4日(火)、天候もよいので、母校・県立瑞陵高校(瑞穂区北原町9)の杉原千畝広場を訪ねた。

杉原千畝の紹介について、ウィキペディアから引用します。

「杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は日本の元国家公務員(外交官)。

第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ人系であった。」

杉原千畝は、愛知県の第5中学校・現 愛知県立瑞陵高校の出身であるということで、2018年秋に、杉原の功績をを讃えて、母校・県立瑞陵高校に、杉原千畝広場・センポ スギハラ メモリアルが開設された。

十数人の人たちが来ていた。正門の西側にこの施設はある。生徒用の入り口とは別に入口がある。


始めの所から掲示板を読んでいたら、知り合いの尾鍋さんから、挨拶をされた。ちょうど瑞穂区年金者組合のメンバーが、今日は、史跡めぐりを始めた所だった。
一緒に写真撮影に入るように誘われた。パンフッレットを頂いた。彼も私も瑞陵出身。


施設案内があり、4部構成になっている。
Aは、決断と希望、

Bは、運命のビザ、

Cは、杉原千畝の生涯、

Dは、歴史と継承。


中央に、杉原氏が、ユダヤ人家族(夫婦と子ども)にビザを渡す、ブロンズ像


開館記念の日に、同窓生の成田君に行こうと誘われたが、「すぐ近くだから、家の近くだから、いつでも行けるから」と断った。後から、しまった行けばよかったと思った。その資料は、それ以後は見られない。


見学者は次から次へと来場した。資料は余りにも多すぎて、読むのにエネルギーが、いる。又、来ればいいと思い、簡単に見ることにした。

東京(日本政府・外務省)からはビザの発給は断れと言われたが、どうしてこれが断れようかと、戦後、日本に帰国した、杉原は、フジテレビの質問に答えている。

杉原が発行したとされる、2000通以上の通過ビザの現物のコピーが展示されていた。ナチスヒトラーに追われて、命からがら、助けを求めて、列を作って沢山のユダヤ人たちが、領事館の前に並んだという。

自由にお取りくださいということで、A4のパンフレットが置いてあった。


ふと、私は、沖縄での辺野古のことが浮かんだ。沖縄の人たちは、今、辺野古に基地を作らせない闘いをしている。もう沖縄には、基地はいらない。安倍は、アメリカの言いなりになって、トランプのご機嫌取りの政治をしている。どこまで日本人を苦しめるのかと、いつも静かな怒りを持っている。

北朝鮮は、韓国の大統領の計らいで、仲良くなろうとしている。東アジアの平和は、希望が見えてきた。このような情勢の中で、東アジアの平和に貢献する時が来ている。軍事緊張は減りつつある。減らしていかなければいけない。

安倍は、東アジアの平和を創ろうとせずに、壊そうとしている。北朝鮮に圧力を加えよう、制裁を加えようとしている。率先して、北朝鮮と仲直りをしようという気持ちがない。韓国の大統領が、困難な仕事をしていると思う。

今までの北朝鮮と仲直りをするわけだから、相当な時間が必要になるだろう。それを手助けするのが日本の役割ではないか。安倍は、妨害こそすれ、支援はしない。沖縄は、東アジアの軍事の要の役割をしてきた。

このようなときに、沖縄を軍事基地の要としての役割は、終止符を打つべきだ。今まで、北朝鮮があるから、米軍基地は必要だ、という考えだった。これからは、日米の安保体制は、経済的にも。軍事的にも、平和の方向に向けていかなければいけない。

そのようなときに、沖縄の基地負担は、もうごめんだと言う意思表示を、沖縄県民がした。新しい沖縄県知事に前衆院議員の玉城デニー氏が選ばれた。前回知事選の翁長 雄志氏の得票を上回り、復帰後の知事選では過去最多得票での勝利である。

沖縄の米軍基地は、撤去すべきだ。辺野古の施設は作らない。作る必要はない。

現職知事在任中に亡くなった、翁長雄志知事は、市議、県議、那覇市長時代、自民党だった。自民党の幹部だった。それが革新に志を変えた。保守から革新に志を変える政治家は結構いる。


外国人材の法律にしても、給料も、待遇も、一人前に扱わない。ひどい人権侵害をしてきた。安倍の暴走政治には毎日、怒りを抱えている人は多いと思う。良心的な保守の政治家の出現を望んでいる。

安倍首相は、1機150億円の米国製戦闘機F35を最大100機追加購入することを検討しいる。トランプ大統領は、11月30日、アルゼンチンのブエノスアイレスで、安倍首相と会談。「日本がF35など米戦闘機を大量に購入することを高く評価する」と語り、大歓迎した。


日本はすでに、F35を42機導入することを決定している。F35はエンジンなど多数の欠陥で開発が長びいている。しかし、米政府監査院は、F35には、「966件の技術的問題点が見つかった」とする報告書を発表した。開発はさらに遅れ、価格も高騰する見込みです。

福祉予算を削り、軍事費を増大させる安倍政権は一刻も早く退陣してもらいたいと思う。










posted by 花井英男 at 12:17| 戦争・平和

2018年10月19日

第19回  瑞陵高等学校 10回生 同期会

2018年 第19回瑞陵高等学校 第10回生 同期会
卒業60年、公式の会合は、第19回で終了です。


日時:2018年10月18日4:00〜7:00
場所:JR セントラルタワーズビル

名古屋マリオットアソシアホテル 16階 アゼリアの間

名古屋駅

会費1万円



高校を卒業して、60年経った。
年令が、78歳か79歳になった。
今回が、10期生にとって最後になるという通知が来た。そんな意識で皆が参加したと思う。



卒業後、10回生の同期会は、19回続いたという。
私は、その内何回出席しただろうか。1回のみ覚えている。


今回が最後になるということで出席した。あの人に会えるかもしれない、この人に会えるかもしれないという気持ちで出た。亡くなった友人のことも思い出した。彼はどうしているだろうと思いだす人もいる。

事情があり、会場に遅刻して到着した。

エレベータを下り、会場に近づくと、ホテルの
案内係がすぐそばに来て、「花井さんですか、案内します」と言ってくれた。
ホテルの案内係に幹事が連絡していた。

遅刻したので、幹事が、私の自宅に電話を入れたとのこと。

会場に着くと、幹事の所に案内してくれた。


幹事さんから、「2018瑞陵会報」と「杉原千畝広場
センポ・スギハラ・メモリアル」のパンフ、「出席者名簿」を頂いた。



会場に入ると、普通科、商業科、家庭科ごとに、クラス別にみな席についていた。

当時、50人学級か、55人学級か思い出せないが、普通科、商業科、家庭科で全部で10クラスあった。5百人以上いたと思われる。
出席者は約百人だという。5分の一の出席だ。もう亡くなった人もいる。


プログラム

1. 開会
2. 校歌斉唱

3. 代表幹事あいさつ
4. 乾杯

〈歓談〉

5. 余興 : 津軽三味線
6. 写真撮影

7. 各クラス幹事労い
8. 中締め

9. 閉会



私の席は、3年4組のテーブルだった。隣に、幹事さんが座り、ビールをついでくれた。皿に料理をとってくれた。

すでに、プログラムは、乾杯が終わっていた。歓談のところに来ていた。

幹事さんのAさんに挨拶と労いの言葉とお礼の言葉をかけた。


しばらくしてから、A君から、同期会の世話役を務めた、故中山君の御苦労を聞いた。始めの頃、彼が、同期会の世話役をしていたという。


私の勤務校(愛知教育大学附属高校)に中山君は良く電話をかけてきた。旺文社の進路指導の雑誌のバックナンバーはないかという電話だった。ちょうど私は、進路主任をしていた頃だ。


「花井、○○という雑誌ないか」という言い方だった。横柄な言い方に内心腹が立った。その彼は、クリスチャンだったという。名古屋駅で炊き出しをよくしていたという。早くなくなってしまった。こんな一面があったのかと思った。

こういう同期会は世話焼きがいないとできない。



幹事役のA君は、日本語教育に携わってきた経緯を話してくれた。残留孤児の日本語教育から始まった。身元引受人もしたという。今は、ベトナム、ネパールからの人たちに教えているという。80近い年齢になっても活躍していると、ちょっと元気だ。

Y君の顔が見える。行って挨拶をした。何を言っているか分からない、小声だ。昔の元気さがない。
テーブルを見まわした。クラスは女の子は数人しかいなかった。Iさんに挨拶した。同じ大学に行ったので覚えている。同じテーブルにいるほかのメンバーはあまり覚えていない。

幹杉原千畝の後輩であることに誇りを持つという幹事の挨拶があった。母校に最近建設された、杉原ミュージアムを訪れたと、報告していた。
しみじみとした挨拶であった。

隣に、M君が座っていた。皆、胸に名前の名札を付けていた。M君の名前はすぐ思い出した。声をかけて話をした。彼も、現在仕事をしているとのこと。名刺を頂いた。わざわざ、千葉県柏市からきたという。帰りの新幹線の時間を気にしていた。

遠くに、森君の顔が見えた。彼は、元気そのものだ。絵を描いている森君だ。生き生きしている。彼は私のために、「上高地の梓川」のパステル画を描いてくれた。部屋の飾っている。一番元気だ。

会場を見まわし、クラス別に座っており、名簿が皆さんに配られているので、それを頼りに、回って行って、挨拶をしたり、声をかけた。皆、顔は思い出せない。名前だけが頼りだ。私の名札を見て、声をかけてくれる人もいた。

名簿の中にIさんの名前を見つけた。生きているんンだ。遠くの座席にいるIさんの顔を見つけた。じっと見続けた。こういう顔の人になったんだと思った。昔の面影はない。


もうほんとに、誰の顔も覚えていない。ほとんど覚えていない。名前だけが頼りだ。出席の予定だったが、医師としての手術の予定が入って来られなくなったT君。

しばらく、会場を回って、知り合いを探して回った。亡くなった人も思い出した。来ていない友人も思い出した。まだ会える。いつも中日文化センターで会っている、成田君の姿が見えない。来ていない。

最後に、校歌がすばらしい。ここに記しておきたい。この気持ちを持ち続けることをしたい。

1.日は昇る 瑞穂の丘に
  朝雲の 輝き満てば
  ポプラの葉 そよぎて若し
  ここに映ゆ  学びの庭は
  その名 瑞陵 われらが母校

2.窓ひらく 自由の風に
  真青なる   未来をめざし
  飛ぶ鳩の  虹あるつばさ
  見よつばさ 命燃えて
  たゆみなき  日ごろのはげみ
  自治ぞしるし われらが理想
 

3.世の末の 濁りに染まず
  ひとすじに 真理を探ね
  よろこびの道  ふみ行かん
  愛と知の 花咲く郷里に
  築け 高く われらが栄えを

3番の歌詞が気に入った。「世の末の  濁りに染まず  ひとすじに 真理を探ね よろこびの道
ふみ行かん  愛と知の  花咲く郷里に  築け 高く われらの栄えを」

これを目標に今しばらく頑張ろう!








posted by 花井英男 at 19:33| 戦争・平和

2018年06月24日

平成30年度沖縄全線戦没者追悼式の相良倫子さん(中学3年)の平和の詩

6月23日は、沖縄慰霊の日、平成30年度沖縄全線戦没者追悼式



お昼のNHKニュースで、相良倫子(さがらりんこ)さんが平和の詩を読み上げる姿に感動した。相良さんが詩を作った経緯がネット上に出ているので、以下掲載します。

相良さんは、原稿を見ないで、暗唱していたようだ。

相良さんの詩は県平和祈念資料館が募った「平和の詩」971点の中から選ばれた。

 うるま市に住む94歳の曽祖母は戦前から理容店で働き、地上戦を体験。友人が目の前で被弾して命を落としたことや家族と離ればなれになった話を聞き、相良さんは「戦争の残酷さを感じた。曽祖母の存在から平和や戦争について考える機会が増えた」と振り返る。

 5月に曽祖母が入院したことで、「生きる」を詩のテーマに決めた。「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」。作品では「戦争の残酷さがより伝わる」と美しい島の現在の情景と73年前の戦場を対比的に描いた。

 「戦争は人を鬼に変えてしまうから絶対してはいけない」と教えてくれた曽祖母。「この詩が一人でも多くの人に平和や戦争について考えるきっかけになってほしい」と願う。「一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ」という内容。
以上は、ネットから得た情報です。

以下、本文を全文掲載します。

浦添市立港川中学校3年   相良倫子さん  「生きる」

私は生きている。マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気をはらんだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻腔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊のいななき、
おがわのせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の線の緑、
優しい三線(さんしん)の響き、
照り続ける太陽の光。

私は何と美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間のすばらしさが
この瞬間の愛(いと)おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなくこみ上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。

73年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾にゆれる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、
私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜(むこ)の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を
絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を超え、
宗教を超え、あらゆる利害を超えて、
平和である世界を目指すこと。
生きるこ事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、当たり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁のの風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きていゆく未来に。
私は今を、生きていく。








posted by 花井英男 at 11:17| 戦争・平和