2021年10月25日

コロナの死者数など

中国、日本、韓国、ベトナム、台湾・東アジア地域(大まかに)のコロナの死者の数

中国   5695   (WHO発表)

日本 18194


韓国  2766

ベトナム  18017

台湾  846


 死者の数は、毎日、動いております。

 ネット上の数を調べてみました。ある政党の演説会で、医師が日本のコロナの死者の数と他の国の数を比  較して、政治の責任について、意見発表をしました。それを紹介します。

 改めて私は調べました。
 東アジアの死者数でした。上記の国別の死者数は、医師の話を参考にして、私自身が調べた数です。


 コロナの死者の数を引用した、医師の発言の趣旨は、日本の死者の数は、中国、韓国、台湾に比べて、非常に高い。これはなぜか?という疑問です。

 また、これだけ死者を出したのは、自公政権の責任だというものです。

 そういえばそうだなあと思いました。

 その医師の発言・主張によりますと、こんなに死者が出たのは、2つ原因がある。

一つは、ゴーツーキャンペーンをコロナが流行っている時に、自民党政府(自公政権)がやったからだ。これでコロナが一層まん延したんだ!!



もう一つは、コロナが流行っている時に、オリンピックをしたからだ

 この説明には納得しました。感染者がなぜこんなに増えるのだろうと、当時思いました。オリンピックで浮足立つ感じがありました。

 コロナの感染者の数が、毎日、うなぎのぼりに増えていったときは、生きた心地がしませんでした。どうしたらいいんだ、どうなるんだと思いました。

  そもそも、自民党に対して、不信感があります。

  太平洋戦争を賛美する靖国神社に参拝する、自民党の国会議員の姿勢が納得できません。あれだけたくさんの犠牲者を出した戦争を賛美する宗教団体が存在することに疑問を持ちます。
  
  若者が生きにくくなる、弱肉強食の社会を作る、派遣法を自民党政権が作ったことです。なんでも自己 責任とする自民党の考え方です。新自由主義の考え方です。弱者を作る仕組みを作り、弱者に自己責任を
おしつける仕組みは、庶民に優しい政治ではありません

 私には、納得ができないことがいくつかあります。その一つは、
 
私は高校に勤務していたころに、派遣法・派遣社員制度ができました。こんな制度を造ったら、若者は生きづらくなる、と職場の仲間と話し合っていました。



 
正にその通りの世の中になってしまいました。こんなに若者がひどい状態になってしまったのは、自公政権のせいです。


 結婚をしたい、家を持ちたい、という若者の素朴な希望を打ち砕いてしまったのは、自公政権です。

 若者にに希望を持たせる政治を期待しします。


何よりも命が大切です。

       









posted by 花井英男 at 11:48| 教育

2020年05月31日

サード・プレイスの必要性

NHKマイあさラジオ
2020年5月31日 6時台後半

サンデーエッセー: 高坂勝

サード・プレイスの必要性:高坂勝   NPO法人理事



日曜日の朝、気持ちよく目覚めて、NHKラジオの放送を聞いていた。
「サード・プレイスの必要性」という題の、高坂勝さんの話に感心した。「サード・プレイス」という言葉は、初めて聞いた。引きこもりの青年に対する支援の具体的な話に目の覚めるような感動を覚えた。


 今、世の中に、40代から64歳までの、引きこもりの人口が、60万人。39歳までのひきこもりが、54万人、と言われる世の中だ。大学を出て就職して、理不尽な処遇にあって社会復帰出来ない人が増えている。小中学校時代に、不登校から引きこもりになる人もいる。


今日の放送ではコメ作りの作業に参加した、20代から引きこもりだったが、30代半ばで、社会復帰した青年の話を紹介した。
高坂さんがしている「コメ作り」に参加した、ひきこもりの青年が自分の人生を歩き始めた。



この青年について事情を書きます。
エピソードを上手に私は記述できないことをお許し下さい。高校時代から30代までひきこもりだった。彼は、「コメ作り」に参加し、一人でせっせと草むしりをしていた。ある時、稲刈りの後、台風が来て「コメ作り」に来ていた、ボランティアの人たちが、仕事の都合で、みな帰ってしまった。


一方、作業の手伝いに続けて参加していた青年に、お礼のメールが殺到した。さらに、はさかけの手伝いにも続けて、この青年が参加していた。そのとき高坂さんが「仕事あるんだけど、やってみない?」と声をかけた。

「やってみたいです」と答えたので。そのまま会社を紹介することになった。青年を連れて行ったときに、会社の担当者が、「履歴書を出してくれない?」といった。すると彼は、「履歴書、書けないです」といった。よく、担当者から、「この空白期間、何してた?」と聞かれるのが怖かった。この空白期間に皆苦しんでいる。


会社の担当者が、その場で空気を察して、「大事なのは、過去でない。未来だよ」と言ってくれた。彼は、この会社には働き続けている。
このように引きこもりの青年に対して、配慮(合理的配慮)をしてくれるところはどれくらいあるだろう。


高坂さんが、この青年を風呂に誘ったら、「オレ、銭湯とか人間が怖いです」といった。一緒にふろに入ったとき、「オレ、何度も死にたい、消えたいと思った」といった。


さて、「サード・プレイス」について。社会学の用語。
“ファースト・プレイス”をその人の自宅で生活を営む場所、
“セカンド・プレイス”は職場、おそらくその人が最も長く時間を過ごす場所。
“サード・プレイス”はコミュニティライフの“アンカー”ともなるべきところで、より創造的な交流が生まれる場所。

アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグは、
以下のような場所を、真のサード・プレイスの特徴を備えているという。


無料あるいは安い
食事や飲料が提供されている
アクセスがしやすい、歩いていけるような場所
習慣的に集まってくる
フレンドリーで心地良い
古い友人も新しい友人も見つかるようなところ


高坂勝さんのプロフィール:
「僕が26歳の時に会社員を辞めた理由はシンプルです。性格的に会社員という働き方が絶望的に合っていなかったこれにつきます。」さらに、

「これからの時代に必須なのが「個人で稼ぐ力」。スキルさえ身につければ今は在宅で収入を得る方法にあふれています。そのノウハウを分かりやすく紹介します。」とブログに書いている。


今朝の放送で、高坂さんの引きこもりの青年に対するすばらしい支援の話に感謝します。また、「サード・プレイスの必要性」を実践を通じて話してくれたことに感謝します。



高坂勝さんは、「そ−さぷろじぇくと」は、地方移住とサード・プレイスを進めている。

SOSA Projectとは?
千葉県匝瑳(そうさ)市の「アルカディアの里」を中心に、
都市山村交流を通じての農作業や里山活動をしています。


その目的は、
地域住民の方々と一体となって仕事を創り、Iターンを増やし、
地域のお役に立つこと。
その手始めとして、
都市住民の自給へのニーズに応えるため、
“ マイ田んぼ ” や “ マイ畑 ” を斡旋提供し、
冬水田んぼ(冬期湛水不耕起栽培)の米作などに取り組んできました。






posted by 花井英男 at 16:49| 教育

2018年11月17日

藤島九一さんを偲ぶ会

ありがとう 九ちゃん
藤島九一さんを偲ぶ会


2018年11月17日(土)12:00〜14:00

ルブラ王山 7階 アンボメ 

会費  3000円

地下鉄「池下駅」



県立緑丘商業高校(守山区)(現在名・県立緑丘高校)に在職した、旧職員13名と藤島さんの奥さんがルブラ王山に集まった。藤島九一さんを偲ぶ会に、集まった人たちが、一人一人、思い出を話した。一高校教員として生涯を過ごした彼はこういう人であったかと、改めて認識を改めた。素晴らしい会であった。


かつて顔見知りであった人が、すっかり、容貌が皆変わってしまって、昔の面影はなかった。分かったのは、3名だけだった。


受付をしているのは、垣内さんだった。どこの人だろう、と思った。後から、これが垣内さんかと確認して挨拶にいった。久しぶりの再会はうれしかった。幹事役の牧さんはすぐわかった。

加藤真さんは分かった。山本千香子さんはわかった。旧姓杉浦さんは言われて分かった。英語の小林さんは、分かった。英語の雑誌CNNenglishを紹介してくれた。


「ヤマコウ」、「ヤマコウ」と言われた、山本紘司さんは、スピーチの時、「ヤマモトコウジです」と挨拶したら、どよめきが起こった。彼も、顔を見て全く分からなかった。そういえば、面影が残っておるなあ、という感じだった。とにかく、50年以上経っている。


懐かしい話を皆さんがした。心置きなくしゃべった。楽しいひと時であった。
藤島九一さんを偲んで、皆が話した。素晴らしいひと時を過ごせた。


この偲ぶ会のために、牧さんがすばらしい栞を作ってくれた。

ありがとう!!!


全部で18頁。表紙を入れて20頁。パソコンを使わず、皆が、手紙に書いたのをコピーしたものであった。すべて手書きである。

以下紹介します。


内容は、

九ちゃんのバスケットボール部員との写真。昭和43年卒業。

藤島九一
さんのあゆみを生誕から81才までの簡単な、県立高校転任校の歩みなど。

創立当時の、旧守山市の緑ヶ丘商業高校の航空写真の全景。



奥さん作成の、通夜、葬儀告別式の日の栞。バスケットボールのゴールリングと板の写真。
九ちゃんと垣内さんと生徒たちの写真の入った、栞。


奥さんの栞の文は、九ちゃんのエピソードを紹介している。
教え子の皆さんから慕われていた。年賀状のやりとり、入院中の見舞いに来てもらったことから、生徒思いであったことを感じることが出来ましたと述べている。


人の名前と顔を覚える記憶力に長けていたこと。
定年退職後は、孫の成長を目を細めて見守っていた。優しい笑顔が甦ります、と奥さんの言葉。


愛高教退職者の会の、「あゆち」会報に出た、加藤真さんの追悼文。
その一部を紹介する。


「生徒たちは九一と呼び捨てだった」
「先生と呼ばれる者にろくな者がいない。俺は九一と呼ばれていい」

「九ちゃん、そう呼ぶことで職場の仲間からも生徒からも、信頼絶大で、九ちゃんの周りには、生徒たちが自然と集まってくる、そんな様子を見て、うらやましく思ったものだ。どれだけ多くの仲間や生徒たちが、元気をもらったことか。」



「あゆち」に出た、九ちゃん自身が書いたの文、「私を護ってくれた亡くなった祖父母―70年前の空襲」。

13名の旧職員の思い出のページ。


瀬戸電の小幡駅と喜多山駅を入れた、緑ヶ丘商業高校、金城学院大学、加藤藤九郎の家、森林公園、小幡温泉、喜多山温泉、小幡緑地などを入れた、手書きの地図。

昔を思い出させる。

昭和42年度と43年度の職員写真。

御参会の方々。(今回の偲ぶ会に参加した人の名簿)



校歌。

「こんにちは赤ちゃん」、「見上げてごらん夜の星を」、「ドナドナ」の歌詞。



九ちゃん有難う!!!

















posted by 花井英男 at 17:40| 教育