ようこそ先輩、課外授業 NHK 2024年7月5日
福島智さん 全盲ろう者 東京大学 教授
福島智さん 全盲ろう者 東京大学 教授
福島智さんが、母校の小学校で、課外授業をした。子供たちに、「目が見えない、耳が聞こえない」という世界がどういうものか、実体験してもらうものだった。全盲聾の人は、全国に、1万4千人いるという。
この小学校での授業に、母親も出演した。障害児を抱えた母親の辛さは、大変なものだと思う。あきらめるか、親子関係がひどいものになるか、苦労は人知れないものだと思う。ここで驚いたのは、わが子に、指文字を教えたことだ。指文字の発明者だ。
小学校の子供たちは、指文字を書いて、伝達をすることをしていた。五十音のあいうえおを書いていたのだろうか。分からない。徐々に、失明し、耳が聞こえなくなっていたので、指文字の伝達手段がみつかったのか?お母さんは大変明るいものの話し方をする人のように見えた。
障害を持った人に対して、「能力主義」・メリトクラシーの考え方から、見下す考え方が出やすい。人間関係もひどくなりやすい、と思う。
この番組を紹介したのは、池上彰だった。この番組に同時に出演したのは、福島智さんの両サイドに、座っていた、2人の女性。指通訳者の役割果たしていた。
このような障害を持つ人が、東京大学の教授になった。もちろん、ただ一人だ。同じような障害を持つ人は、ヘレンケラーだ。
以下、ウィキペディアから引用させてもらいます。
福島 智(ふくしま さとし、1962年12月25日 - )は、日本のバリアフリー研究者。東京大学教授。学位は、博士(学術)(東京大学・論文博士・2008年)。専門は、バリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティ。
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事。世界盲ろう者連盟アジア地域代表。世界で初めて常勤の大学教員となった盲ろう者。
来歴
兵庫県神戸市出身。生後5ヶ月で眼病を患い3歳で右目、9歳で左目を失明する。18歳のときに特発性難聴で失聴し全盲ろう者になる。18歳までの音の記憶が残っており、自分の声を聴くことはできないが、よどみなく口で発話する事ができる。実際、講義や講演会でも発声して話している。神戸出身のため、日常生活では関西弁を話す。また、ピアノの演奏も行う。
母・令子の考案した指点字を使い、会話とコミュニケーションをはかる。この指点字は全国の盲ろう者に広く知られ、盲ろう者のコミュニケーション手段の新たな選択肢となる。
1983年、盲ろう者として日本で初めて大学へ入学(東京都立大学人文学部)。金沢大学教育学部助教授、東京大学先端科学技術研究センター准教授を経て、現職。
1995年に手話通訳士の光成沢美と結婚(のちに離婚)。1996年、母親の令子とともに吉川英治文化賞受賞。2003年には、米国の週刊誌TIME誌(2003年4月28日号)で「アジアの英雄」に選ばれる。2005年、適応障害と診断される。以後、再発を繰り返している。
2008年、盲ろう者として世界で初めて大学の常勤教員となる[2]。同年に出演したNHK「課外授業 ようこそ先輩」『みんな生きていればいい』の回は、日本賞グランプリおよび「コンテンツ部門 青少年向けカテゴリー 外務大臣賞」を受賞。
2015年に本間一夫文化賞を受賞。同年、20歳以上年下の指点字通訳者と再婚。
大学でバリアフリー論、障害学(Disability Studies)の研究と教育に従事する一方、盲ろう者を含めた障害者の福祉増進を目指す社会的活動に取り組む。
2022年11月4日、福島の生い立ちを描いた映画『桜色の風が咲く』が公開された。
学歴
1982年3月 - 筑波大学附属盲学校高等部普通科 卒業
1987年3月 - 東京都立大学人文学部人文科学科教育学専攻 卒業
1989年3月 - 東京都立大学大学院人文科学研究科教育学専攻修士課程 修了
1992年3月 - 東京都立大学大学院人文科学研究科教育学専攻博士課程単位取得満期退学
2008年5月 - 東京大学より博士(学術)の学位を取得(博士論文:「福島智における視覚・聴覚の喪失と「指点字」を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」)
職歴
1996年7月 - 東京都立大学人文学部 助手
1996年12月 - 金沢大学教育学部 助教授
2001年4月 - 東京大学先端科学技術研究センター 助教授
2007年4月 - 東京大学先端科学技術研究センター 准教授
2008年10月 - 東京大学先端科学技術研究センター教授
この小学校での授業に、母親も出演した。障害児を抱えた母親の辛さは、大変なものだと思う。あきらめるか、親子関係がひどいものになるか、苦労は人知れないものだと思う。ここで驚いたのは、わが子に、指文字を教えたことだ。指文字の発明者だ。
小学校の子供たちは、指文字を書いて、伝達をすることをしていた。五十音のあいうえおを書いていたのだろうか。分からない。徐々に、失明し、耳が聞こえなくなっていたので、指文字の伝達手段がみつかったのか?お母さんは大変明るいものの話し方をする人のように見えた。
障害を持った人に対して、「能力主義」・メリトクラシーの考え方から、見下す考え方が出やすい。人間関係もひどくなりやすい、と思う。
この番組を紹介したのは、池上彰だった。この番組に同時に出演したのは、福島智さんの両サイドに、座っていた、2人の女性。指通訳者の役割果たしていた。
このような障害を持つ人が、東京大学の教授になった。もちろん、ただ一人だ。同じような障害を持つ人は、ヘレンケラーだ。
以下、ウィキペディアから引用させてもらいます。
福島 智(ふくしま さとし、1962年12月25日 - )は、日本のバリアフリー研究者。東京大学教授。学位は、博士(学術)(東京大学・論文博士・2008年)。専門は、バリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティ。
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事。世界盲ろう者連盟アジア地域代表。世界で初めて常勤の大学教員となった盲ろう者。
来歴
兵庫県神戸市出身。生後5ヶ月で眼病を患い3歳で右目、9歳で左目を失明する。18歳のときに特発性難聴で失聴し全盲ろう者になる。18歳までの音の記憶が残っており、自分の声を聴くことはできないが、よどみなく口で発話する事ができる。実際、講義や講演会でも発声して話している。神戸出身のため、日常生活では関西弁を話す。また、ピアノの演奏も行う。
母・令子の考案した指点字を使い、会話とコミュニケーションをはかる。この指点字は全国の盲ろう者に広く知られ、盲ろう者のコミュニケーション手段の新たな選択肢となる。
1983年、盲ろう者として日本で初めて大学へ入学(東京都立大学人文学部)。金沢大学教育学部助教授、東京大学先端科学技術研究センター准教授を経て、現職。
1995年に手話通訳士の光成沢美と結婚(のちに離婚)。1996年、母親の令子とともに吉川英治文化賞受賞。2003年には、米国の週刊誌TIME誌(2003年4月28日号)で「アジアの英雄」に選ばれる。2005年、適応障害と診断される。以後、再発を繰り返している。
2008年、盲ろう者として世界で初めて大学の常勤教員となる[2]。同年に出演したNHK「課外授業 ようこそ先輩」『みんな生きていればいい』の回は、日本賞グランプリおよび「コンテンツ部門 青少年向けカテゴリー 外務大臣賞」を受賞。
2015年に本間一夫文化賞を受賞。同年、20歳以上年下の指点字通訳者と再婚。
大学でバリアフリー論、障害学(Disability Studies)の研究と教育に従事する一方、盲ろう者を含めた障害者の福祉増進を目指す社会的活動に取り組む。
2022年11月4日、福島の生い立ちを描いた映画『桜色の風が咲く』が公開された。
学歴
1982年3月 - 筑波大学附属盲学校高等部普通科 卒業
1987年3月 - 東京都立大学人文学部人文科学科教育学専攻 卒業
1989年3月 - 東京都立大学大学院人文科学研究科教育学専攻修士課程 修了
1992年3月 - 東京都立大学大学院人文科学研究科教育学専攻博士課程単位取得満期退学
2008年5月 - 東京大学より博士(学術)の学位を取得(博士論文:「福島智における視覚・聴覚の喪失と「指点字」を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」)
職歴
1996年7月 - 東京都立大学人文学部 助手
1996年12月 - 金沢大学教育学部 助教授
2001年4月 - 東京大学先端科学技術研究センター 助教授
2007年4月 - 東京大学先端科学技術研究センター 准教授
2008年10月 - 東京大学先端科学技術研究センター教授