2021年10月23日

強迫性障害の行動療法による カウンセリングを探しておられる方へ

強迫性障害の行動療法によるカウンセリングを探しておられる方へ

瑞穂CBT相談室のリンク集の「臨床心理士に出会うには」を検索してください。



 当相談室に、最近、山口県から、関西の神戸三宮から、神奈川県から、強迫性障害の患者さんから、あるいは、関係する方から、カウンセリング機関を探している旨、あるいは、どうしたらよいのかなどの問い合わせが、続いています。


  私の能力不足から、十分なお答えができない状況でした。もっと、まともなお答えが出来なきゃと思いました。最近思いついたのは、私のリンク集の一番上に、「臨床心理士に出会うには」というサイトを付けることができました。パソコン指導の村井百合絵先生のおかげです。

「臨床心理士に出会うには」というサイトは、日本臨床心理士会の運営するサイトです。よく見てみると、大変良い内容です。これなら、全国から私に電話をかけてきた方へ、私のリンク集の中の「臨床心理士に出会うには」を参考にしてください、と伝えればよいと気づきました。

 検索の仕方を手短に紹介します。

  最初に、「当サイトをご利用の皆様へ」の下の趣旨を読んで、「同意する」をクリックします。

  @「お近くの相談機関を探す」右矢印1県別になっていますから、住まいの県を選びます。

 A「相談や支援の方法」右矢印1「行動療法」を選びます。

  最後の欄の「検索する」をクリックします。

 行動療法を施術している臨床心理士を選びさえすればよい、と気づきました。

例えば、山口県にて、行動療法を実施している相談室は、3件見つかります。

  神奈川県なら、17件見つかります。

兵庫県なら4件見つかります。

神奈川県の方は、東京都に近いですから、東京の相談室に行くのもよいでしょう。

  東京都には、49件あります。

  埼玉県は、12件あります。

  千葉県には、6件あります。

 これなら、安心して、行動療法の相談室を、簡単に見つけることができます。

  ただ、認知行動療法と行動療法は違います。日本には、行動療法系の認知・行動療法学会と、
  認知療法系の認知療法・行動療法学会があります。
  2つを区別しなければいけません。

  行動療法によるカウンセリングにより、何か月で良くなるかということに関して、
  3か月でよくなります。3か月が目途とみていいでしょう。

  以前お電話をいただいた方から、「2,3年カウンセリングを受けているけど、
  よくならない」、という電話をいただきました。
  このカウンセリングは、行動療法によるものではありません。 

  最後に、当相談室は、遠隔支援(スカイプなどによる)をしております。
  スカイプをご利用の方は、遠隔支援をご利用ください。
  強迫性障害に関しては、遠隔支援は可能と思います。まずはご紹介まで。







posted by 花井英男 at 18:54| 日記

2021年08月07日

わが家の皿、茶碗、食卓の陶器、花瓶

わが家の皿、茶碗、食卓の陶器、花瓶

 食卓の陶器、花瓶について述べます。焼き物についての思い出を話します。

いつから陶器を買い始めたか、分からない。大した焼き物があるわけではない。コレクターでもない。気づいたら、いつからか、焼もの、陶器、磁器に興味を持ち、釜元を訪ねたこともあった。

 そもそもの焼き物に興味を持ち始めたのは、子どもがまだ幼いころ、東北へ家族で旅行をしたことがあった。何県であったか覚えていない。家内は、結構記憶がよくて、正確に覚えている。

 東北のどこへ行ったか覚えていない。そこで通りすがりの焼き物の店で買った、薄い青色の鼠色っぽい、四角い皿が、いまだに食卓で使っている。いま、四角い皿が4枚ある。我が家でその四角い皿は、食卓で大切な役割を果たしている。四角い皿が4枚になっていた。気に入った皿を買って4枚になった。

 四角い皿の中に、青い磁器の皿がある。染付の青い皿です。もう一枚は、茶色と緑の模様の陶器の皿です。いつも食事の時、皿の模様や色柄をみて楽しんでいる。

 職場の同僚の焼き物好きの人と、九州の焼き物の山深い里へ、小鹿田焼(おんたやき)へレンタカーを借りていった。彼の故郷が福岡県なので、彼の実家に泊まらせていただき、そこから行った。

 同僚と行ったのは、小石原焼(こいしはらやき)の里、福岡県東峰村小石原と大分県日田市の小鹿田焼(おんたやき) の里だったと思う。

 小石原焼の伝統技法「トビカンナ」を内側に施した焼き物で、民芸陶器の素朴で飽きのこないシンプルなデザインの作品です。小石原焼は福岡県東峰村小石原で採れる陶土を原料とする。

 その時に、大分県日田市の小鹿田焼(おんたやき) の里へも行った。尺皿刷毛目(はけめ)の大きな皿が今床の間にある。刷毛目の模様がきれいだ。小さな刷毛目の皿が一枚ある。まだ若かりししころです。焼き物に夢中になったころです。民芸陶器に興味を持った。

 バーナードリーチや柳宗悦が、日本の隠れた民芸陶器を発掘した。バーナードリーチや柳宗悦の民芸運動に興味を持った。東京の日本民芸館を尋ねたこともある。

 民芸館へ行くには、東大の駒場駅を通らなくてはいけない。民芸館に行くつもりが、「東大駒場」駅の真ん前が、東大の駒場の正門、駒場祭をやっていた。応援団が、演技をしているので面白くなってしまった。偶然、東大の駒場祭に出会い、そのお祭りに面白くて見学して、おでんを食ったり、見学をしたりした。

 先日は、イオンへ買い物に行き、そこへ有田焼の人が店を広げていた。私は、いつか有田焼の里へ行きたいと思っている。大きなどんぶりを3つ買った。家内が喜んでくれた。私もいい買い物をしたと思っている。大きなどんぶりだが、軽いのだ。「有田焼の町へ行きたい」と言ったら、「有田焼の里は、田舎ですよ」店の人は言った。

 食事の時、洗う時、軽いので助かる。「訳アリの商品です」と広告を出して売っていた。どんぶりと言えば、重い。ところが工夫がしてあるようだ。持って食べても、洗っていても軽いのだ。明らかに工夫がしてあると思う。それに、値段がお手頃であった。進化していると思った。

 先日、多治見の陶磁器祭りがあった。茶碗が欲しいと私も家内も思っていた。初めてのことだが、ネットで買い物をした。焼き物をネットで買うのは、初めてのことだ。ネットで買うので、少々高かった。やはり、現地で買うほうが安くていい。2度とネットでは買わない。

 薩摩焼の思い出。名鉄百貨店で鹿児島県の物産展で、薩摩焼の花瓶を買った。ずいぶん昔のことだ。まだ、現役で働いていた時だった。一度、鹿児島へ薩摩焼の窯元を見に行きたいという気持ちをもっていることを出店者に伝えた。その時、店の人に色々話を聞くのが面白かった。店の人が値段を負けてやるといって確か、7千円で素晴らしい花瓶を買った。

 鹿児島と言えば、行動療法学会があったとき、何代も続く沈寿官の屋敷に見学に行った。高いので買わなかった。鹿児島の印象は、鹿児島中央駅に前にそびえたつ、薩摩藩の留学生たちの像に圧倒された。

 今、大河ドラマ「青天を衝け」で放映されている。パリの万国博(1867年)で、薩摩藩の若い留学生たちの活躍で、薩摩焼の花瓶を出品して、徳川慶喜の江戸幕府の関係者を出し抜いて、びっくり仰天させたという。「薩摩藩」という国があるかのように振舞ったのだ。幕府の関係者は、さぞかし憤慨しただろう。

この時のエピソードは、ウィキペディアを参考にします。
「幕府からは将軍徳川慶喜の弟で御三卿・清水家当主の徳川昭武(この時15歳)らが派遣された。一方、薩摩藩からは家老の岩下方平らが派遣された。

薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」の名で幕府とは別に展示し、独自の勲章(薩摩琉球国勲章)まで作成した。幕府は薩摩藩に抗議したが聞き入れられず、幕末の政争が如実に現れた万博となった。この時、幕府もフランスで勲章外交を行うために独自の勲章制作を開始したが、結局、間もなく幕府は倒れ、幻となった(葵勲章)。」

 この時、渋沢栄一が、徳川昭武の側近として随行した。

「薩摩焼は、1867年(慶応3)の第2回パリ万国博覧会に出展され、ヨーロッパで高い評価を得ました。それから 140年目にあたる2007年、これを記念した展覧会「薩摩焼パリ伝統美展」が、世界最高峰の陶磁器専門美術館として知られるフランス国立陶磁器美術館(セーブル美術館)で開かれ、好評を博しました。 」

 去年、堀尾一郎先生の瀬戸市美術館で開催された展覧会に行った。帰りに、瀬戸駅の近くの陶器店で大きな陶器の皿を3枚買った。久しぶりの瀬戸だった。知り合いのNさんの勤めるクリニックの看板を見た。やはり、窯元が沢山ある店で買うのが安くて、いい買い物ができた。家内にも喜んでもらえた。

 先日、家内が、名古屋駅に出かけた時、高島屋で小皿を買ってきた。名古屋駅に出かけることなんてめったにない。センスのいい買い物だ。愛用している。

 こんな調子で、焼き物を楽しんでいます。














タグ:趣味
posted by 花井英男 at 09:33| 日記

2021年07月02日

推古さんは男性の中継ぎではない



「推古さんは男性の中継ぎではない」
「ジェンダー視点で読みなおす女帝の歴史」
帝京大学名誉教授  義江明子さん 文学博士   


 最近、新聞を読んで、ハッとする面白い記事がない。家内には、「もっと新聞記事を読め」とアドバイスされる。家内は、丹念に新聞記事を読んで、面白い記事を紹介してくれる。私は忙しくてとても新聞記事を読んでいる余裕がない。私には面白い記事がない。

 たまたま、面白い記事を見つけた。「推古さんは、男性の中継ぎではない」という見出しだった。「古代の女性統治者/女帝」という、年表を見た。AD300年から800年ころまでの、つまり、古墳時代から、奈良時代(平安時代直前)までの天皇の系図の一覧表を見た。

 この年表を見ると、古墳時代(3世紀半ば〜)女性首長は3〜5割であった。400〜500年代は、男王の時代だった。600年代〜700年代〜800年代直前までは、8人の女帝 が 出た。その名前は、推古、皇極、斉明、持統、元明、元正、幸謙、称徳。

 皇極と斉明、幸謙と称徳は同一人物だという。日本列島は、4世紀まで、女性首長が、3〜5割存在したといわれている。6世紀末から8世紀後半かけては、推古を皮切りに、男女ほぼ同数の天皇が即位した。

 研究者に「古来日本は父系継承だった」、「女は本当の君主ではない」という思い込みがあった。こういう考え方が生まれたのは、女性が徹底して政治から排除された明治時代だという。
 義江明子さんは、新著で、近代以降の偏見を排除し、史料を再検討した。

「推古天皇」ミネルバ書房、3300円。「女帝の古代王権史」ちくま書房、924円。

 女帝研究は困難を極めた、という。近代以降の偏見を排除し、史料を再検討し、新たな女帝像を提示できた、と義江さんは言う。

 古代日本は、父方母方の双方が等しく重みをもつ双方が等しく重みを持つ双系統的な社会だったという。6,7世紀の国家形成期、王には、豊富な経験と統率力が必須とれた。王族の長老男女の中で、有能な人間が豪族の支持を得て即位した。

 中でも、推古は、女性が即位できない「ガラスの天井」を打ち破った人物だという。
 ガラスの天井(ガラスのてんじょう、英語: glass ceiling)とは、資質・実績があっても女性やマイノリティを一定の職位以上には昇進させようとしない組織内の障壁を指す 。

 推古は優れた統率力を豪族にみせつけることで、男王の優勢を破り、後の女帝に道を開いた。これが、義江明子さんのジェンダー視点よる読みだという。

 この記事は、義江明子さんの研究成果の発表である。義江さんは、「女性史研究を展開し、弥生・古墳時代の女性首長から古代の豪族層女性への展開に関して研究」をしている研究者だ。学生時代、古代史を専攻した。卒業後、専業主婦になるも、独学で研究を再開した。

 義江明子んは、東京教育大史学科から、都立大学大学院で研究した。
内職で得たお金で本を買い、子供をあやしながら勉強し、古代女性史を学ぶために、29歳で大学院へ。「2歳の子がいるのに」という親族の反対を跳ね返して進学した。

                    しんぶん赤旗日曜版2021年7月4日







タグ:ジェンダー
posted by 花井英男 at 16:05| 日記