2021年07月02日

推古さんは男性の中継ぎではない



「推古さんは男性の中継ぎではない」
「ジェンダー視点で読みなおす女帝の歴史」
帝京大学名誉教授  義江明子さん 文学博士   


 最近、新聞を読んで、ハッとする面白い記事がない。家内には、「もっと新聞記事を読め」とアドバイスされる。家内は、丹念に新聞記事を読んで、面白い記事を紹介してくれる。私は忙しくてとても新聞記事を読んでいる余裕がない。私には面白い記事がない。

 たまたま、面白い記事を見つけた。「推古さんは、男性の中継ぎではない」という見出しだった。「古代の女性統治者/女帝」という、年表を見た。AD300年から800年ころまでの、つまり、古墳時代から、奈良時代(平安時代直前)までの天皇の系図の一覧表を見た。

 この年表を見ると、古墳時代(3世紀半ば〜)女性首長は3〜5割であった。400〜500年代は、男王の時代だった。600年代〜700年代〜800年代直前までは、8人の女帝 が 出た。その名前は、推古、皇極、斉明、持統、元明、元正、幸謙、称徳。

 皇極と斉明、幸謙と称徳は同一人物だという。日本列島は、4世紀まで、女性首長が、3〜5割存在したといわれている。6世紀末から8世紀後半かけては、推古を皮切りに、男女ほぼ同数の天皇が即位した。

 研究者に「古来日本は父系継承だった」、「女は本当の君主ではない」という思い込みがあった。こういう考え方が生まれたのは、女性が徹底して政治から排除された明治時代だという。
 義江明子さんは、新著で、近代以降の偏見を排除し、史料を再検討した。

「推古天皇」ミネルバ書房、3300円。「女帝の古代王権史」ちくま書房、924円。

 女帝研究は困難を極めた、という。近代以降の偏見を排除し、史料を再検討し、新たな女帝像を提示できた、と義江さんは言う。

 古代日本は、父方母方の双方が等しく重みをもつ双方が等しく重みを持つ双系統的な社会だったという。6,7世紀の国家形成期、王には、豊富な経験と統率力が必須とれた。王族の長老男女の中で、有能な人間が豪族の支持を得て即位した。

 中でも、推古は、女性が即位できない「ガラスの天井」を打ち破った人物だという。
 ガラスの天井(ガラスのてんじょう、英語: glass ceiling)とは、資質・実績があっても女性やマイノリティを一定の職位以上には昇進させようとしない組織内の障壁を指す 。

 推古は優れた統率力を豪族にみせつけることで、男王の優勢を破り、後の女帝に道を開いた。これが、義江明子さんのジェンダー視点よる読みだという。

 この記事は、義江明子さんの研究成果の発表である。義江さんは、「女性史研究を展開し、弥生・古墳時代の女性首長から古代の豪族層女性への展開に関して研究」をしている研究者だ。学生時代、古代史を専攻した。卒業後、専業主婦になるも、独学で研究を再開した。

 義江明子んは、東京教育大史学科から、都立大学大学院で研究した。
内職で得たお金で本を買い、子供をあやしながら勉強し、古代女性史を学ぶために、29歳で大学院へ。「2歳の子がいるのに」という親族の反対を跳ね返して進学した。

                    しんぶん赤旗日曜版2021年7月4日







タグ:ジェンダー
posted by 花井英男 at 16:05| 日記

2021年04月16日

多治見陶磁器祭り

多治見陶磁器祭りオンライン


ニュースで多治見陶磁器祭りを紹介していた。多治見なら近いから行きたい。しかし、コロナで外出はしたくない。いっそ、オンラインで探してみようかと思った。

元気なら、多治見の街をのんびりと歩いていろいろな店をのぞいて、手に取ってみてみたい気持ちである。行きたい気持ちはあるが、出かけられない。

交通費を使わなくてもよい。サイトはいくつかある、買いたいもののあるサイトを見た。家内と一緒に見て、小鉢を3つばかり注文した。注文してすぐあくる日に品物が届いた。丁寧に包装がしてあった。

久しぶりに窯元から。陶器を買った。毎日、使おうということで、毎日、使っている。やっぱりいい。買ってよかったと思う。

年寄りになって、どうしても、食器を粗相して割ってしまうことがある。仕方がない。やっぱり食器は、楽しいものがよい。小鉢を買って、食事が楽しくなった。毎食買った小鉢を使って食べている。










posted by 花井英男 at 09:28| 日記

2021年01月02日

シスター鈴木秀子の言葉を聞いて ―ラジオ深夜便―

シスター鈴木秀子の言葉を聞いて
―ラジオ深夜便―


年末に鈴木秀子の話を聞いて、素晴らしいと思った。自らのシスターとしての修業時代の経験を話した。聖心女子大学元教授(日本近世文学)。聖心女子大学卒。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。フランス、イタリアに留学。ハワイ大学、スタンフォード大学で教鞭をとった人。

「人生の意味」を聴衆とともに考える講演会をしている。一言で言えば、「あきらめよう、あきらめよう」ということ。

鈴木秀子さんは、聖なるあきらめの大切さを説く。
「我が子が突然の病や事故で亡くなってしまったり、地震や水害などの天災によって家族や財産を失ったり、時には人間の力ではいかんともし難い出来事に遭遇することもあるでしょう。

そういう時、誰かにその責任を転嫁するのではなく、かといって自分自身を責めることもせずに、淡々と現実を受け入れる姿勢がとても大切になってきます。これを私は「聖なるあきらめ」と言っています。もちろん、すぐに気持ちを切り替えるのは無理かもしれません。

しかし、時にはもだえ苦しみながらも、何とか悲しみを受け入れていこうという心の姿勢を保ち続けるうちに、その心が澄んでくる瞬間が訪れます。その時、純化された悲しみがその人にとって一つの大きな力に変わっていくのです。」














posted by 花井英男 at 13:08| 日記