2020年08月06日

「はさみ、包丁研ぎます」の店

「はさみ、包丁研ぎます」の店


庭木の剪定ばさみ2つを研いでくれる店はないか、と、探した。カーマ、カインズの店に尋ねたが、やってないとのことであった。

偶然、南区のほうの病院に行ったときに、「包丁、はさみ研ぎます」の看板を見た覚えがあった。刈り込みばさみ2丁をもって、お願いできますか、と、たずねた。

相当年配のおじいちゃんが出てきて、「やります」という返事で、安心した。ようやく見つけることができた。今このような店がなかなか見つからない。

3日後に引き取りに行った。丁寧な説明をしてくれた。鋏の使い方、樹液がついてさびてしまうから、手当をする樹液用の液をぬって、使った後に、樹液を拭いておくことが大事だと教えてくれた。

刈り込みばさみを家の外の物置に無造作に、おいておくこともやってはいけないことだと言われた。雨にさらす状態で放置しておいたのはまずかった。

これからは、家の中に置こうと思った。

 垣根として庭木を植えていると、2か月おきに剪定しなければいけない事情だ。新芽がすぐに出て、枝が伸びる、ほっておくとすぐに伸びて、始末に負えない状態になる。垣根の手入れは、自分にとっていい運動になると思う。今のところそう思って手入れをしている。

今度来るときは、このおじいちゃんがいるだろうかと思った。このような店がなくなっています。

このおじいちゃんは、「また持ってきてください」と言ってくれた。いつになるか分からないが、うれしいことを言ってくれた。

刈り込みばさみは、娘のうちで使うから、また、我が家でも使うから、3丁で、やりくりしなくてはいけない。なんとか、木の剪定はやれそうだ。

今、包丁を研ぐ小さな道具があり、料理をしているときに、研ぐことがある。剪定用の大きなはさみを研ぐのは、やはり、専門の職人にお願いしなければいけない。このような職人を、カーマとか、カインズ、イーオンなどに、養成して配置してほしい。








posted by 花井英男 at 11:45| 日記

2020年08月03日

照ノ富士から学んだこと


照ノ富士  おめでとう!
照ノ富士から学んだこと

「自分を信じて努力し続けること」
「続けてきてよかったなと思っています」


照ノ富士が優勝した。両膝のけがと内臓疾患のため、序二段まで陥落した。そこから幕内まで復活してきた。大関経験者が幕内に4人いると、実況放送の時に紹介があった。相撲の世界はきびしい。

普通だったら、あきらめるだろう。元大関という称号があるから、引退するかもしれない。だけど引退しなかった。コツコツ努力してきた。

序二段とは、どんな地位かと、辞書を引いた。「大相撲の番付で、最下位の序の口より一段上の地位」と説明があった。ここまで落ちたら、ずいぶん恥ずかしいだろう。根性の人だと思う。誰でもこんなことは経験するかもしれない。よく頑張ったと思う。


照ノ富士のこれまでの歩みは、私のような凡人には、大変励みになります。


スポーツライターの文章に感謝します。

以下の文章は、ネット上に、スポーツライターが書いた文章です。

「これが、インタビューで発した一言目だった。この言葉に、どれだけの重みがあるか――。力士は、相撲で強くなることはもちろんだが、その過程で学ぶ人生教訓が多くある。つらく苦しい経験を乗り越えた照ノ富士は、諦めないこと、信じて努力し続けることのもつ力を、いま誰よりも強く感じていることだろう。


「いろんなことがありましたけど、最後にこうやって笑える日が来ると思って信じてやってきたので、一生懸命やればいいことがあると思っています」


結果を出したことだけではない。この経験は、彼にとって必ず、今後を生きる上で非常に大きな力になり続けるはずだ。自分を信じて諦めず努力し続けることの強さを知った人は、どんなことがあっても必ず夢を成し遂げていく。


28歳という若さでこの経験を得たことは、彼にとって大きな糧になったことはもちろん、見る者にもその体験を分け与えてくれたことに大きな意味があると私は感じている。

「諦めなければ、夢は必ずかなう」。こんな言葉が、いまは陳腐にも綺麗ごとにも聞こえることなく、まっすぐ心に響いてくる。言うまでもなく、照ノ富士が自身の相撲人生をかけてそれを体現し、身をもって示してくれたのを目の当たりにしたからだ。


大相撲史に残る復活劇を演じた照ノ富士。今場所の彼の偉業は後世に語り継がれるだろうが、この歴史的瞬間を、生きて、肌で感じることができた私は、この世に生を受けたことに感謝したいと思う。

<おまけ>照ノ富士の戦績あれこれ
照ノ富士のこれまでの戦績を見ると、実は彼は小結を一度も経験していない。新入幕から4場所連続で勝ち越し。前頭2枚目で8勝7敗だったが、当時の小結・関脇がそろって大敗を喫したことにより、新三役がいきなり関脇だったのだ。

その後の2場所で13勝、12勝(初優勝)となったため、一気に大関まで駆け上がった。ちなみに、三役2場所で大関昇進を決めたのは、年6場所制になってからは照ノ富士のみ。こちらの記録は、当時の照ノ富士の「イケイケだった(本人インタビュー談)」ことがわかるものだ。

来場所は平幕上位の番付になるだろうが、もしその後小結に上がることがあれば、彼にとって初の小結になる。これはちょっと面白い。しかし、帰ってきた照ノ富士には、もう一度小結をすっ飛ばす勢いで、もっともっと上を目指して頑張ってほしいと願っている。」









照ノ富士おめでとう!

スポーツライターの文章に感謝します。ありがとう!







posted by 花井英男 at 09:23| 日記

2020年07月21日

選手生命を保つための、山本昌の努力

選手生命を保つための、山本昌の努力
2020年7月20日 BS番組で放送
「レジェンドの目撃者〜50歳まで現役 山本昌〜」


 短い時間であるが、山本昌のエピソードを紹介した番組を見た。50歳まで活躍した山本昌。プロ野球の選手はふつう29歳が寿命だと紹介していたことに驚いた。それが普通なのに、山本昌は、50歳まで現役を続けた。それはなぜか。信念は何か。

プロ野球の歴史を彩る名選手のスゴさに「目撃者」の証言で迫る番組!ゲストは50歳まで現役を続けた名投手・山本昌。数々の大記録を打ち立てた投球術の秘密を大いに語る!


ウィキペディアに山本昌の功績はたくさん書かれている。

山本昌の功績は、次のとおりである。私は詳しいことは知らない。
41歳でノーヒットノーラン、42歳で200勝達成など数々の最年長記録を持つ山本昌。歴代キャッチャーの中村武志、谷繁元信、小田幸平が山本の代名詞「スクリューボール」のすごさを解き明かす!速球は130キロ台と遅かったが「打席では豪速球に感じた」と証言するのは、巨人の元監督・高橋由伸。その秘密とは?そして32年間の現役生活を支えた体づくりをトレーナーが証言。スタジオの山本は、あふれる野球愛を語りつくす!


 このエピソードの中の、体力づくりに感心した。現役であり続けるための体力づくり、それは、グランドを走り続けることだった。数々のトレーニングもあるが、グランドをひたすら走り続けた。


プロ野球最後の出場は広島戦だった。次のとおりである。
2015年9月30日に、名古屋市内での記者会見で、引退を正式に発表。50歳1ヶ月26日で迎えた10月7日の対広島戦(マツダスタジアム)でNPB史上初の50歳出場・登板を果たしたことによって、現役生活を締めくくった。この試合では、「打者1人」という条件で先発。先頭打者・丸佳浩を二塁へのゴロに打ち取った

山本昌ありがとう!黙々と努力する姿に感動しました!
山本昌の努力の姿から、姿勢を学んだ。活躍するためには、それを裏付ける努力、姿勢が必要だ。多分苦しいだろう。コツコツと努力することは、並大抵ではできない。ただひたすらグランドを独りで走る。勉強させていただいた。





タグ:スポーツ
posted by 花井英男 at 09:37| 日記