2017年09月22日

奈良への旅行

奈良への旅行



9月中旬に、家内と、法隆寺、唐招提寺へ旅行をした。大和路への旅行をしたいと思ったのは、日本への仏教の伝来に関心を持ったから。

日本の仏教の歴史は、6世紀にはじまる。538年、欽明天皇の朝廷に百済の王が、使臣をもって仏像、経巻を献じたのが始まりだと言われている。


法隆寺の建立(607)、東大寺の建立(752)、唐招提寺(759)に至る時代に焦点があてられる。

鑑真誕生から、渡航、日本での活躍、死去までの経過は次の通り。

鑑真誕生(688)、
鑑真渡日を決意(742)

密告を受け、第1次渡航失敗、第2次渡航計画するが出帆後失敗(743)、
栄叡(ようえい)、捕えられ、第3次渡航失敗(744)、

天台山巡礼を口実とする出帆する第4次渡航失敗(744)、
遭難して海南島に漂着、第5次渡航失敗、広州に向かう(749)、
華南から揚州への帰路、失明(750)、

10月、遣唐使に揚州で来日を要請され、11月、蘇州から出帆、沖縄を経て、
12月、秋妻屋の浦(鹿児島)に到着、大宰府に入る。(753)

2月入京、3月、授戒一任の勅を受ける。4月、聖武天皇夫妻、孝謙天皇に授戒。(754)
東大寺に戒壇院が完成。(755)

唐招提寺建立(759)
弟子の忍基ら、肖像を作る、(763)
5月6日没(763)


この頃、中国でも、西域でも、インドでも南海の国々でも知的、宗教的、芸術的活動が力強く営まれていた。新しい日本文化の動きが、このアジアでの文化の潮に大きく影響を受けた。


長い間、未開の状態であった日本は、百済との交流、遣隋使、遣唐使による中国との交流が盛んに行われた。渡来人の働きが、飛鳥、奈良時代において大きな役割を果たした。

鑑真和上の日本への渡来は、感動的な出来事と私には思われる。唐招提寺の御影堂の障壁画に関わって、東山魁夷の10余年にわたる制作過程には、鑑真和上の研究が含まれる。

井上靖が、「天平の甍」に、鑑真研究の成果が盛り込んだと言われている。
鑑真和上の研究書は、東野治之著「鑑真」 岩波新書が詳しい。


今回の旅行は、全体的に、ジパングを使い、JRを利用した。
初日は、JR「法隆寺」駅からバスで法隆寺へ行った。広大な古い土塀に囲まれた法隆寺の境内にまず圧倒された。

工事中の所もあった。五重塔の中の粘土による仏陀の生涯のエピソードの像が印象的だった。
7世紀初めの頃に、こんな仏像制作が良くできたものだ。建築にしてもこれだけの技術があったのだ。エンタシスの柱は有名だ。渡来人の活躍があった。ボランティアのおじいさんが丁寧に写真を見せて話をしてくれた。

修学旅行の子ども達が、次から次へとガイドに導かれ歩いていた。
お昼の弁当は、大阪駅で買った懐かしい「柿の葉寿司」だ。


宿は、近鉄奈良駅の近くの旅館に泊まった。朝食付きの安い宿だ。商店街をぶらついて、奈良漬けを土産に買った。


JR奈良駅も近鉄奈良駅も、奈良公園付近も懐かしい。奈良教育大学大学院に1年間通ったので、奈良は懐かしい。興福寺の境内をぶらついた。鹿のふんがあちこちにあり、歩くときに注意をする。



2日目は、早朝から、唐招提寺にバスで出かけた。西ノ京唐招提寺。
鑑真が3種類の蓮を持参したという、その蓮が今も咲いているという。蓮の手入れを坊さんたちがしているという。鑑真が仏教を本格的に伝えたと考えられる。井上靖の小説はまだ読んでいない。当時の様子が丹念に書かれているという。ぎっしりと活字の詰まった内容で、読むのが大変だ。


雨の中の唐招提寺だった。しっとりとしていた。早朝だったので、人影も少なかった。芭蕉の句碑はどこですかと、掃除をしている人に聞くと、地図を首にぶら下げていて、親切に教えてくれた。法隆寺と比べて、唐招提寺は、森の中にあるお寺だ。蓮の池があった。数十種類の鉢植えの蓮もあった。


「古寺巡礼奈良8 唐招提寺」の本を買った。俳優の滝田栄、唐招提寺執事長、研究者・東野治之など著名人の執筆の文章が載っている。

帰りにバス停の近くにある酒店で、「天平に甍」という地元の酒を購入した。
台風が接近しているがまだ大丈夫だ。




posted by 花井英男 at 10:13| 旅行