2022年07月11日

アンフォーレの講演会の感想 続き

アンフォーレの講演会の感想 続き

アメリカ文学者大橋先生との出会いと別れ

2022年7月9日土14:00〜16:00

アンフォーレ本館 3階 健康支援室・講義室


講師:尾崎俊介氏

 
愛称はアンフォーレ。安城市図書情報館やホールがある本館(公共施設棟)、願いごと広場や公園などの公共屋外施設、民間経営による立体駐車場棟、民間経営による南館(商業施設棟)からなる。

講師:尾崎俊介氏
1963年、神奈川県生まれ。愛知教育大学教授。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻後期博士課程単位取得。専門はアメリカ文学・アメリカ文化。著書に『S先生のこと』
(新宿書房、第61回日本ネッセイスト・クラブ賞)、『ハーレクイン・ロマンス』(平凡社新書)、『ホールデンの肖像』―ペーパバックから見るアメリカの読書文化』(新宿書房)、『紙表紙の誘惑』(研究社)などがある。


アンフォーレの講演会に参加の感想 続き


 講演会で、尾崎俊介先生は、慶応の英文科を目指したのは、中学校の時、父からもらった、大橋吉之輔訳の「アンクルトムの小屋」ストウ夫人著、旺文社文庫を読んだから、と言われた。父親のことは、詳しく言われなかった。

 文学関係の研究者のようだ。慶應の英文科に大橋吉之輔がいるということが、頭に入り、大橋吉之輔を目指した。慶應に入るという一念で勉強したようだ。中学生の時にすでに、大橋吉之輔にあこがれた。英文科に入ると、大橋ゼミに入るには、定員が10名なので、厳しい選抜があるということだった。

 こういうこともあるのかと思った。憧れの大橋ゼミに入り、これだけの本を読むようにと言われた。アメリカ文学の名作の一覧表を著書の中で紹介している。この中から、卒業研究のテーマを探すようにという意味がある。これが、尾崎俊介先生の人間形成過程だったと思う。

 私の小さい頃の経験を話します。小学生2年の頃から、教会の日曜学校に通っていた。日曜学校に通うのが楽しみだった。そこで聞く聖書の話は、新鮮だった。そこで友達と遊ぶのも楽しかった。その教会の文庫に、「フランダースの犬」があり借りて、涙を流して読んだ記憶がある。

 その文庫でいろんな本を借りて読んだ。子どもの頃に、名作を読み、自分づくりをしていたようなものだ。貴重な経験だっと思う。









posted by 花井英男 at 17:26| 文学・芸術

2022年07月10日

アンフォーレの講演会の感想 アメリカ文学者大橋先生との出会いと別れ

アンフォーレの講演会の感想

アメリカ文学者大橋先生との出会いと別れ

2022年7月9日  (土) 14:00〜16:00

アンフォーレ本館 3階 健康支援室・講義室

講師:尾崎俊介氏

 
愛称はアンフォーレ。安城市図書情報館やホールがある本館(公共施設棟)、願いごと広場や公園などの公共屋外施設、民間経営による立体駐車場棟、民間経営による南館(商業施設棟)からなる。

講師:尾崎俊介氏
1963年、神奈川県生まれ。愛知教育大学教授。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻後期博士課程単位取得。専門はアメリカ文学・アメリカ文化。著書に『S先生のこと』
(新宿書房、第61回日本ネッセイスト・クラブ賞)、『ハーレクイン・ロマンス』(平凡社新書)、『ホールデンの肖像』―ペーパバックから見るアメリカの読書文化』(新宿書房)、『紙表紙の誘惑』(研究社)などがある。

アンフォーレの講演会の感想


昨日は、尾崎俊介先生の講演を聞いた。私は、座席の一番前の席に座った。成田君夫妻と話をすることができた。こうして会えるのは幸せだねと成田君が話してくれた。久田君(愛教大名誉教授)の件と療養中の奥さんの件を私から話した。図書館の聴講室には40名くらいが集まった。

50,60代から80代までの参加者。講演後は、近くの喫茶店に10名が参加した。アンフォーレから、喫茶店まで皆さんがゾロゾロ歩いた。尾崎先生の姿を見ると、さっそうと歩く背の高い、慶応ボーイという印象であった。かっこいいと思った。以前、入院中の久田君の病室で会った時の印象と全く違っていた。

先生は、二次会の資料まで用意された。サリンジャーの訳本について、研究者の翻訳と小説家・村上春樹の訳との違いを指摘した。こんなことまでするのかと思った。解釈が違ってくるという発言をされたように思う。

先生は、原稿を読む形で、講演をされた。2時間たっぷりと話された。講演会後、成田君の奥さん(1年後輩)と立ち話をした。「尾崎先生みたいな先生に習いたかった。大学時代は、Z先生に、「君たちは、こんなことも知らないか」という思い出話を言われた。

成田君の奥さんが、「二次会は出ますか」というので、ちょっとだけ出ますと返事した。しかし、私は、成田君と尾崎先生と最後まで残ってしまった。尾崎先生には、「S先生のこと」と「エピ―ソード・アメリカ文学者大橋吉之輔エッセイ集」を2冊読みました。面白くて、一気に読んでしまいました。大変すばらしい本です。と申し上げた。先生は、うなずいておられた。

先生は、A4裏表の資料を参加者に用意された。話の流れとして、8行の記述。

アメリカ文学研究第1世代
高垣松雄(1890−1940,立教大学教授:日本初のアメリカ文学者)
龍口直太郎(1903−79,早稲田大学教授:翻訳家としても著名)


アメリカ文学研究第2世代
西川正身(1904−88,東大教授:アンブローズ・ビアス研究で知られる)


アメリカ文学研究第3世代(「日本アメリカ文学会」創設の時代)
大橋健三郎(1919−2014,東大教授:日本を代表するフォークナー研究者)
大橋吉之輔(1924−93,慶大教授:シャーウッド・アンダスン研究の世界的権威)
須山静夫(1925――2011,明大教授:アメリカ南部文学研究者、翻訳家、小説家)


大杯吉之輔先生の写真、龍口直太郎の写真。

始めて、大橋吉之輔先生のお顔を拝見した。なかなかきりりとしたハンサムなお顔だ。これが大橋先生か。高校・大学時代によく、龍口直太郎の英語の参考書を見た。日本のアメリカ文学研究の歴史を学者から聞けるなんて幸せだった。

これらの名前はよく古本屋でよく見た。アメリカ文学研究は、立教、早稲田、慶応、明治などの私立大学の研究者から始まったと言われた。尾崎俊介先生が、研究のために、龍口直太郎先生の自宅を訪問して、本を借りに行ったことを、著書の中で書いておられる。

先生は、自分の学風が成立していく過程を述べた。『紙表紙の誘惑』(研究社)は学者としての学風を成立した最初の著書であり、『ハーレクイン・ロマンス』(平凡社新書)は本として沢山売れたと述べた。この本はまだ読んでないので、読みたい。

尾崎先生は、博士課程で在学中の、就職先のことについて、言われた。大橋先生に相談すると、「あんな大学やめとけ」と言われ、先生の腎臓病の病状が悪化するばかりで、先生の子分として世話ばかりしていた。就職のことを何とかしなくては、恩師から離れたい、と思っていた。

「2,3年都内の大学に行くつもりだった。」大橋吉之輔先生が慶応を早期退職して、奥さんの出身校である、恵泉女学園大学に招かれた。男子お断りの女子大へ、先生のお手伝いとして付き添っていくことになった、と著書で述べた。

尾崎俊介先生の愛教大への就職については、久田君(愛教大名誉教授・大学時代のクラスメイト)から、大橋吉之輔先生の手紙を書いて、尾崎俊介先生を招聘したことを聞いた。
「ほんの2,3年都内の大学に行って」というつもりが、地方の田舎の愛教大に落ち着いてしまった。

尾崎俊介先生が、そもそも、『エピ―ソード・アメリカ文学者大橋吉之輔エッセイ集』大橋吉之輔著 尾崎俊介編  発行所 トランスビューを書いたのは、同じ大橋姓の、アメリカ文学研究者、大橋 健三郎の著書、「心ここに―文芸批評集 1998/11/1大橋 健三郎 (著) 松柏社」を意識して、対抗するために、大橋吉之輔という研究者のことを忘れてもらってはいけないという気持ちで、書いたのだ、と言われた。

この発言が、本日の一番の聴き所だった。自分の恩師のことを、日本におけるアメリカ文学研究者、大橋吉之輔のことを弟子として、後世に残したいというお気持ちであった。







posted by 花井英男 at 12:31| 文学・芸術