2021年11月23日

前進座創立90周年記念 一万石の恋 裏長屋騒動記 愛の仮名手本編

前進座創立90周年記念 名古屋特別講演

一万石の恋
裏長屋騒動記 愛の仮名手本編

監督 山田洋次 脚本 山田洋次 朱海青  演出 小野文隆

日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール

2021年11月23日 2:30〜5:00

 
 久しぶりの市民会館。ビレッジホールの前には、面白いオブジェというか、なんというか、そびえたっている。
懐かしい市民会館。

 久しぶりの演劇鑑賞。現職勤務時代は、毎月名演に参加して演劇鑑賞をした。きょうの参加者は、みんな、「お若い方たちばかり」。年金者組合の人たちばかり。
 会場にぎっしりだった。山田洋次の監督・脚本でほのぼのとする内容。

 一万石の弱小藩のお殿様は女嫌いの芝居好き。今日も今日とて江戸藩邸で、小姓相手に芝居ごっこ。このままではお世継ぎもなく、藩はお取りつぶし・・・家臣たちは頭が痛い。

 そんなある日、大人様は下城途中で掃きだめのような裏長屋で、粗末な厠を借りること羽目に、「これ手水を持て!」おずおずひしゃくを差し出した長屋の娘・お鶴は一目ぼれ。家臣たちは大喜び。

「すぐさまあの娘を召し抱えろ」話を聞いたお鶴の母や兄をはじめ、長屋一同も「大変な出世だ」「支度金がたんまり下される」と盛り上がる。

 ところがお鶴には将来を約束した若者が・・・「あの人と一緒になれないなら私は死ぬよ!」命がけに恋を前に、周りの説得も無力。しかしお断りしたらどんなお咎めを受けることやら・・・震えあがった長屋一同。窮地を脱するべくひねり出した奇策とは!

 愛する人のためには命を投げ出す覚悟の乙女に、愚かな殿様やアホナ家臣たち。ドタバタ騒ぎを演じることになる。お鶴の葬式を長屋一同で演ずる。そこへ若殿と家来たちが来る。
無事に乗り切る。







posted by 花井英男 at 18:51| 文学・芸術

2021年11月18日

ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む 代表作「日の名残り」を中心に

ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む
「日の名残り」精読編

講師:南山大学 名誉教授 橋本恵先生
テキスト:「The Remains of the Day」 Faber & Faber 1989
『日の名残り』  ハヤカワepi文庫


上記の内容は、2022年1月から3月まで、3回の講義の予告。小説をどう読み解くのか。作品を精読する
かという趣旨。


ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む
代表作「日の名残り」を中心に


講師:南山大学 名誉教授 橋本恵先生
2021年11月18日(木曜日) 10:30〜12:00

中日文化センター



本日、11月18日は、小説・作品と映画を比べながら、カズオ・イシグロの世界の理解を深める講義であった。

小説では、登場人物が、スティーブン、ダーリントン、ミス・ケントン、ファラディが登場する。
 映画では、ファラディは登場しないでルイスという国会議員が登場する、ことが指摘された。
 小説と映画の内容の区別が指摘された。

小説研究の3分野が紹介された。小説研究がここまで進展しているのかという気持ちを持った。フランスでの「作者」研究、ドイツでの「作品」研究、アメリカでの「読者論」研究。読者論研究では、日本の英文学者
外山滋彦比古先生(愛知県刈谷市出身、「近代読者論」みすず書房)が紹介された。

 文学要語として、昔読んだ言葉は出てこなかった。新しい言葉が紹介された。

小説研究の新しい文学要語が紹介された。 私には、興味深い。

  映画では、過去の、スティーブンが“Great バトラー”、“執事”として活躍する場面。
“風格”、“dignity”を目指し、それを持つ存在として、活躍し、生き生きとして生きがいを持って存在した姿。

 映画では、スティーブンが、イギリス南西部の景勝地への自動車旅行の中で、これまでの過去を振り返りながら、自分の考えをまとめていく過程が描かれていると思う。現在の、平凡な人間としての姿が描かれている。

映画の終わりには、新しい雇い主(小説では・ファラディ)・(映画では・ルイス)とのかかわりの中で、スティーブンは、古い執事から新しい執事となっていく、人間としての過程が描かれていると思う。

老(おい)ではなく、終生ではなく、キャラクター(人物)の変化が見られる。人間のメタファーが変わる。人間の普遍的な在り方。

 橋本恵先生は、前景化、背景化という用語を使われた。ソールズベリーから出発して、昔の女中頭、ケントンを尋ねて、ウェイマスへ行く車での旅行場面が前景化であり、昔の主人に仕えた、古い執事として仕えた姿の思い出が背景化の場面として描かれている。

 旅をしながら、昔を思い出しながら、ケントンに出会い、分かれる場面で映画は終わる。旅をしながら、”great 執事”から、人間としての執事、新しい自己に変わっていく可能性を持つ主人公。旅の場面が、前景化が映画で描かれる。雨の中、ケントンと別れる場面が印象的である。

 会ってみると、ケントンは結婚がうまくいかず、娘に赤ちゃんが生まれ、一緒に生きていこうとしていた。女中として迎えようとする願いはかなわなかった。ナチス寄りの、ダーリントン卿に無批判、無条件で使えた主人公はこれからどう生きるのか。昔、ケントンからアタックされた場面で、女性とのかかわりが生というか、奥手というか、鈍いというか、こういう性格の主人公がどう変わるのか。

 昔の誇りある、バトラー・執事としての人生が背景化される。今は、新しい雇い主(アメリカ人)に仕える人間としての主人公。貴族社会、階級社会としてのイギリス人の姿から、「脱・貴族社会、階級社会の人間」としての主人公になっていく過程だろうか。

旅に出て、ダーリントン卿に仕えていたと伝えると、親ナチスの人物であったという世間の評判に直面する。

この内容は、日本の小説を英語化したようだ、と言われているという。小津安二郎の映画のようだと言われている、という。一方、カズオ・イシグロは、小津安二郎が好きだという。

 小説としての「日の名残り」をもう一度読み返したい。コロナ禍で、この講義は、延期されてようやく、実現した。

 カズオ・イシグロの「日の名残り」を新しい観点から読めたという気持ちだ。すばらし講義であった。1月からは、この作品を精読という観点で、3か月かけて読む計画が、橋本先生から発表された。楽しみだ。

 イギリスに長く滞在したという参加者とか、娘がイギリス人と結婚したという方がいた。イギリスに関心を持ち、いろいろ調べたという。

 コロナのため、文章を声を出して読むことが、禁止された。今後どうなっていくのか。










posted by 花井英男 at 19:53| 文学・芸術