ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む
「日の名残り」精読編
講師:南山大学 名誉教授 橋本恵先生
テキスト:「The Remains of the Day」 Faber & Faber 1989
『日の名残り』 ハヤカワepi文庫
上記の内容は、2022年1月から3月まで、3回の講義の予告。小説をどう読み解くのか。作品を精読する
かという趣旨。
ノーベル賞作家カズオ・イシグロを読む
代表作「日の名残り」を中心に
講師:南山大学 名誉教授 橋本恵先生
2021年11月18日(木曜日) 10:30〜12:00
中日文化センター
本日、11月18日は、小説・作品と映画を比べながら、カズオ・イシグロの世界の理解を深める講義であった。
小説では、登場人物が、スティーブン、ダーリントン、ミス・ケントン、ファラディが登場する。
映画では、ファラディは登場しないでルイスという国会議員が登場する、ことが指摘された。
小説と映画の内容の区別が指摘された。
小説研究の3分野が紹介された。小説研究がここまで進展しているのかという気持ちを持った。フランスでの「作者」研究、ドイツでの「作品」研究、アメリカでの「読者論」研究。読者論研究では、日本の英文学者
外山滋彦比古先生(愛知県刈谷市出身、「近代読者論」みすず書房)が紹介された。
文学要語として、昔読んだ言葉は出てこなかった。新しい言葉が紹介された。
小説研究の新しい文学要語が紹介された。 私には、興味深い。
映画では、過去の、スティーブンが“Great バトラー”、“執事”として活躍する場面。
“風格”、“dignity”を目指し、それを持つ存在として、活躍し、生き生きとして生きがいを持って存在した姿。
映画では、スティーブンが、イギリス南西部の景勝地への自動車旅行の中で、これまでの過去を振り返りながら、自分の考えをまとめていく過程が描かれていると思う。現在の、平凡な人間としての姿が描かれている。
映画の終わりには、新しい雇い主(小説では・ファラディ)・(映画では・ルイス)とのかかわりの中で、スティーブンは、古い執事から新しい執事となっていく、人間としての過程が描かれていると思う。
老(おい)ではなく、終生ではなく、キャラクター(人物)の変化が見られる。人間のメタファーが変わる。人間の普遍的な在り方。
橋本恵先生は、前景化、背景化という用語を使われた。ソールズベリーから出発して、昔の女中頭、ケントンを尋ねて、ウェイマスへ行く車での旅行場面が前景化であり、昔の主人に仕えた、古い執事として仕えた姿の思い出が背景化の場面として描かれている。
旅をしながら、昔を思い出しながら、ケントンに出会い、分かれる場面で映画は終わる。旅をしながら、”great 執事”から、人間としての執事、新しい自己に変わっていく可能性を持つ主人公。旅の場面が、前景化が映画で描かれる。雨の中、ケントンと別れる場面が印象的である。
会ってみると、ケントンは結婚がうまくいかず、娘に赤ちゃんが生まれ、一緒に生きていこうとしていた。女中として迎えようとする願いはかなわなかった。ナチス寄りの、ダーリントン卿に無批判、無条件で使えた主人公はこれからどう生きるのか。昔、ケントンからアタックされた場面で、女性とのかかわりが生というか、奥手というか、鈍いというか、こういう性格の主人公がどう変わるのか。
昔の誇りある、バトラー・執事としての人生が背景化される。今は、新しい雇い主(アメリカ人)に仕える人間としての主人公。貴族社会、階級社会としてのイギリス人の姿から、「脱・貴族社会、階級社会の人間」としての主人公になっていく過程だろうか。
旅に出て、ダーリントン卿に仕えていたと伝えると、親ナチスの人物であったという世間の評判に直面する。
この内容は、日本の小説を英語化したようだ、と言われているという。小津安二郎の映画のようだと言われている、という。一方、カズオ・イシグロは、小津安二郎が好きだという。
小説としての「日の名残り」をもう一度読み返したい。コロナ禍で、この講義は、延期されてようやく、実現した。
カズオ・イシグロの「日の名残り」を新しい観点から読めたという気持ちだ。すばらし講義であった。1月からは、この作品を精読という観点で、3か月かけて読む計画が、橋本先生から発表された。楽しみだ。
イギリスに長く滞在したという参加者とか、娘がイギリス人と結婚したという方がいた。イギリスに関心を持ち、いろいろ調べたという。
コロナのため、文章を声を出して読むことが、禁止された。今後どうなっていくのか。