2021年08月29日

2020年度の児童虐待の数

2020年度の児童虐待の数が、
8月26日頃、NHKニュースで報道された


 児童虐待、2020年度、過去最多の20万件 前年度より5.8%増

 ニュースの内容は、以下の通りです。

 「18歳未満の子どもへの児童虐待は、30年連続で増え続け、2020年度は過去最多の20万5029件になった。20万件を超えたのは初めて。前年度より5・8%(1万1249件)多くなった。厚生労働省が27日、全国の児童相談所(児相)が相談対応した件数を公表した。

  件数が増えているのは、相談経路の50・5%を占める「警察等」からの連絡が増えていることが大きい。通報で駆けつけた警察官が、夫婦間の暴力が子どもの前で行われる「面前DV」を心理的虐待と判断して児相に連絡するケースが目立つという。

  相談の経路はこのほか、「近隣・知人」の13・5%、「家族・親戚」の8・2%と続いた。「学校」が6・7%と前年度から0・5ポイント減っており、厚労省は「新型コロナウイルスの感染拡大による休校が影響した可能性がある」としており、虐待の見落としが懸念される。」

  以上です。
 
  私の虐待被害者についての経験と感想をお伝えしようと思います。

  ニュースでは、児童相談所(児相)が相談対応した件数が発表されます。しかし、実際には、誰にも助けてもらえなかったケースもあります。幼児期・児童期・青年期に必死に助けを求めて電話したが助けてもらえなかったという方もお見えになります。相談件数には入らないケースもあります。例えば、片親の虐待に耐えて大学まで卒業し、就職したが続けられず、無職の状態になり、PTSDの症状に苦しんでおられる方もおられます。

  心理相談室の料金は、一般に、高額です。私の相談室では、初回は、90分くらいの事情聴取と心理検査で、12000円です。健康保険証が使えません。大変な高額です。わたしの相談室の料金は、これでも、周辺と比べれば低いほうです。

    相談を受けたい方にとって、この料金は、相当な負担です。だから、相談室に来られない事情の方が多いのではないかと思います。料金のために、相談室にかかりたくても、かかれないという事情の方がお見えになると思います。

  医師にかからないで、相談室に行きたいと思っておられる方がいると思います。しかし、そういう方は、就職できていない方もあれば、収入がない方もいるし、収入が少ない方もおられます。こういう方は、虐待の被害者の症状に苦しんでおられると推察します。

「医療難民」という言葉があります。どこの医療機関も受けつけてもらえないという方がおられると推察します。受け付けてもらっても治らないという方もいるかもしれません。このような方がおられるという現状を知っていただきたいと思います。

心理相談室の料金が高いのは、臨床心理士の心理療法の研修費用が相当高いことと、臨床心理士も、生活費を稼がなくてはいけない事情があります。研修費についていえば、EMDR療法にしても、ブレインスポッティング療法にしても、USPT療法にしても、研修費用が相当高い費用を払っています。

相談室がどんな方でも相談に乗るかと言えば、そうではありません。精神科でも、相談室でも相手にしてくれないこともあると思われます。虐待を受けた子どもたちが児童養護施設に保護されると思います。そういう施設で手厚い保護を受けておられると思います。

 児童養護施設を出た後も、医療・カウンセリングが必要になる方が多いと思います。こういう方々への支援制度はないと言っていいいと思います。社会人として生活が成り立たない方もおられます。児童養護施設に入らなかった方でも、大学卒業後、就職してから、症状に苦しみ、職業生活が続けられない方々がおります。児童養護施設に入らなかった人も、フラッシュバックの症状に苦しんでおられ、仕事が続けられない人もおります。

当相談室では、被害者に対するカウンセリングの手法は、EMDR療法、ブレインスポッティング療法、USPT療法(自我状態療法)、ボディコネクト療法などを使っています。

これらの手法が有効な場合もあります。また、効果が出るまでに時間がかかる方もあります。回復までに、何年もかかる場合もあります。経済的な負担を減らす工夫をして頂くために、クリニックにかかって、健康保険を使い、福祉制度を活用していただくことが大切です。被害者のカウンセリングとか医療費の経済的負担が大変大きいのご実情です。

現在、一番大切なことは、被害者が、カウンセリング機関とか、医療機関につながるということです。これさえできない方がいると思います。医療機関にかかり、ドクターに実情(虐待の被害者であること)を告げ、ご自分の症状をを告げ、社会福祉制度の手続きを尋ね、現在、受けられる福祉制度の手続きを作成してもらうようにしたらどうでしょうか?

 成人された、幼児期・児童期逆境経験者、幼児期・児童期・青年期逆境経験者の方で、トラウマ症状、フラッシュバックの症状、人格障害、解離性障害の症状などに困っておられる方は、まずは、現在ある福祉制度の活用に取り組んだらいかがでしょうか?

 こういう方々への治療支援制度がもっとしっかりとしたものにしていくことは大切であると思います。医療難民の状態の方もおられると思います。ちゃんとした、福祉制度にのっている方もおられると思います。

 被害者へのカウンセリング方法、治療方法の確立もしっかりしたものするように、EMDR学会とか、ブレインスポッティング学会でも、USPT研究会でも探求する方向を関係者が、探すべきだと思います。

 もう一つの大事な問題は、カウンセリングが受けたくても、経済的な事情のために、カウンセリング機関へ通えない方々がお見えになるということです。このような方たちへの支援が緊急に必要です。























posted by 花井英男 at 13:03| 子育て

2021年08月16日

戦後76年  平和の俳句特集  中日新聞 8月15日


戦後76年  平和の俳句特集  中日新聞 8月15日

黒田杏子さんが選んだ15句

中日新聞が毎年、平和の俳句特集を出す。

今年の特集を読んでいて、黒田杏子(ももこ)さんの選んだ15句すべてが、心に響いた。
素晴らしいと思ったので、ここに掲載させていただきます。
作者、年齢、出身地は省略させて頂きます。黒田さんの解説を載せます。




八月へ平和の俳句ぶちこんで
(ぶち込んでが絶妙)


二十(はたち)の兄九十(くじゅう)の妹二柱(ふたはしら)
(戦地で結核になった兄と、結婚できず生涯閉じた妹、おふたりの墓前で)



平和の句金子兜太(とうた)は生きている
(金子兜太さんは永遠です)



徴用の犬は何処(いずこ)で戦死せし
(無数の犬たちを想われて)



戦せず七十六年金メダル
(この金メダルは凄いです)



父知らぬ位牌(いはい)に残る髪と爪
(その髪と爪の存在感)



平和とは孫の笑顔だほんとだよ。
(「ほんとだよ」で決まりました)



理科学ぶ命を守るため学ぶ
(兜太先生の出身地、秩父・皆野町の中学三年生です)



若者を兵器に使った夏が来た
(許せませんね)



兜虫(かぶとむし)兜太は戦争許すまじ
(カブトムシと兜太先生は重なります)



九条は日本の心富士の山
(九条は富士山。すばらしい発想です)



では今が平和かと問う梯梧(でいご)花
(いつも沖縄を想われる作者。同感です)



志願兵それのみ誇りの父が逝く
(そんな父上に作者は批判的でしたと・・・)



独居老人九十五才の平和かな
(いつもスマホでひ孫さんの姿をながめておられて)



赤紙に助けられて今百寿
(身体検査で不合格。おかげで今穏やかな百歳の日々なのですよと・・・)












posted by 花井英男 at 12:09| 戦争・平和

2021年08月15日

日曜美術館  無言館


日曜美術館  「無言館」 長野県上田市
2021年8月15日放送


 終戦記念日に「無言館」を放送した。ずいぶん昔、家内と訪ねた。長野県の上田市にあるという。どこをどう通って、どういう風に行ったか、覚えていない。ずいぶん田舎の山の中だった。はるばる長野県に来たという感じだった。

 ウィキペヂアで「無言館」を見て、その紹介文を引用します。建設の経緯が詳しく出ている。今日の番組には、窪島誠一郎が出演した。

 建物の入り口には、「無言館 戦没画学生慰霊美術館」という看板。今日の番組では、一つ一つの作品の学生のエピソードを紹介した。戦地に出ていく若い画家たちは、絵を描くことが好きで、幸せな時を過ごしていた。また、この作品に出ているように、将来、素晴らしい才能を開花させただろう。

 家族との、妻との幸せな時を過ごした。子どもへの父親から願いを込めた手紙も紹介された。

 NHKの番組紹介の文を引用します。
「700点を超える戦没画学生の遺作を所蔵する『無言館』。館長窪島誠一郎(78)が収集をはじめたのは、戦争の記憶の風化が叫ばれた戦後50年1995年のことだった。」


 「全国の戦没画学生の遺族を回ってその作品を発掘」した。しかし、途中では、困難もあった。
「戦没画学生の作品収集に関して、当初、野見山(画家の野見山暁治)は否定的だった。遺族を探すだけでも手間のかかる仕事であり、さらに作品の発掘・収集にかかる労力が膨大であること、資金的な問題、作品展示の計画が失敗したときの絵の返却などの後始末の問題など、個人として行うには負担が大きすぎるというのが理由だった。」

 「遺族の訪問は、比較的資料の揃っていた東京美術学校出身の戦没画学生の遺族から始められた。」「東京美術学校出身者から始められた作品収集は、その後、帝国美術学校 (後の武蔵野美術学校、多摩美術大学の前身)、京都絵画専門学校 (後の京都市立芸術大学) 出身者や独学で絵を学んだ画学生にも広げらた。」

 「次第に集まる作品数が増え、スペース不足の問題が生じだした。そのため、別途、新たに美術館を作ろうと考えたが、建設用の土地にあてがあったわけでもなく、建設資金をどうするかもそれほど明確なビジョンがあったわけでもない。建設資金は、無言館の時と同様に全国からの寄付で賄われた」


 現在、貧乏美術館にしては、立派な収蔵施設を持ち、展示していない作品の所蔵をしており、老朽化した作品の修復を待つものが出てきた。

  現在抱える問題は、75年経って、作品の修復という問題が出てきた。修復専門の人たちが今取り組んでいる過程を紹介した。
 「開館当初は年間入場者数約10万人を数えたが、2010年 (平成22年) 頃の数字で年間約5万人にまで漸減している。」

 これからの運営は大変だろう。この美術館は大切にしてほしい。戦争を体験したことを契機に、出来た貴重な美術館です。大切にしたいと思う。












posted by 花井英男 at 11:07| 戦争・平和