2021年07月06日

「水害と闘った男たち〜治水三傑・現代に活かす叡智〜」

NHKBS
英雄たちの選択
日本の運命を決めた「選択」に迫る!

「水害と闘った男たち〜治水三傑・現代に活かす叡智〜」


 静岡県熱海市の土砂災害に遭われた、皆様にお見舞いを申し上げます。関係する皆様方にお見舞いを申し上げます。県知事が、捜索にたずさわっている関係者は、限界に達していると述べた。健康に気を付けられて頂きたいと思います。

 熱海市と言えば、研修でお世話になった土地であり、帰りには、熱海駅周辺で、昼飯を食べ、ブラブラ歩いたところです。テレビで、土砂災害の衝撃的な映像を見た。連日テレビで、放映している。

 2019年度、EMDR学会冬季臨床セミナーが、熱海市のホテルで開催された。熱海駅からバスで数分のホテルだった。EMDR学会東京支部の方々の世話により開催された。その時の講演は、素晴らしい内容だった。二木啓介先生(ニキハーティホスピタル理事長)の解離性同一性障害のクライエントに対する、催眠とEMDRによる施術による治療の講演があった。

 学術雑誌の掲載論文をすべてプリントして、参加者に配布された。実践の臨床例の提示であった。いま、このような技術を持つセラピストは、国内ではまだいないのではないかと思う。私に限らず、多くの関係者が、いつか、二木啓介先生のような技術を身に着けたいと思っていると思う。

 2020年の冬の臨床セミナーは、京都市内嵯峨にて、開催予定であった。二木啓介先生の講演をぜひお願いします、と関係者にお願いした。しかし、コロナのために、中止となった。

 さて、熱海伊豆山の土砂水害に戻ります。静岡県知事が、盛り土の件に言及している。不法投棄であったのか?自然災害であったのか、人災であったのか。

 こんな時に、「英雄たちの選択」を家内が見ていて、私は途中から見た。すばらしい内容であると思った。途中から見ただけである。自然災害と闘った英雄たちの活躍は素晴らしいと思った。

 番組の案内の文章は次の通り。

「毎年のように日本を襲う想定外の水害。歴史の中から大治水事業に挑戦した3人の英雄をとりあげ、彼らの治水の極意を紹介。現代に生かすべき叡智を令和の日本に問いかける。

 毎年のように日本を襲う想定外の水害。どうすれば人々の安全と未来を守れるのか?今回、歴史の知恵を防災に活かすべきと唱える磯田道史が、大治水事業に挑戦した3人の英雄を選りすぐり、彼らの遺産を検証する。

  信玄堤で知られる武田信玄。「利水」の発想で岡山を救った岡山藩士・津田永忠。天竜川の治水に生涯を捧げた金原明善。“三傑”から学ぶ治水の極意を紹介。

  信玄堤の部分の放送については、視聴できなかったので、検索で調べた。

 信玄堤についえは、    「しんげんづつみ【信玄堤】
 武田信玄が釜無川沿岸に構築した川除(かわよけ)用の堤防。山梨県中巨摩郡竜王町にある。御勅使(みだい)川が釜無川に合流する地点は古来甲州第一の水難場で,甲府盆地西部に水災を及ぼしてきたが,信玄は1542年(天文11)治水工事に着手,18年の歳月を費やして完成させた。  

 特色は,まず将棋頭(しようぎがしら)という圭角(けいかく)の石堤を築いて御勅使川の水流を南北に二分し,その本流を釜無川浸食崖の赤岩(高岩)にあたらせ,また十六石という巨石を配して水勢を減殺するという自然力を利用した工法で,さらに釜無川左岸には1000余間(1800m余)の堅固な堤防を築き,これに雁行状に配列した霞堤を設けて大出水に備えたことにある。

 出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報


  






posted by 花井英男 at 18:51| 防災

2021年07月02日

推古さんは男性の中継ぎではない



「推古さんは男性の中継ぎではない」
「ジェンダー視点で読みなおす女帝の歴史」
帝京大学名誉教授  義江明子さん 文学博士   


 最近、新聞を読んで、ハッとする面白い記事がない。家内には、「もっと新聞記事を読め」とアドバイスされる。家内は、丹念に新聞記事を読んで、面白い記事を紹介してくれる。私は忙しくてとても新聞記事を読んでいる余裕がない。私には面白い記事がない。

 たまたま、面白い記事を見つけた。「推古さんは、男性の中継ぎではない」という見出しだった。「古代の女性統治者/女帝」という、年表を見た。AD300年から800年ころまでの、つまり、古墳時代から、奈良時代(平安時代直前)までの天皇の系図の一覧表を見た。

 この年表を見ると、古墳時代(3世紀半ば〜)女性首長は3〜5割であった。400〜500年代は、男王の時代だった。600年代〜700年代〜800年代直前までは、8人の女帝 が 出た。その名前は、推古、皇極、斉明、持統、元明、元正、幸謙、称徳。

 皇極と斉明、幸謙と称徳は同一人物だという。日本列島は、4世紀まで、女性首長が、3〜5割存在したといわれている。6世紀末から8世紀後半かけては、推古を皮切りに、男女ほぼ同数の天皇が即位した。

 研究者に「古来日本は父系継承だった」、「女は本当の君主ではない」という思い込みがあった。こういう考え方が生まれたのは、女性が徹底して政治から排除された明治時代だという。
 義江明子さんは、新著で、近代以降の偏見を排除し、史料を再検討した。

「推古天皇」ミネルバ書房、3300円。「女帝の古代王権史」ちくま書房、924円。

 女帝研究は困難を極めた、という。近代以降の偏見を排除し、史料を再検討し、新たな女帝像を提示できた、と義江さんは言う。

 古代日本は、父方母方の双方が等しく重みをもつ双方が等しく重みを持つ双系統的な社会だったという。6,7世紀の国家形成期、王には、豊富な経験と統率力が必須とれた。王族の長老男女の中で、有能な人間が豪族の支持を得て即位した。

 中でも、推古は、女性が即位できない「ガラスの天井」を打ち破った人物だという。
 ガラスの天井(ガラスのてんじょう、英語: glass ceiling)とは、資質・実績があっても女性やマイノリティを一定の職位以上には昇進させようとしない組織内の障壁を指す 。

 推古は優れた統率力を豪族にみせつけることで、男王の優勢を破り、後の女帝に道を開いた。これが、義江明子さんのジェンダー視点よる読みだという。

 この記事は、義江明子さんの研究成果の発表である。義江さんは、「女性史研究を展開し、弥生・古墳時代の女性首長から古代の豪族層女性への展開に関して研究」をしている研究者だ。学生時代、古代史を専攻した。卒業後、専業主婦になるも、独学で研究を再開した。

 義江明子んは、東京教育大史学科から、都立大学大学院で研究した。
内職で得たお金で本を買い、子供をあやしながら勉強し、古代女性史を学ぶために、29歳で大学院へ。「2歳の子がいるのに」という親族の反対を跳ね返して進学した。

                    しんぶん赤旗日曜版2021年7月4日







タグ:ジェンダー
posted by 花井英男 at 16:05| 日記