脳科学者・恩蔵絢子(おんぞうあやこ)さんに聞く
先日、NHKのハートネットの番組で、「脳科学者の母が認知症になる」という番組で、娘の脳科学者が、母にどのような働きかけをしたか、を紹介した。
番組では、3つのアプローチを紹介した。
大切な家族が認知症と診断され、症状が進行していったら、どんな気持ちで接すればいいのか。参考になる番組であった。
「母親は5年前、65歳でアルツハイマー型認知症と診断されました。自分自身、やっぱり『なってほしくないもの』と思っていましたし、『母が母でなくなってしまうかもしれない』と感じました。」
「悲惨な未来を思い描くこともあったけど、突然何もかもができなくなるわけではなくて、認知機能はゆっくり落ちていくのであって、時間はあるということにも気づきました。」
「それから、研究者として「記憶を失っていっても、母は母らしくいられるのか」という疑問を意識的に持って接すると、いろんな発見があったんです。」
認知症へのアプローチ、3つのアプローチとは。
@ 散歩でアプローチ
椅子に座ってぼーとしていること、とか、散歩をすることは、記憶の整理ができるという。
親子で歩きながら、「こんな椿始めて見た。」と感想を母は述べた。一緒に歩いた。すし屋で昼食を買い、河川敷で、弁当を広げた。川のカモをを見た。これらの行動は、脳を活性化させる。リラックスすることはいいことだと、述べた。お母さんの笑顔が増えた。他のこともやりたがった。
アルツハイマーは、海馬が萎縮するという。後頭葉皮質の機能が落ちている。デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が記憶の整理をするという。物事を集中している時は、DMNの活動は、活動しない。一方、リラっクスするときは、DMNは活発になる。
散歩でリラっクスするということは、DMNが活性化し、脳にいいということだ。
A 出来ることを生かす。
お母さんの好きだった料理をする。記憶には、エピソード記憶と身体的記憶がある。エピソード記憶は海馬が担当する。身体的記憶とは、自転車に乗るとか、料理をするである。これは、大脳基底核と小脳が担当する。という脳科学からの解説。
ここで、娘の恩蔵さんは、貴重な経験をしたようだ。お母さんに、「次何やる?」という、せっつくような発言をすると、お母さんは混乱してしまうようだ。黙ってみていることが大事だ。作業記憶は残っている。
「人間には、最後まで、自尊心は残る」人間が攻撃的になるのは、自尊心と関係がある。認めてもらえないと攻撃的になる。自尊心が傷つくと、攻撃的になる。
「自分のできることはここにはない。」と思うと、焦燥心が出る。そこをカバーしてやることが大切だと述べる。怒りは、「わたしを認めてよ」という合図だと述べる。
B 感情を動かす。
「どうせ、できないでしょう」、と周囲の人が、思うことはいけない。新しいものに出会うと感情が動く。自宅の近くの山(低い山)に、親子3人でそろって登山をした。母と父と恩蔵さん。「不断にない、特別な体験が感情を動かす。」と、恩蔵さんは述べた。
感情を動かす。「すごい登山だよ」声をかけながら、親子3人で頂上に着いた。
いつもと違うことをすると、記憶に残る。大脳皮質は、状況を分析する。残っているものがある。「母は母である」と思えると、自信ができる。人生の中で学びをしている。
私が見た番組の内容は、以上です。
次に、母親のことで、他の番組(クローズアップ現代)で出演した、記事の紹介がでていましたので、紹介します。
記憶を補えば、できることは増えるということです。母はアルツハイマー型認知症で、まず記憶を司る海馬という場所に萎縮が起きました。海馬が萎縮すると、現在のことが脳に定着しにくく、記憶が整理しにくいので、うまく判断ができなくなるということが出てきます。
突然何もかもができなくなるわけではなくて、認知機能はゆっくり落ちていくのであって、時間はあるということにも気づきました。
それから、研究者として「記憶を失っていっても、母は母らしくいられるのか」という疑問を意識的に持って接すると、いろんな発見があったんです。
恩蔵さん
「記憶を補えば、できることは増えるということです。」母はアルツハイマー型認知症で、まず記憶を司る海馬という場所に萎縮が起きました。海馬が萎縮すると、現在のことが脳に定着しにくく、記憶が整理しにくいので、うまく判断ができなくなるということが出てきます。」
「母はとても料理が好きだった人なのですが、認知症になり、料理をしなくなりました。味噌汁一つとっても、料理はいろんな工程を経て完成されるものですから、何を作ろうとしていたのか、どこまでやったのか、など記憶を維持できないと難しくなるのです。
でも、私がそういう記憶の代わりとして、母に今何をやっているか声をかければ料理が続けられるのではないかと考えたんです。」
「海馬を含む内側側頭葉を手術で切除して、新しい記憶が覚えられなくなった人のある実験があります。二重線で書かれた星と星の間を逸脱せずになぞるという課題に取り組むのですが、その人は毎回「その課題をやった」ということを忘れてしまいました。」
「海馬を切除したことで、意識的にエピソードとして記憶しておくことができなくなったのです。だけど、実験を重ねると、精度よく星を書けるようになったことがわかっています。繰り返しやることで体で覚えていくという、アルツハイマー型認知症で海馬に問題があっても、こうした“身体的記憶”は比較的失われにくいのです。」
「母も料理に関して、包丁を使って皮をむいたり、切ったりする身体的能力は、残っているはずでした。だから、「私が隣で、今何を作っているか、次は何をすればいいのか料理の道順だけを伝えてあげればいい」と考えたんです。実際に、私も一緒に台所に立てば、母は料理をしてくれることが増えました。」
「いまは症状がだんだん進行しているので、難しい部分も増えてきましたが、簡単なことでもお願いするととても嬉しそうな顔をするときがあります。」
恩蔵さん
「例えば、認知症と診断されたばかりの頃の話ですが、母が友人とコンサートに行って帰ってきて感想を聞くと「全然よくなかったわ」と答える。でも2時間後にもう一度聞くと、「ソプラノがよかったわ」なんて言うんです。」
「矛盾したことを言っていると思って戸惑うかもしれませんが、もしかしたら「全然よくなかったわ」という印象は、帰ってきたばかりのときに聞いたので、帰りの電車で友人とコミュニケーションがうまくとれなかったり、何か友人の前で失敗してしまったりして、その感覚が強かったのかもしれない。
コンサートに行くことには、往復の時間も含めて何時間もの時間がかかるわけで、その中では、母も色んなことを感じているのだと思います。」
「うまくいかない時間帯もあったかもしれないけれども、素晴らしい音楽を聴いたということもちゃんと感じている。認知症でない人であれば、「どうだった?」と聞かれたら「良かったよ」とかで終わってしまうかもしれませんが認知症の人は感じたいろんなことを伝えてくれているんだと思います。」
「こんなことはできないはず」と能力を決めつけない
―― お母様が認知症と診断されて5年。症状が進行してきて不安な部分もあるかと思いますが、接する中で大切にしていることを教えて下さい。
恩蔵さん
「できることがあることに目を向けることと、“母らしさ”は失われていないと信じることかなと思います。」
母は新しいことがほとんど覚えられなくなり、最近、デイサービスに行くようになりました。どういう状況か知りたくて、職員の人にどんな様子か聞いたところ「友達がたくさんできて、いつも誰かとお話していますよ」と言ってくれたんです。
それを聞いたときに、私はとても感動して涙が出ました。「人の顔が覚えられるのかな」 と心配していたんですが、母が認知症になっても新しい友達を作れたことがとても嬉しく、素晴らしいことだと思ったんです。「こんなことはできないはずだ」と人の能力を決めつけてはいけないのですね。
「こんなこともありました。私が仕事で落ち込んで、帰ってきたときに思わず母に抱きつくことがあったんですが、母は「誰かに嫌なこと言われたの?」
「あやちゃんに嫌なこという人がいるの?」と声をかけてくれました。これは小さい頃に私に何かがあるとかけてくれた言葉で、そういう母らしさは今も変わっていないんです。」
だから、「記憶を失っても母は母らしくいられるのか」という問いに対して、5年経っても母は私の母だと言えると思います。
――番組に「祖母が私のことを思い出せなくなったり、幻覚があるようで、認知症であることは理解しているけれど、心が追いつかない」という声が寄せられました。
恩蔵さんだったら、この方にどんな言葉をかけますか。
恩蔵さん
「今まで通りにコミュニケーションをとれなくなって、そのことにどうしても傷ついてしまうのは、仕方がないことだと思います。」
恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さんは 脳科学者。
金城学院大/早稲田大/日本女子大 非常勤講師
著書に『脳科学者の母が、認知症になる』
河出書房新社
金城学院大/早稲田大/日本女子大 非常勤講師
著書に『脳科学者の母が、認知症になる』
河出書房新社