2020年09月05日

上遠恵子さん・レイチェル・カーソンの紹介  センス・オブ・ワンダー

NHK こころの時代〜宗教・人生〜
「センス・オブ・ワンダーと生きて」


【出演】エッセイスト…上遠恵子,【語り】柴田祐規子

センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)は、レイチェル・カーソンの著作に由来する言葉。
「自然などからある種の不思議さを感じ取る感性」を説明する為の語。

上遠恵子(かみとうけいこ)  エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長。

レイチェル・カーソンは、「サイレント・スプリング」の著者として知っていたが、詳しいことは何も知らない。

TVでは、カーソンの生い立ちから、生物学者になって、ベストセラーを出版するまでを紹介した。

幼少時は作家を志しており高校の成績も極めて優秀であった。ペンシルベニア女子大学では英文学を希望していたが、生物学の授業を受けたことで生物学分野の科学者を志望するようになった。

ジョンズ・ホプキンス大学の修士課程で遺伝学を学ぶ。当時、女性が一生働ける職業は少なく、そのため科学者という選択は非常に珍しいことであった。

修士課程卒業後はアメリカ連邦漁業局に勤務。1962年『沈黙の春』などの作品を発表。当時まだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招くことなどに取り組んだ。

『沈黙の春』は、これを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、DDTの使用は以降全面的に禁止された。

TVでは、海岸には、鳥たちの死んだ姿が沢山横たわっている映像が映し出された。一方では、農業地帯にトラクターから農薬が散布される映像が映し出された。一昔前、北海道で、農薬を散布した広い農業地帯の中を車でドライブした人が、死亡したとことが報道されたことがあった。

 終戦直後、DDTが日本でもかなり広く使われたことを記憶している。DDTは何も問題はないとと思っていた。DDTといえば、終戦後、日本でかなりつかわれた。

 上遠恵子さんの人生とカーソンの人生は良く似ていると語る。上庭恵子さんは結婚しなかった、兄弟が亡くなり、その子を育てるということになった。カーソンも同じ運命をたどったようだ。

 上遠恵子さんは91歳の今も、幼稚園などに招かれて講演活動をしている姿が紹介された。上遠さんは子どもたちにはどんな小さな子でも、センス・オブ・ワンダーという感性を持つと訴える。


『沈黙の春』の執筆中に癌宣告を受け、1964年4月14日に癌により死去。生涯独身だったが、1957年に肺炎で亡くなった姪マージョリーの息子ロジャーを養子にしている。

 DDT禁止に関する議論はカーソンの死後も続いている。
安価な殺虫剤であるDDTは途上国では田畑での農薬として使用され、最近までほとんど減少しなかった。

 2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされている。しかし、実際にはカーソンはマラリア予防目的であればDDT使用禁止を主張していない。





posted by 花井英男 at 14:57| 自然