2017年08月19日

日米戦没者の慰霊を続ける静岡県の医師 菅野寛也さん[83歳]

日米戦没者の慰霊を続ける静岡県の医師 菅野寛也さん[83歳]



NHKラジオ深夜便(2017年8月19日・朝4時5分からの放送)

「戦争・平和インタビュー」


菅野さんは1945年6月の静岡空襲を体験した。
12才だった菅野さんは、墜落したB29の搭乗員だった米兵の肉体を人々が、憎しみを込めて、棒切れでたたいていたのを目撃した。


菅野さんも、やはり米兵の死骸に対して憎しみをもった。
1945年6月の静岡空襲では市民約2千人が亡くなった。


菅野さんの父親は、日露戦争に行った医師であった。
その父が、敵国ロシアの負傷兵の面倒を見たというエピソードを、少年時代に聞いていた。



菅野さんは、米兵の慰霊碑を立てることにやはり周囲の抵抗があったという。
20数名の米兵の慰霊碑を墜落現場に建てることを決意したという。



「死んでしまえば敵も味方もない」との思いから40年以上にわたり静岡市で、静岡空襲で犠牲になった市民と、空襲中に墜落死した米軍機B29の搭乗員の慰霊祭を続けている。



今年も慰霊祭が行われた。静岡新聞がその様子を報道している。
「静岡空襲の犠牲者悼む 賤機山で合同慰霊祭」
この記事は、その記事を引用させて頂いている。



菅野さんは、真珠湾に、たったひとりの慰霊祭に参加していた。
91年から真珠湾での米式典にほぼ毎年参列するようになり、2006年ごろから日米双方の犠牲者を悼む式典を元米兵らとともに現地で営んでいるようになった。



静岡での日米合同の慰霊祭。今年で45回目。参列者は慰霊碑に花を
手向けたり、米政府から贈られたハナミズキに水を注いだりして犠牲者の冥福を祈った。


 太平洋戦争末期の静岡空襲で犠牲になった市民と、墜落した米軍爆撃機B29の搭乗員を追悼する日米合同慰霊祭が6月24日、静岡市葵区の賤機山で営まれた。地元遺族や在日米軍関係者ら約150人が黙とうをささげ、平和への誓いを新たにした。

 

 初参加した米ハワイ真珠湾にある太平洋航空博物館のケネス・デホフ館長は「慰霊祭は日米両国の絆を一層深めることに大きく貢献している」と述べた。


遺族会代表の掛川洋一さん(69)は「私たちは過去の悲劇をベースにしながらも日米友好の礎を築いてきた」と話し、戦争体験を若い世代に継承する必要性を訴えた。



 主催者の医師菅野寛也さん(83)は、2016年12月に真珠湾で開かれた日米合同追悼式典に出席したことを報告。


「慰霊、鎮魂なくして和解、平和はあり得ない」と強調した。
 



坊さんで、比較宗教学者の町田宗鳳(まちだそうほう)氏の2つの引用文を、次に紹介したいと思います。

「そして、『光の祈り』を国民全体が、もう少し明確に自覚すれば、世の中がもっと暮らしやすくなるはずだと、私は強く信じています。」



「次世代の文明とは、どのようなものでしょうか。私はそれを、意識下の直観力や想像力が基軸となって構築されるものではないかと予想しています。それは先述したように本来、日本文化が得意としてきた分野です。

現代日本人が『無意識との対話』を深め、過去と現在と未来とを美しく結び合わせることができる国民であることを信じて、本講座を締めくくりたいと思います。」

著書「無意識との対話 心身を見つめなおす」から引用。

 町田宗鳳 哲学博士・ペンシルバニア大学  広島大学名誉教授 ありがとう寺住職



posted by 花井英男 at 14:07| 戦争・平和

2017年08月15日

自民党の原発政策について考える

福島第一 処理費 四年で倍増 
中日新聞2017年8月14日付朝刊報道



中日新聞は、「原発事故の深刻度」と題して、次のように述べる。
「国際的な原発事故の評価尺度(INES)が定めらており、レベル0から7までの8段階ある。


福島第1原発事故や旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故(1986)は最悪のレベル7.これに対し、米スリーマイル島原発事故[79年]はレベル5だった。」

核燃料は溶けたものの、圧力容器はほとんど壊れておらず放射性物資の外部放出も限定的だった。

膨れ上がる福島原発事故の処理費用を次のように、伝えた。


「政府は、@廃炉・除染水対策、A賠償、B除染など処理費用を4年前の倍の21.5兆円と見込むが、
今後も大幅に増えることは確実な見通し。



電気代の一部として消費者が負担する分も含まれ、原発事故の後始末の国民へのつけ回しはさらに膨れ上がりそうだ。」


金額を具体的に見てみよう。


2013年時点の政府の見積もり⇒現在(2017年8月)の見積もり


中間貯蔵処理施設: 1.1兆円⇒1.6兆円
(最終手分譲の建設費は含まれず)


除染:2.5兆円⇒4兆円
(除染しても、十分に放射線量が下がらず、追加除染が必要になる恐れ。)


賠償:5.4兆円⇒7.9兆円
(既に7.5兆円支払っており、まだ増える)



廃炉・除染水対策:2兆円⇒8兆円
(自己の深刻度が小さい米スリーマイル島原発事故を
積算根拠にしており、さらに増える恐れ。)



合計の見積もり。
2013年時点:11兆円⇒2017年8月時点:21.5兆円


私は、原発の処理費について、これだけではすまない、深刻な問題があるということを、不破哲三さんの、赤旗の記事で読んだ。不破さんの記事に、私流のコメントを付けて紹介させていただく。

不破さんの言葉は、「  」で示す。  紹介させていただく。


不破哲三さんは、「『資本論』刊行150年に寄せて」2017年8月1日付・赤旗の記事の中で、次のように述べた。


「資本主義社会では、経済を管理する『社会的理性』がない。」
日本の自民党・公明党政権は、社会的理性がない。


「日本のことわざでいえば、あとの祭り」というところでしょうか?」
時期遅れで、むだなことを繰り返す、自民党・公明党政権。



福島の事故が起きても、事故に学ばず、どこまで行ったら、軌道修正するのか?

「市場の制限など無視して競争で生産拡大の道を突き進む」と、資本主義社会の姿を指摘している。



「そもそも原発とは、原子力潜水艦という軍事上要求から開発された原子炉を、安全性の保障も無しに民間向けに転用した物でした。」

「この危険なエネルギー源を大規模に平時の国民生活に取り入れたこと自体、「社会的理性」の存在を疑わせることでしたが、その報いは、スリーマイル島(米国、1979年)、チェルノブイリ(ソ連、1986年)、福島(日本、2011年)という、相次ぐ3大事故で世界に示されました。」


ドイツでは、世界に先んじて、原発をとり止める方向にかじを切った。最近の報道によれば、韓国も原発政策を改めた。


「原発の運転は、危険な放射性廃棄物を大量に生み出す。その使用済み核燃料から原発の燃料に再利用できる部分を取り出す作業を『再処理』というのですが、
日本では、その作業に成功せず、現在、この危険な使用済み核燃料が原発の敷地内のプールに大量に溜め込まれている。」



「『再処理』に何とか成功しても、そこから出てくる廃棄物は文字通り放射能の固まり、人間がそばに近寄るだけで、即死する危険物です。」



「その危険物が人間に被害を及ぼさないほど小さくなるまでには、数万年は必要だとされる。」



「その数万年、これを安全に維持する最終的な解決策はいまだ見つかっていません。」



「見つかったとしても、いったい、自分たちが作り出した巨大な危険の管理責任を、数万年もの先の未来世代におしつける権限が、誰にあるというのでしょうか?」



「さらに、それにどれだけの費用がかかるか、誰も計算できないでいます。」



「おそらく処理費用を入れると、原発は、経済的どころか、最もコスト高のエネルギーだという結論がでるのではないか。」


「ここに、『社会的理性』を失った資本主義の無責任さの、最悪の表れがあります。」


と、不破哲三さんは述べている。


posted by 花井英男 at 13:22| 政治

2017年08月13日

いわさきちひろ展を見に行く

いわさきちひろ展
ピースあいち10周年特別企画
―世界中のこどもみんなに平和としあわせを―


2017年7月18日(火)〜8月31日(木)
博物館相当施設・戦争と平和の資料館 ピースあいち
2017年8月13日(日)


名古屋市名東区よもぎ台
地下鉄「一社」駅から北へ20分

日曜日の午前中に、ピースあいちのいわさきちひろ展を見に、家内と出かけた。
「ピースあいち」とはどんな所だろうという好奇心もあった。


まず、最初から行き方を間違えた。一社からは遠い。
上社から、バスで近くまで行けることに後で気づいた。


一社から坂道である。行けども、行けども見えてこない。
炎暑の中歩いた。
途中、道を尋ねながら歩いた。

ピースあいちの1・2階は、常設展示。
3階は、企画展会場。


1階で、「ピースあいち」の出来た経緯のビデオを見た。
1993年、愛知に戦争資料館をつくろうという運動を始めた。
戦争と平和の記念資料館を作る運動団体が、愛知県、名古屋市に作るように、働きかけたが実現しなかった。


名古屋市在住の、加藤たづさん(助産婦・看護婦)が、一生かけて作り上げた財産、90坪の土地と、1億円のお金を「ピースあいち」のために寄贈された。

加藤さんは、戦後、結婚されましたが、早くに夫と死別、その後も自立して働き続けました。自分は質素な暮らしをし、一生かけて蓄えた財産を世の中のために役立てたいと考えて、戦争資料館建設のために、寄付をされた。

私も、記念館建設カンパに協力した覚えがある。

ビデオでは、更に、常設展示は、どんな内容なのか、詳しく案内をした。
美術館とか、こういう施設で、ビデオ解説を見るのは大変役に立つと思う。


1階・2階の常設展示場を見た。ぎっしりと詰まった展示は、とても頭が一度に吸収できるわけではない。悲惨な戦争中の生活状態の展示、戦争被害による悲惨な状況の展示である。
「目をそむけないでください」という大きな文字が張り出してある。


自分が、もう受け付けないという感じがした。
圧倒する展示物に私の脳は、拒否状態だ。
もう駄目だという気がした。

詳しいデータ、写真が、これでもか、これでもかと張り出してある。

知らず知らずの間に、緊張状態になっていた。
私は、ビデオ解説で見たほうが、分かりやすいと思った。
先ほどの1階でのビデオ解説はよかった。


逃げるように、3階の、いわさきちひろ展の会場に移動した。
ここで、私の体は、正直だ。体の緊張がなくなった。ほっとした。

平和な雰囲気の中の、ちひろの子どもの絵は、すばらしい。宝だ。

絵本を椅子に座ってみている人、子ども。ここならのんびり出来そうだ。

しかし、腹が減った。
とにかく、昼食に外へ出ようということになった。
出口で、えはがき、絵本、一筆箋などを売っている。
一筆箋を買って外へ出た。


posted by 花井英男 at 15:42| 文学・芸術