ブレインスポッティング
第1回:公式Phase 1 トレーニング
日時: 2016年12月23・24・25日 10:00−16:30
会場:レインボービル(東京:飯田橋)
講師:鈴木孝信先生 国際BSPトレーナー・BTI-J代表・東京多摩ネット心理相談室代表
主催:ブレインスポッティング・トレーニング・インスティチュート・ジャパン
第1回:公式Phase 1 トレーニング
日時: 2016年12月23・24・25日 10:00−16:30
会場:レインボービル(東京:飯田橋)
講師:鈴木孝信先生 国際BSPトレーナー・BTI-J代表・東京多摩ネット心理相談室代表
主催:ブレインスポッティング・トレーニング・インスティチュート・ジャパン
新しい内容を学びたいという希望で参加した。
内容は、前回のヨーロッパの講師の時のWSとは一新した内容であった。テキストも一新した。
何よりもうれしいのは、前回は、通訳を通して学んだが、日本人による、日本人のための内容である。
3日間のWSは時間をたっぷりかけた、内容の充実したものだった。
ヨーロッパの講師の時は、同時通訳のため、時間がかかった。そのために内容が少なくなった。
今回、日本人の講師であるために、十分に時間をとって学ぶことが出来た。
いつも気さくにメールを交換している鈴木先生が、とうとう国際トレーナーの資格を取られた。すぐに4月に、Phase2トレーニングをしてもらえるのがうれしい。誰もが先生の人柄、研修歴などにひかれたと思う。
鈴木先生は、アメリカの大学院を卒業しているので、語学力を駆使して、デヴィッド・グランド博士の下で、ニュ―ヨーク、コロラド、ヨーロッパなどに研修に飛び回った、と言われた。又、ブラジルでのBSP学会にも参加した。世界中にBSPは広がった。あとアジアでは、フィリピンだけだという。鈴木先生がフィリピンのWSに出かけることになっているという。すばらしい。
簡潔で要を得た話し方で、分かりやすい話をしてくれた。本当に有難い。
デモンストレーション・クライエントに参加者が積極的に参加した。
日本に最初にBSPを導入した久保隆司先生に会えたのも収穫だった。
先生には、色々、質問したり話をすることが出来た。懇親会で同席だった。
先生は、著書「ソマティック心理学」、翻訳「ブレインスポッティングスポーツワークートラウマ克服の心理療法ー」(グラント博士の著書)など多くの出版物がある。最近、私の瑞穂CBT相談室に、上記の翻訳書を読んで、来談した青年がいた。すばらしいスポーツトラウマ治療の本だ。
久保先生は、日本で目立たない存在で研究者、宗教者など幅広く集めて研究団体で活躍されている。何よりもアメリカで大学院まで5年間滞在された。語学力を持つ。地味な方である。
鈴木孝信先生のデモには、誰もが衝撃的な体験をした。
北は、北海道から、南は、佐賀、福岡などから、臨床心理士、医師が60余名も参加した。
初日、隣同士になった佐賀の医師にUSPT、BSPについて話しをしたら、大変喜んでいただけた。1月の名古屋市立大学のWSには、参加すると言われた。懇親会で同席した、福岡の医師にも喜んでいただけた。
名古屋で来年6月、精神神経学会が、開かれ、USPTについて、USPT研究会・理事長の新谷先生が数人のドクターとシンポジュームをされることを伝えた。
知り合いの方も数人いた。2度目のWSの参加である私は、経験上から質問をすることが出来た。何よりも、若い人たちの参加、医師・臨床心理士の参加がうれしい。
心療内科・精神科での臨床にすぐに役立つ充実した内容であった。
4月のPhase2が待ち遠しい。
懇親会は神楽坂のアジア料理の会場に30名以上が集まった。私にとっては、これが忘年会になった。格安の値段も魅力だった。
懇親会では、滋賀から参加の旧知のKさん、「前世療法」の著者・USPT研究会の理事・医師萩原先生、福岡の医師、愛知からの参加の旧知ののN君、佐賀から参加の発達障害の子ども、保護者を担当している医師、BSPの日本への紹介者・久保隆司先生、東京のEMDRの大御所のO先生と同席になった。
名刺の交換もした。BSPに巡り合えた喜びを持っていると思った。
皆さんが打ち解けて、今迄のそれぞれの研修歴など、自分の経験などを話した。
さて、東京の街は、魅力がある。例えば、「神楽坂」の地名のいわれを書いた案内板が出ている。ここは、神楽を演奏した建物があった、あるいは、神楽の演奏される音が聞こえた場所であるからこういう地名になったと書いてあった。
2日目、愛知から参加した青年N君と神楽坂近辺を昼の休憩時間にいろいろ話しながら散歩した。東京理科大学の近辺の坂だらけの細い道を歩いた。
街の至る所に、町のいわれ・エピソードを書いた案内板が立っている。見ながら歩くだけで面白い。ウィンドショッピングをした。街のにぎわいを楽しい。
たとえば、「堀兼の井戸」という案内板があった。それは、井戸をを深くどんどん掘っても、水が出てこなくて、大変苦労したというエピソードの紹介があった。堀兼ねる井戸という意味だという。祠がそばにあった。
神楽坂を歩いている途中で、N君が若い女性らと話をしているので、私は、「どこの国からですか」と聞いたら、台湾からの留学生だった。僕は、「台湾大好き」と話した。
この辺は、江戸城の外堀であったということで、「飯田濠」があった。飯田橋はここからきている。今は、池のような、堀というか、水辺があり、近くをJRが走っていた。26階建ての法政大学がそびえたっていた。
マンションと、オフィスビルの高層ビルも建っていた。昔の江戸城の石垣が部分的にあった。これは、昔の名残を少しだけでも残してほしいという都民の希望で残されたと案内版に出ていた。
東京のお伊勢さんだという、東京大神宮というところもあった。
終わり