2016年09月30日

中日文化センター・アメリカ詩を読む

中日文化センター
アメリカ詩を読む
講師:岩崎宗治先生 名古屋大学名誉教授 文学博士
テキスト:岩波文庫 アメリカ名詩選 亀井俊介・川本晧嗣編集

2016年9月29日(木)の講義 覚え書き


講義の前の話



中日ビルの建て替えが中日新聞に出た。2年後のようだ。
先生は、この講義を続けようかどうか、迷っていると言われ、やめてしまうと、自分が老け込んでしまうので続けたいというお気持ちのようだ。
私たちも同じだ。
誰かが、この講義がなくなったら、「デイサービスしか行くところがない。」と言って大笑いになった。
岩崎先生から、来年の講義の内容を決めたいので皆の希望を聞きたいとのこと。
今迄どんな内容でやってきたのか教えてもらいたいと言ったら、エリオットの「荒れ地」(岩崎先生訳・岩波文庫)、「四重奏」、シェイクスピアの作品など・・・
先生が岩波文庫から出している本を使った。
皆が希望を述べた。アメリカの小説を取り上げてほしい。
シェイクスピアの「リア王」など、私は、イギリスのロマン派のワーズワース、シェリー、キーツを希望した。
或いは、先生が出版したイギリスの詩集はどうかと訊ねた。もう絶版になっているとのこと。
この講義は、もう10年以上続いているようだ。すごい!

今度の講義の時に、希望を書いて出してもらうとのこと。


    
「アメリカ名詩選」                                                

       [43]Pastoral William Carlos Williams

          牧歌 ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ


裏通りに住む家、汚い通り、散らかっている物を見るのが好きだ。貧乏人の裏通りが好きだ。
これがpastoral.


一方、羊飼いの生活。楽園として歌う。あしぶえ、田園生活を楽しむ、緑の生活をするのが幸せ。
笛を吹いている。笛吹き、歌を歌って勝つと羊をよこせと言う場面など、のようなことがあっただろう。

先生からハンドアウト、ウェルギリウス 「牧歌・農耕詩」河津千代訳 未来社 1994を頂いていた。


京都大学出版会の同じ本の訳本についての解説には、次のように出ている。一言で言って何も面白くない。
「『農耕詩』は、ヘシオドスの『仕事と日』につながる作品として読むことができる。
畑作や葡萄の栽培、家畜の世話から養蜂まで、農村で必要な知識を網羅した詩作品となっている。
当時の世界観・宇宙観や自然学の未発達なさまなどを読み取ることができて興味深い反面、ほとんどの部分が実践を前提にした記述なので、後世でいうところの田園小説には程遠く、『アエネーイス』のような物語詩を期待すると大いに失望するに違いない。」


岩崎先生によれば、ウェルギリスは、ヨーロッパ文学の牧歌の伝統の祖先であるという。
Theocritus(Gk),Virgil(Rm),Spenser Shepherdes Calender,フェアリークイーン(女王に詩を捧げ褒美をもらう)、Sydney Arcadia(宮廷人が出てきて森に行き、恋愛する),Pastoral Romance,Shakespeare Play, Milton Lycidas Pastoral Elegy (友達が心で悲しむ)などを列挙した。

宮廷と田園は対立概念だという。

ヨーロッパ文学の中に、イギリス文学の中に、Pastoralの伝統があると指摘する。

ウィリアムの詩のタイトルの、Pastoralは意味がある。
タイトルと詩の内容のギャップがあることに意味があるという。



「アメリカ名詩選」の解説の言葉は次のように出ている。
「貧しい裏町を描く詩につけられたこの題名は、昔の牧歌的な生活との対照を際立たせる・・・「国家の一大事」とは無縁な貧者たちとその生活への深い共感が込められている。」

ウィリアムズは町医者として庶民の生活、それも誰も描かない風景を詩に描く。
岩崎先生は、ちぐはぐさの中に求めてくる、表題のPastoralが大切という。
詩の内容を決めるコンテクスト。

これはアメリカ詩だが、先生が、イギリスのBBに泊まった時の、屋外便所outhousesの話をした。

こういう意味で読むと分かるような気がする。



(44) The revelation William Carlos Williams
啓示  ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ



この詩の資料として、ハンドアウト APOCALYPSEの絵
(メトロポリタン美術館所蔵)。
Revelationは、新約の黙示録の意味。お告げ、啓示の意味も。


詩の内容は、trivial、ささいなもの、ありふれた、平凡なことである。

題が大げさである。題と詩の内容の落差。詩を作り後でタイトルをつけただろう、と。コントラストで成り立っている。少女のまなざし。激しいコントラストで成り立っている。

キリスト教の黙示録。
デジタル大辞泉によれば次の通り。
「黙示録は、新約聖書の最後の一書。ローマの迫害下にある小アジアの諸教会のキリスト教徒に激励と警告を与えるために書かれた文書。この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、予言的内容が象徴的に描かれている。ヨハネ黙示録。アポカリプス。」

解説は、「感傷的な決まり文句は一切使わず、ごく自然な口語で恋の自覚を語る現代の恋愛詩。」さらに、「いわば、夢のお告げである。」と。


(47)The Red Wheelbarrow William Car Williams
赤い手押し車   ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ



有名な詩。大文字無し。詩の音楽性無視。色彩に強い関心。
赤と白の対照。
具体的、視覚的。俳句に似ている。

解説には、「小文字で始まる1センテンスの作品。

具体的なものにこだわり、「感動は小さなものにまとわりつくというウィリアムズの信条が端的に表れている。。」

参加者から、イマジズムの作品の指摘。
デジタル大辞泉によれば、イマジズムは次の通り。
「1910年代英米で推進された詩作上の運動。エズラパウンドが首唱し、明確なイメージによって対象を直接的、具体的に描出しようとした。」

パウンドの自由詩の傾向もみられる。
伝統的な詩の韻律・形式にとらわれず、自由な内容や形式でつくる詩。

(48)Nantucket William Carlos Williams
ナンタケット  ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ



題名のナンタケットは、ニューイングランドの捕鯨基地として有名な小島の名。
詩の内容は、trivialなもの。上品な。野蛮な捕鯨基地のものでなく。
鍵―人が住んでいる。
「純白な」 −クリスチャンにとって、immaculate conception 無原罪の御宿―聖母マリアー文字に現れない背後の意味をこめる、と。


(49)This Is Just to Say William Carlos Willaimas

ちょっと一言   ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ



解説に、「何でもない日常生活の一コマとその情感が少しの誇張もなく、自然なリズムで見事に再現されている。」


題と詩のつながりがある。メモのような内容の詩。
これが詩か?実験的な詩。
前衛的。
E.E.Cummings(1894-1962)米国の詩人。小文字のみの使用、句読点の省略、後の唐突な並置など、実験的な作風で知られる。

国家のことを題材とするのでなく、小さなことを題材とする。
現代アメリカ詩に入った。


次の講義は、イマジズム。


終わり




posted by 花井英男 at 20:46| 文学・芸術

2016年09月26日

演劇鑑賞・前進座・たいこどんどん

演劇鑑賞

前進座創立85周年記念
名古屋特別公演

たいこどんどん

井上ひさし 作

高瀬誠一郎 演出

いずみたく 音楽

2016年9月25日(日) 1:30〜
中日劇場



演劇鑑賞は、最近していない。40・50代の頃は、名演(名古屋演劇鑑賞会)に入会して、毎月観ていた。

一言で言って、風刺とユーモアのある、笑いのあるすばらしい芝居であった。
観終わって清々しい感じだ。
名作だ。


作家としての特徴として次のように言われている。その通りだと思う。

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」を創作のモットーとしており、文体は軽妙であり言語感覚に鋭い。




一番安いC席のチケットを買った。面白いことに、2階席の一番後ろだった。それでもよく見えた。
家内からは、「友達は皆、A席にいるのに!」と。
見る内容は、A席もC席も同じ内容だ。
家内が、「吉里吉里人」を読んでみたいと。




井上ひさしについて、調べた。
以下、引用する。



「命日の4月9日は没後5年にあたる2015年より、代表作「吉里吉里人」にちなんで吉里吉里忌と名付けられている(文学忌)。」


「上智大学フランス語学科在学中から、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書き始める。」
大学在学中、「劇場で台本を書いている」と世話になっている神父に話した。『どういう名前の劇場だね?」と聞かれ、「フランス座です」と答えたというエピソードがあるという。

「たいこどんどん」の場面で、それに近いエッチな場面が出てきた。
「たいこどんどん」の主人公の一人、「吉原のたいこもち・桃八」は、
ひさしの体験と無縁ではないだろう。


「言葉に関する知識が、「国語学者も顔負け」と称されるほど深い。」


「戯曲の完成度の高さは現代日本においては第一級のものであり
別役実、三谷幸喜、蜷川幸雄、野田秀樹など、当代を代表する劇作家たちからの最大級の賛辞が追悼コメントとして並んだ。」


 家庭生活、とくにドメスティック・バイオレンス(DV)などをめぐって、3人の娘、前妻(前妻との間で多かったという)、後妻(後妻との生活では全くなかった)などから、色々述べられている。


井上ひさしは、実父、修吉は実家が薬屋だったため、井上ひさしは、薬剤師を目指したという。
薬種問屋は随分流行っていたのだろう。

「たいこどんどん」の主人公に一人
薬種問屋の跡とり息子、鰯屋(いわしや)の若旦那、清之助は、ひさしの生まれと関係があると思う。




前進座のものがたりの紹介によれば、次の通り。


「幕末のこと――。江戸日本橋の大店の若旦那・清之助と吉原のたいこもち・桃八は、品川女郎の袖ヶ浦をめぐって薩摩侍と大騒動。海へ逃げたものの嵐にあって漂流し、みちのく釜石から東北北陸を転々と流されてゆく。
 悪女にだまされ殺しの罪をきせられたり、目明しの罠にはまって地底の鉱山で働かされたり、山賊につかまったり……。
 奇想天外、波瀾万丈、笑いと涙にあふれたみちのく珍道中。はたして二人は江戸に帰りつけるのか……」



芝居の場面が、品川から、東北(釜石、遠野、盛岡、古川、天童、新潟と、「みちのく」流れ旅)が出てくるのは、ひさしの生まれが山形であることと無縁ではない。


芝居の最後の場面、9年ぶりに、「ぬうがた」(新潟)から、なつかしい品川にたどり着き、故郷の江戸日本橋の薬種問屋、鰯屋(いわしや)へ帰り、これからの生活は、御の字だと思い、探すが、もう親は死に、妹も死に、薬種問屋もつぶれ、誰もいない。屋敷はなく、更地である。

時は、ご一新(明治維新)で、何もかも変わっている。


私は、「たいこもち」の生き方に風刺を見る。
「デジタル大辞泉」によれば、定義は、
@ 宴席に出て客の遊びに興を添えることを職業とする男性。
A 人にへつらって気に入られようとする者。太鼓たたき。「あいつは社長の太鼓持ちだ」

私たちは、職場で、太鼓持ちの生き方を強いられる。
この悲しさ。辛さ。へつらいを強要する上司・同僚への怒り。


もう一つ、大店の若旦那・清之助の生き方。
親方日の丸的思考。


デジタル大辞泉の「親方日の丸」の定義を参考にする。
「官庁や公営企業は、経営に破綻をきたしても、倒産の心配がないので、厳しさに欠け、経営が安易になりやすいし点を皮肉って言う語」

まさにこの通りの生き方の主人公。こういう考え方も結構多い。

9年にわたる珍道中を経て、故郷に戻る。
最後に無一文になって、ご一新の東京・なつかしい江戸に帰り、無一文の身に気づく。
無一文の身に気づき、主人公たちの言葉、「何もなかったんだ。初めから」
9年にわたる苦難の生活・珍道中、一難去って、また一難、2人三脚、四面楚歌、五里六(霧)中、七転八起。

井上ひさしが、これは、「ちょんまげミュージカル」だと言った。昔の江戸時代の姿をした人物たちのミュージカルだ。舞台がきれいだ。
庶民のしたたかに生きる姿!!!

幼少時、青少年時代の恵まれなかった、苦労の人生の井上ひさしの生きざまかもしれない。


井上ひさしのもう一つの特徴。


「日本共産党委員長・不破哲三との対談集『新日本共産党宣言』(光文社)を出版するなど共産党寄りの文化人として知られていた。また2004年6月、「九条の会(きゅうじょうのかい)」の9人の「呼びかけ人」の1人となり各地で「(日本の平和を守るために)日本国憲法第9条を変えるな」と訴えるなど政治的な活動も古くから行っていた。」

井上ひさしの生き方に共鳴する!!!

posted by 花井英男 at 11:42| 文学・芸術

2016年09月16日

ノリタケアーティストクラブ 名古屋教室 作品展

ノリタケアーティストクラブ 名古屋教室

2016年第23回作品展
 
9.13(火)−19(月)

会場 ノリタケの森ギャラリー 第1展示室・第2展示室

9月15日(木)10時頃 訪問。


近所の知り合いの方から、作品展の案内を頂いて、家内と出かけた。
「ノリタケの森」は名古屋の名所の一つになっていて、観光ルートの一つ。
一度も行ったことがない。
地下鉄亀島駅から、探しながらたどりついた。


途中で、保育園の子らの甲高い声が後ろから聞こえる。
見ると大きなお散歩カーに、4,5人が乗っている。
3台のお散歩カーだ。振り向くと手を振ってくれる。


この調子で、ノリタケの森の中に一緒に入ってきた。
ノリタケの森は、都会の中のオアシスのような存在だ。
彼らはこれから、ノリタケの森の公園の中の散歩だ。
バイバイをして別れた。

レンガ造りの建物。
小さな入口から入り、エレベーターで2階へ。

第1展示室が、ポーセリン(ポースレン)磁器(porcelain)の作品会場。



小さな会場の中に、沢山の作品が展示されている。
これが趣味の作品かと思うほど、精巧なもの。
プロ級の腕前だなあと感心する。

瀬戸で作られる人形のポーセレンが輸出されているということは昔、聞いた。これを趣味で作るとは!

少女像の人形とか、かごの中に盛られた花束とか、少女像、花束の籠。よくもこんなに作れるなあ!種類もいろいろある!
部屋の飾りとしていいだろうなあ!
丹精込めて作っている!
すばらしい!

隣の第2会場は大きい、プロの作品の展示場。



写真のように精巧な絵。「これ写真ですか?」と聞いてしまった。
手描きの絵だという。
驚いた。
花びんも大きさはいろいろ、額入りの絵、コーヒー茶碗、染付、大きな皿、部屋の飾りなど。


この会場を出て、歩いて行く途中は公園。


ベンチがあり、レンガ造りの建物を通り、売り場へ行った。

水辺があり、ベンチが沢山おいてある。
休憩できる。
芝生の広場がある。

作品会場で、英文のパンフレットをもらった。
英語の勉強になるので面白い。
会場の係が、施設がいろいろあることを教えてくれた。

相当広い施設がいくつかあるようだ。公園にもなっている。
今日は作品と売り場の見学だけで帰ることにした。







posted by 花井英男 at 09:24| 文学・芸術