2016年06月25日

沖縄の米軍基地からしみ出す暴力とは

「沖縄の米軍基地からしみ出す暴力とは」
2016年6月25日(土)17:30〜・CBCTV報道特集


戦後、長い間、アメリカ兵による日本人女性殺害、暴行事件、飲酒運転等犯罪が繰り返されている。この問題を取り上げた特集。

先日女性殺害に抗議する県民集会が開かれた。沖縄の人たちは、多数の人が集まった。こんな悲劇を繰り返さないために。この集会には、自民党、公明党は参加しなかった。県民そうぐるみで基地撤去を取組んでいるのに、自民党と公明党は背を向けている。

小さな子も、若い人も老人も、母親も、父親も集まった。
誰も他人ごとではないという意識で。


「第2の加害者は、本土の人たちだ。」と女性が訴えた。
私たち本土の者が、もっと真剣に考えなければいけない。
他人事として考えていないか?



沖縄の人は、なぜ普通に生きることが出来ないのか。平穏な生活がなぜできないのか。被害者の父は、「なぜ娘だったのか?」と問う。span>

特集に出演した、元アメリカ兵(大佐)の女性は、犯罪が繰り返される背景について次のように述べる。


;">「実は、アメリカ兵の家庭では、家庭内暴力は日常的に起きているのが実態だ。」

「アメリカ兵の中で、女性兵士への性的暴力は3人に1人が受けているという実態がある。」

「人殺しの訓練を受けているので、誰かを殺さなければという気持ちで生きているのだ」と。

「アメリカ兵の道徳意識は低い。荒んだ気持ちしか持っていない。」ということだ。

これでどうして、国民の命と財産を守れるというのだ!!

「沖縄でのアメリカ兵の犯罪は、基地から、そういう犯罪が染み出ているのだ」と元アメリカ兵(大佐)の女性は証言する



  アメリカ兵に対する日本についての資料の中には、日本人を馬鹿にした表現がある。アメリカ兵は、「ガイジンパワー」があり、日本人女性を引き付けるという力がある。ガイジンパワーを賞賛する、日本人に対して、優越感を持つ表現をしているという。


「日米地位協定の改定」という言葉を聞くが、私には、具体的にはどういうことか分からなかった。

基地問題に詳しいジャーナリストが、「イタリアにある、米軍基地の管理は、イタリアがしている。米軍基地の門には、イタリア警察官が立つ」と報告する。


沖縄では、基地の門には、アメリカ兵が立っている。基地管理は、アメリカが担当している。日本人には関与させない。

所が、イタリアでは、米軍基地は、イタリアが管理している。この違いである。

沖縄大学に構内にヘリコプターが墜落した時、米軍が来て、一切、日本の警察には調査させなかった。一切日本側が関与することを許さなかった。

「犯罪を犯しても裁判権は日本側にない。」
治外法権だ。

この違いである。

地位協定改善とはこのことだ。



「日本は、アメリカに従属している」とはこのことだ!

対等平等の関係がない。
「海兵隊撤去」を沖縄の人たちは要求している。

沖縄の基地は、アメリカの東アジアでの戦略上の手段なのだ。


日本の土地を、アメリカの自由に使われてはいけない!

基地撤去こそ解決への道だ。

参議院選挙で態度で示そう!

posted by 花井英男 at 19:39| 戦争・平和

2016年06月24日

アメリカ詩を読む 講義の覚書

中日文化センター
アメリカ詩を読む
講師 岩崎宗治 名古屋大学名誉教授 文学博士
テキスト 岩波文庫 アメリカ名詩選
2016年6月23日(木) 1:30-3:00


講義の覚書



教室に着いたら、岩崎先生の、出版したばかりの訳詩集、
「コンスタブル ソネット集ダイアナ」岩崎宗治訳 国文社]

の販売について、文化センターの職員からの紹介があり、購入。
2千円。150頁。

岩崎先生出版おめでとうございます!


岩崎先生はこんなに高齢になっても出版するとは、
頑張っているなあ!と感心。
おれも、張らなくちゃ!

コンスタブルは、シェイクスピアと同時代の詩人。

英国ルネサンス・ソネットの詩人の研究は、先生の一応の研究の完結を見たと記述。

次回、取り上げる、コンスタブルの詩のプリント配布。
SONNET. \のオリジナル(当時の活字版)が左側に、現代版活字が右側にある、テキスト2枚を配布。
当時の活字版の文字について、近代Sとlong Sの指摘。


岩崎先生の説明。
コンスタブル(1562-1613)は、カトリック改宗が詩に響いている.改宗は、伏せていた。これは当時、命がけのことであった。


訳詩集の7頁に、1591年にソネット集「ダイアナ」が最初に出版され、1592年に大陸に亡命していた。1604年には、ロンドン塔に幽閉されたという、記述がある。

先生は、「全体は読みやすい」と紹介。
この詩集はフィリップ・シドニーの作品も入れていて、めずらしいという。

訳詩について、上智大のミルワードに1つ、質問したら、「コンスタブルの訳詩は、almost impossibleと言われた。
先生は、詩が好きだ。

「次回7月に、この詩を時間の半分使いたい。」とのこと。




[22] ‘After great pain, a formal feeling comes’
Emily Dickinson

激しい苦痛のあと、形式だけの感情が生じる
エミリ・ディキンソン



 ここで、先生は、巽聖歌(たつみせいか)が、新美南吉の詩集(南雲堂版)の編集の時に、「作品に手を入れた」というエピソードを紹介し、けしからん行為だ、と言われた。

同じように、ディキンソンの詩の書き方について、あいまいさ、独特の表現など(ダッシュ・―が多い、大文字使用、不必要な所で、コンマの使用、文章表現あいまいなど)について、受け入れるという姿勢。

この作品について、
人生の中で味わう、挫折、苦痛、絶望の体験を扱う。作者の恋愛の挫折を想定してもよいと亀井は述べる。


The Feet, mechanical, go round―
Of Ground, or Air, or Ought―
A Wooden way

Regardless grown,
A Quartz contentment, like a stone―


This is the Hour of Lead―
Remembered, if outlived,
As freezing persons, recollect the Snow―
First―Chill―then Stupor―then letting go―

足が、機械的に、歩きまわる―
地上の、空中の、それとも何かの―
木の道を
無関心になって、
石英の満足、石さながらに―

いまは鉛の時間―
もし生きのびたなら、記憶に残るだろう、
凍ってゆく人が雪を思い出すように―
最初に―冷気―それから麻痺―そしていっさいの放棄。


先生は、the Hour of Leadに触れて、Lead・鉛は、西洋では、棺桶を打ち付けるために、鉛を使う。棺桶のイメージを指摘。木の道については、尾瀬の木の道でよいと解説。


[23] ‘Because I could not stop for Death’
Emily Dickinson

わたしは「死」のために止まれなかったので
エミリ・ディキンソン



この詩は、ディキンソンの代表的傑作、と亀井は註に記述。
更に、「『死』を徹底的に凝視するのは、ピューリタニズムの伝統でもあり、また、ディキンソンの特質でもあるが、ここでは肉体の崩壊と永遠の生への進行との関係がほのかなユーモアをたたえながら、バランスをもって構築されている。」と解説。

The Carriage held but just Ourselves―
And immortality.

馬車に乗っているのはわたしたちー
それと「永遠の生」だけだった。


馬車がわたしの棺を運んでいる情景。

次に、死のイメージを次のように広げる。


We slowly drove―He knew no haste
And I had put away
My labor and my leisure too,
For His Civility ―

わたしたちはゆっくり駆けた―彼は急ぐことを知らないし
わたしはもう放棄していた
この世の仕事も暇も、
彼の親切にこたえるために―



第3連で、次のように、馬車は、若年期(こども)、円熟期(穀物)、老年期(入日)という人生の3段階を経て行く光景のイメージ。


We passed the school, where Children strove
At recess―in the Ring―
We passed the Fields of Gazing Grain―
We passed the Setting Sun ―

わたしたちは学校を過ぎた、子どもたちが
休み時間で遊んでいた―輪になって―
畠を過ぎた、穀物を見つめていた―
沈んでいく太陽を過ぎた―



墓の前で馬車が止まり、墓の場面のイメージ、墓の中の時間の超越のイメージが鮮明。


We paused before a House that seemed
A Swelling of the Ground―
The Roof was scarcely visible―
The Cornice ―in the Ground―


Since then―’tis Centuries―and yet
Feels shorter than the Day
I first surmised the Horses’ Heads
For toward Eternity―

わたしたちは止まった
地面が盛り上がったような家の前にー
屋根はほとんど見えないー
なげしは―土の中―

それから―何世紀もたつ―でもしかし
あの日よりも短く感じる
馬は「永遠」に向かっているのだと
わたしが最初に信じたあの一日よりも―


[24] Anne Rutledge Edgar Lee Masters
アン・ラトレッジ  エドガー・リー・マスターズ



 岩崎先生から、エドガー・リー・マスターズの翻訳詩集、「スプーン・リヴァー詩集」
の写真のハンドアウトの紹介。

「スプーン・リヴァー詩集」
Edgar Lee Masters, Spoon River Anthology

エドガー・リー・マスターズ
野中涼監訳
国文社 2001」


これは、早稲田の女子学生(9名)による翻訳詩集。
野中氏(英文学・比較文学)は早稲田大を最近退職。

早速、図書館でこの本を借りた。
「スプーン・リバー詩集」は、解説によると、アメリカ中西部の架空の田舎町スプーン・リバーの墓地に眠る人々が生前の夢や失望、愛や憎しみを自由詩の形で語るもの。詩集としては、めずらしくベストセラーになった。
 詩集を作るきっかけとなったのは、マスターズの母親エンマがシカゴをに彼を訪ねてきた時、彼が忘れていた少年時代の出来事を、彼女が聞いたりしたことを、母親を帰りの汽車に乗せるまで夢中で話し合った。

マスターズはここから着想を思いついた。一地方の些細な事象を扱いながら、「小宇宙を描くことで全宇宙を表現する」ことが期待できる。熱に浮かされたように、約10か月、墓碑銘形式の告白詩をひたすら書き続けた。

ここに描き出された世界は、開拓時代が過去のものになりつつあるアメリカ、自由と努力と幸福の希望に満ちた時代の庶民の悲劇的な、また喜劇的な世界である。

 岩崎先生は、死者の独白、という解説だったと思う。



  先生は、"quotation" 「引用」、
      "Allusion" 「引喩」  について述べた。

スペンサーの詩の引用の例。
エリオットの「荒地」の1行目、
「四月は最も残酷な月、・・・」

チョーサーを知っている人は、すぐにチョーサーを思い出す。
チョーサーを思い出す。チョーサーとのずれが出る。詩が難しくなる。
Allusion alluded text 知らないと薄っぺらくなる、と説明。

このマスターズの詩の最後の行のdust は、allusion 創世記 Genesis 3.19 典型的な例。

エドガー・リー・マスターズの詩の私の感想。
分かりやすい!若い日のリンカーンの成就しなかった、亡くなった恋人への賛美を歌っている。


  
 次回の講義の予告。


 コンスタブルの詩、マスターズ、ロビンソン、フロスト、サンドバーグの写真のハンドアウトの紹介。
最後に、オバマ大統領の訪日の時のエピソードを紹介。オバマ大統領の歓迎晩さん会に英文学者、川本皓嗣氏が招かれた。その時。オバマ大統領は、「フロストの詩はいい」と作品の名前を述べた。

講義の後、私は、詩の内容の説明の時に、岩崎先生が使われる、horizontal とverticalの定義、内容にについて、質問をして、答えて頂いた。

 horizontalは、世俗的なこと、社会主義、民主主義など、ホイットマンの詩にでてくることなど。  verticalは、神、死などのこと。















posted by 花井英男 at 11:15| 文学・芸術

2016年06月20日

EMDR学会参加

日本EMDR学会第11回学術大会

2016年6月10日(金) 学術大会 一般演題、シンポジューム

記念講演「AIP理論による複雑性PTSDと解離の理解」
講師Jim Knipe PhD
通訳:大沢智子、菊池安希子

6月11日(土)〜12日(日)  ワークショップ
「EMDRの道具箱:複雑性PTSD,解離への理論と治療」
講師Jim Knipe PhD
通訳:大沢智子、菊池安希子

場所:神戸市元町 ラッセホール


6月10日(金)の学術大会は、



@ 藤田査織さんの「EMDRをSomatic Experienceで補完することの有用性についてー再処理しきれない身体記憶へのアプローチー」
A 天野玉記さんの自閉スペクトラム症のトラウマ症状の特徴とEMDRの留意点」
B 大河原美以上さんの「何をターゲットとするのか(1)愛着システムへの介入」
に参加した。

@ については、「EMDRでそもそも身体記憶が処理できないのか」という司会者から指摘が出ていた。その通りである。未来の刺激の段階でできなかったのかどうか?を質問したかった。
A 天野さんの発表は、「自閉スペクトラム症」という独自の用語を使用しての、京都大学大学院での研究者グループの研究による発表であった。視覚、聴覚における感覚が、特徴的であるという指摘がなされた。
B 大河原さんの実践研究発表は、幼児のトラウマに関するものだ。母親をも対象とする。

シンポジューム「臨床アセスメントーどう見たてどうプランニングするか」
      シンポジスト  大塚美菜子 (兵庫教育大学大学院)
              大河原美以 (東京学芸大学)
              天野玉記  (京都大学大学院)
              仁木啓介  (ニキハーティホスピタル)
        司会   福井義一  (甲南大学)

今年、参加者が多かったという報告があった。こんなに参加者いる学会はあまりないということだった。 
毎度感心することだが、同時通訳をする、大沢智子さん(兵庫県こころのケアセンター)、菊池安希子(国立精神・神経医療センター)に感嘆する。

このお二人がいなかったら、日本のEMDRはなかっただろうと思う。
感謝の気持ちを表したいと思います。


Jim Knipeの講演に先立ち、著書、EMDR ToolBox : Theory and Treatment of Complex PTSD and Dissociationを購入して読んできている人がいた。


愛知から参加した、Oさん、Nさん、Kさんと挨拶を交わした。
東京、千葉から参加した、Mさん、Hさん、Fさん達と挨拶を交わした。


Fさんは、USPTの実践がうまく行ったことを報告に来てくれた。それを聞いていた、山口からきたCPが詳しく教えてほしいと言われ説明した。
さらに、それを聞いていたドクターから、先日のUSPT研究会行けばよかったと後悔していた。今度は行くと言っていた。USPTが広がり始めた。


学会から帰ったら、東京のMさんから、USPT研究会作り、集まりましょう。メールでも情報交換しようと5〜6人に呼びかけが来ていた。勿論、賛同した。
名古屋在住の私だけは、東京中心のメンバーの研究会には簡単にいけないが、メール参加することになるだろう。


今回の学会は3泊4日であったが何とか元気に乗り切った。新大阪のYHに宿を取った。新大阪から神戸元町まで30分、JRで通った。

学会参加で皆苦労しているようだ。カプセルホテルに泊まった人もいる。
10月に徳島である、認知行動療法学会の宿をとる工夫を今からやっている。徳島のYHは山の上にあり、交通が不便だから使えないだろう。飛行機も、愛知から徳島便がない。





posted by 花井英男 at 15:00| 研修