2020年09月22日

国谷裕子さんの発言 「SDGsが有用」

国谷裕子さん(キャスター)の発言、「SDGsが有用」
素晴らしい発言です!

中日新聞、2020年9月22日

国谷さんは、大切なことを発言している。

久しぶりに国谷裕子さんが、中日新聞に登場した。SDGsとは、「
持続可能な開発目標(じぞくかのうなかいはつもくひょう、英語: Sustainable Development Goals: SDGs〈エスディージーズ〉)は、国連の持続可能な開発のための国際目標であり、17のグローバル目標と169のターゲット(達成基準)から成る。」

NHKクローズアップ現代のキャスターとして長らく活躍した、国谷裕子さん。「私たちは岐路に立っている」と語る。「これまで通りの経済成長を追い求めるのか、サステイナブル(持続可能」な社会を目指すのか)。

 今後の指標として、国谷さんが取材した、啓発に取り組む「持続可能な開発目標「SDGs」が有用だと説く。

 それにしても、SDGsとは何か?私は恥ずかしながら、知らない。
 持続可能な開発目標(SDGs)とは、

2015年9月の国連サミットで全会一致で採択。「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のため、2030年を年限とする17の国際目標。」(その下に、169のターゲット、232の指標が決められている。)

SDGsの内容は、ネットで検索すれば、詳細が出ている。

 国谷さんによれば、世界経済フォーラムが2015年に出した、「ぐろーばるリスク報告書」で、感染症の迅速かつ広範囲なまん延が、警告されていた、と述べる。

 さらに、各国の基本的な備えの甘さがパンデミック(世界的な大流行)対策に重大な障害となることや、大流行が発生した場合、事態に対応する資源が不足する可能性などが指摘され、19年の報告書にも載っていたと、指摘する。

 にもかかわらず、国際社会は重大なリスクに対して、認識を共有せず、対策を取ってこなかったと、指摘する。効率性を最優先にし、無駄と思えるものは省き、短期的な成果や利益を追求した結果だったと思うと、指摘している。

 いましばらく、国谷さんの発言を引用して、紹介します。

「私たちは今、岐路に立っている。国際協調のない自国優先主義か、スェーデンの環境活動家グレタ・トウンベリさんら活動家らの若い世代が訴える世界規模のサステナブルな社会の実現か。

 どちらの方向に進みたいのか。その答えは明らかだ。」

「新型コロナから何を学んで、何を目指したいのか。SDGsは社会をデザインし直すための新たな物差しだ。新型コロナは、自国で感染者が減っても世界中で抑え込まなければ、脅威はなくならない。

 世界でともに「貧困をなくす」「飢餓をなくす」などの目標に取り組むSDGsの方向性と同じだといえる」と、発言している。

「SDGsを取材して分かったのは、すべての社会的、経済的課題が、底辺でつながっているということ。遠く離れ、自分とは無関係だと思われるような問題でも、回りまわって日本や自分の生活に影響を及ぼす。

 そういい発想で今起きていることを見つめなければ、本当の解決策にはたどりつけないということに気づかせてくれた」と、発言している。

「SDGsが掲げる17の目標の中で、日本は特にダイバーシティー(多様性)への取り組みが遅れている。」

「これからは効率性を重んじて一直線に成長を求める経済では立ち行かない。考え方がもっと柔軟にならないと新しいものを生み出せなくなる。」

「SDGsの良い点は、絶えず進捗を図っていくところ。目標到達が遅れている場合、なぜできないのか、何をしなければいけないのかを検証していく。」

 SDGsについては、政権を担当している権力者は、特に責任が大きいと、指摘している。

「メディアもきちんとフォローアップしていく役割を課せられているのではないだろうか」と指摘している。


 ほとんど全文、引用ばかりです。お許しください。

国谷裕子さんの良識ある発言に感謝します。




posted by 花井英男 at 19:16| 日記

2020年09月13日

小さな旅ー大分県日田市ー

小さな旅  NHK
2020年9月13日

「滔々(とうとう)たる水郷(すいきょう)〜大分県 日田市〜」


番組紹介の記事。

「大分県日田市は、山々から幾筋もの川が注ぐ水の恵み豊かな町。古くから伏流水を生かし、みそ作りや鵜飼い、陶器が受け継がれてきました。伝統を大切に生きる人々の物語。」

この番組では、大分県日田市の、味噌の老舗の紹介、数百年続く伝統の鵜飼、これも古い伝統のある小鹿田焼(おんたやき)の窯元を紹介した。

 番組では、百年以上続く古い老舗の味噌づくりの店を紹介していた。味噌を作る過程を詳しく映像を紹介した。こんな味噌を飲んでみたいと思った。

 驚いたのは、鵜飼があることだった。数百年続く、伝統のある、鵜飼だと紹介していた。豊臣秀吉の部下が取り入れたものだと紹介していた。

 この鵜飼を受け継いでいる、鵜匠は現在59歳になるが、父が、がんで58歳で亡くなった。この鵜匠は、20歳のころ、親に反抗して荒れていた。
 親類の叔父から、「鵜飼を継ぐ気がなければ、他の人に受け継いでもらうがどうだ」、と聞かれた。「他の人に」という言葉にカチンときて、「オレが受け継ぐ」と言った。

ところが、やり始めて見ると、鵜がいうことを来てくれない。難しかった。親父が入院していた病院から出てきて、8か月間、手取り足取り教えてくれた。そして8か月後に亡くなった。鵜は一度叱るとなかなか信用してくれないという性質を持つ。

現在、日田市に来るお客さんたちは、船から鵜飼を楽しんでいる。この鵜匠が、お客の乗った船に鵜と一緒に近づいて、観光客に鵜の首をなぜてもらっていた。

 もう一つ、小鹿田焼(おんたやき)の窯元を紹介していた。陶土を作る古い水車の映像を映していた。古い、古い水車だった。陶土を水車で作るのだという。焼き物を作るまでの相当な過程があることを知った。若い40代の男性と父親が小鹿田焼を作る過程の映像を紹介した。私は、この焼き物の里を訪ねた時、買った、皿を今も使ている。

 父親のそばで、10代のかわいい息子が何かして遊んでいた。「僕も父の仕事を継ぐ」という発言をしていた。お父さんの穏やかな顔、子どもの尊敬の気持ちが感じられた。おじいちゃんと、子どもと父親が縁台に座ってスイカを食べていた。

 40代のころ、私は焼き物の関心を持った。同じ興味を持つ、職場の同僚の博多の実家に泊まり、福岡県から、車で大分県の小鹿田焼の窯元まで行った。奥深い山里だった。ここの、窯元を2,3軒回って、食器や皿を買って、送ってもらった。夢中で山の中の道を走った。帰りは友人と別れて、耶馬渓 を通って、レンタカーの一人旅だった。その時のコ−スは覚えていないが、多分、大分まで出て、JRで帰った。新幹線で帰ったことは覚えている。






posted by 花井英男 at 11:53| 旅行

2020年09月08日

三宅晶子さんの受刑者への就職支援

NHK 逆転人生  2020年9月7日 

午後10:00-午後10:45 

「少年院・刑務所から再出発 “一発アウト”の社会に挑む」


三宅晶子さんは、受刑者の就職支援という大変な仕事をしている.


三宅晶子さんの活躍の番組を見た。
宇梶 剛士さんとゆきぽよさんなど芸能人が出演していた。

三宅さんも非行から立ち直った
中学時代は荒れており、高校に進学したが、1年で退学した。中退後、地元のお好みやで働いた。大学進学を志し、早稲田大学に進学した。卒業後は、留学経験もし、商社に入り、10年勤務した。

 退職後は、人材を育成したいと、受刑者支援の団体でボランティアを行い、その時の経験から、受刑者向けの求人雑誌、「Chance」を発行した。

 ここまでに至る過程は、順調ではなかった。支援をした受刑者が、また刑務所に入ってしまった。その受刑者に刑務所に会いに行って、怒鳴り上げてしまった。やってはいけないことをしてしまった。日本では受刑者のうち3人にひとりが、5年以内にまた刑務所へ逆戻りしてしまう。

 社会へ出ても、住む場所もなければ、働く場所もない、助けてくれる人もない、親類縁者からも見放されてしまう。いっそ犯罪を犯して、刑務所にいたほうが楽だという考えになる。

 受刑者に対する一般の人の目は、厳しく、関わらない、排除する、責める、非難するなどの否定的な態度だ。三宅晶子さんもその間違いをしてしまった。自ら反省したという。

 三宅晶子さんの受刑者の就職支援の仕事は、順調に進んだのではなかったことも紹介された。行きつ戻りつのことあったようだ。

初めのころは、受刑者を雇うという会社はそう簡単に見つからなかった。根気強く、会社開拓をしたようだ。大変な仕事だ。現在では、相当な数の会社が掲載されるようになった。


 受刑者たちを受け入れる社会になっていないということを知った三宅さんは、2018年3月、それまで日本になかった受刑者専用求人情報誌『Chance!!』を創刊した。「絶対にやり直す」という覚悟のある人とそれを応援する企業のための求人誌。

はじめのころ、受刑者への就職紹介雑誌を刑務所に置いてもらうことを依頼したが断られた。 
その後、活動する中で、法務省に掛け合って、刑務所にに雑誌を置いてもらえるようになった。
受刑者は漢字が読めない人が多いことを知った。

「全てのぺージ、全ての漢字にルビが振られていること。これなら平仮名さえ読めれば内容が分かります。受刑者の受け入れを希望する企業が掲載されています。受刑者たちが、一番知りたがっているのは、その会社にはどんな人たちが働いているのか、そして自分はそこで受け入れてもらえるのだろうかということ。


ですから『Chance!!』には社長の顔写真と社長自身の熱いメッセージが掲載されています。受刑者支援に熱心な社長さんは、かつて自分も非行経験がある人が多いそうです。」


「掲載されている会社は「全社身元引受けOK」「全社寮完備」となっています。これはもちろん三宅さんがそういう企業にお願いしているためです。出所後の仕事と住むところが約束されているということは、やり直したいと考えている受刑者にとって非常に大きなことです。」


『Chance!!』は年4回の刊行で、三宅さんはこれを全国の刑務所、少年院、更生保護施設など、全国約240の施設に無料で送付しています。でも、この求人誌を積極的に利用する施設はまだ10ヵ所もないそうです。」

「三宅さんは、受刑者支援団体を通じて受刑者たちに直接届けるようにしました。これまでにのべ1500人の受刑者に届けたそうです。」

「社会への復帰を阻む厚い壁があり、人生をやり直すのは厳しいのが現実だ。罪を償った人がやり直せる優しい社会になってほしい!三宅さんの熱い思いが“人生の再チャレンジを許さない”日本社会を揺さぶっていく。」

三宅晶子さんの支援が益々大きくなっていくことを期待しております。

三宅さん!素晴らしい仕事ご苦労様です!






posted by 花井英男 at 14:24| 日記