2019年01月17日

横綱 稀勢の里 ありがとう!!!

稀勢の里  有難う!!!



大好きな横綱稀勢の里が引退した。どうしてだろう?と思った。
朝青龍戦で、左の腕の断裂が原因だった。

引退の記者会見のTV放送は見られなかった。
1月17日(木)昼ごろのTV放送はどこも、稀勢の里をとり上げていた。

場所前には、TV放送は、練習相撲で、ずいぶん勝てるようになった。もう復帰できるかなと思わせる内容に思えた。

今迄、本人も記者たちも傷のことを隠していたことが分かった。

各局のTVは稀勢の里の歴史を振り返っていた。

通算800勝496敗。

モンゴル力士ばかり活躍する中で、
日本人力士の活躍する期待感は大きい。

新聞の見出しは、「けがと闘い、在位12場所」。「土俵人生に一片の悔いなし」。
「モンゴル勢と真っ向勝負」。「成長させてもらった」。

中日新聞の社説では、「綱の重みをかみしめる」というタイトルで、「新横綱として逆転優勝を決めた2017年春場所の13日目に左胸腕や左大胸筋のけがを負い、長引く後遺症から復活を果たすことは出来なかった。」


「絶大な人気があり、唯一の日本出身横綱の土俵の姿が見られない。寂しく感じる人は多いだろう。」

しかし、今場所、貴景勝や御嶽海ら新たな魅力ある力士たちが躍進し活躍している。

年寄「荒磯」の名で、横綱の経験を生かし、後輩の育成に臨もうとしている姿に大いに期待を抱きます。

横綱』稀勢の里  ありがとう!!!


posted by 花井英男 at 21:12| スポーツ

2019年01月14日

プラハの春とチャスラフスカヤ

2019年1月13日(日)夜7時54分〜9時48分

現代史を歩く
日曜ゴールデンの池上ワールド
池上彰の現代史を歩く


〜Walking through Modern History〜
第13回 東京五輪の“名花”の激動人生
自由を求めた不屈の闘い プラハの春




チェコスロヴァキアの街は、まるで、建築の博物館をみるようなすばらしさがあると映像を写しながら、歴史的な建造物、橋などを紹介した。

番組はこのように始まった。


この番組を見て、改めて、プラハの春、それに続く、ソ連軍による弾圧、20年後のビロード革命の歴史の歩みを学んだ。



1968年1月5日  ドプチェクが、チェコスロバキア共産党第一書記に就任した。「人間の顔をした社会主義」を唱え、これまでの社会主義政権を改めようという健全な動きが出た。


この動きに対して、ソ連始め、ワルシャワ条約機構は警戒し、チェコスロバキアに対して、弾圧を開始した。
それに対して、

1968年6月27日  二千語宣言が、主要な新聞紙上に発表された。


「プラハの春」を支持する署名に参加した人の中には、東京オッリンピックで活躍した、チャスラフスカヤ、人間機関車・ザトペックもいた。

ソ連などは「反革命」の兆候であると受け取った。弾圧が始まった。

民衆は、武器を持たずに戦った。

チャスラフスカヤに対して、署名を撤回するように当局は働き続けた。しかしそれには応じなかった。
オリンピック直前にようやく出国が許可された。
メキシコオリンピックに、抗議の気持ちの黒(濃紺)のレオタード姿で出場したことは有名である。

1989年11月9日 ベルリンの壁が崩壊し、解放された。



その後11月16日までには、チェコスロバキア周辺のほとんどの共産党国家が、共産党一党独裁支配を放棄し始めた。

20年間の運動が実った。

1989年11月17日  チェコスロバキアで、ビロード革命(静かな革命)が成功した。

武器を使わない革命だった。
チェコスロバキア国民は、これら一連の動きを国内外のテレビ放送を通じてすべてリアルタイムで把握しており、反体制派の市民らは民主化デモの準備を進めた。

ビロード革命はこのようにして成功した。

チャスラフスカはハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任した。大統領府を辞した後には、チェコオリンピック委員会の総裁も務めている。
現在に至る。

チャスラフスカヤは、体操選手の資格を奪われ、身をひそめて生活したり、清掃婦として生活をした、というエピソードが紹介された。

チャスラフスカヤは、2011年には、東日本大震災には、日本を訪ずれ、見舞いに東北に来た。
101才の国際審判員を務めた、日本人女性を訪れた。

2016年74才、がんのため亡くなった。2020年の東京オリンピックには、行くからと言っていたことを紹介した。

何よりも、二千語宣言に署名し、民主化運動に参加し、筋を曲げなかったことを賞賛したいと思います。



posted by 花井英男 at 15:45| 戦争・平和

2019年01月07日

今上天皇・平成天皇のこと

今上天皇・平成天皇のこと


天皇陛下85才、最後の誕生日会見を始め、天皇の生い立ちや、在位中にのご活躍、成長過程など、TV放送がいくつかなされた。
天皇の人柄の素晴らしさにほれぼれした。

12月23日、天皇は、20分間にわたって、戦争と戦後日本の歩みを振り返りながら、「平成が戦争のない時代としておわろうとしていることに、安堵しています。」と述べた。平成天皇は、幼児から青年時代に至るまで、戦争の時代の中で生きてこられた。いかに平和が大事かを身を持って体験された。

皇室という特殊な環境の中で、3歳の時には、母親の下から切り離されて育てられた。大人ばかりの中で生活してきた。ご自分の異常な環境を意識され、世事に疎いので、それを支えてくれる伴侶を求めたという。

天皇の子ども時代のエピソードが紹介された。学校時代の友達同士の会話が紹介された。教師たちは、子ども達の中で育っていく状況を観察していたと述べた。


バイニング婦人(アメリカ人)とか、小泉信三侍従長(慶応大学教授)など素晴らしい環境に恵まれたと思われる。

20分間の話の中に、象徴天皇としての良識がいっぱい詰まっている素晴らしい内容であった。

平成天皇の生涯について、番組がTV放送された。その中で、昭和天皇の名代として、エリザベス女王戴冠式に訪英されたとき、太平洋戦争の時に、イギリス兵の捕虜に対する残酷な扱いを日本軍がしたために、イギリスでは、皇太子訪英の時に、デモなど反日感情がわき起こった。

その時に、チャーチル首相が、野党やマスコミ関係者、反対運動をする人たちを招待して、反日感情を収め、無事、皇太子が訪英できる環境を作った。皇太子は、チャーチル首相の行為に感謝する挨拶をされたというエピソードが紹介された。

日本が戦争に歩んだ道、皇后さまと重ねた慰霊の旅、被災地訪問の旅、障害者や日系人や外国人労働者への思いを語った。

沖縄の人々が耐え続けた犠牲にも心を寄せられた。
日本人として私たちが忘れてしまっている沖縄のことをいつも心を寄せていた。



皇后陛下に対して、「結婚以来常に歩みをともにし、私の考えを理解し、私の立場と勤めを支えて来てくれました。」と感謝の言葉を表された。

すばらしい夫婦だと思う。


平和を築いてこられた天皇に有難うと感謝の気持ちを表したいと思います。





posted by 花井英男 at 12:48| 戦争・平和